【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_45_閑話 03
1999年から2000年に変わって数ヶ月。
もしかしたら、2000年に切り替わった瞬間に衝撃的なことが起きて、この世界は良い方向に変わっていくんじゃないか。そんな期待は、日々裏切られ続けて福田は疲れていた。
園生緑によって歪んだ愉悦を覚えて、燻ぶるような胸の痛みを誤魔化していても、人間は慣れてしまう生き物。結局痛みが勝ってしまった。
もう、良いよね? 貴子。
借りているアパートの一室で布団をかぶりながら、最近そんなことばかり考える。死なない限り終わりのない現実と煩わしい雑務、自分の思考をかき乱す人間の三大欲求。なにもかもが彼女の精神をじりじり追いつめていく。
極めつけは、園生緑でも、杉藤俊雄でもなく、彼――。
意図的に交流を避けてきた男の子が、福田の預かり知らない、立ち入ることが出来なかった杉藤貴子の過去を突き付けた。
あの顔立ち、まさか――。
「……」
高校に入って増々似てきた。なんで今まで近くにいたのに、気づかなかったのだろう。恐ろしい事実に気付いた瞬間、それ以上踏み込むのが恐ろしくて、福田の心は狂気の愉悦から孤独の現実に引き戻された。
そんな時に、現れたのだ。
「お前がっ、お前がっ、姉さんの骨壺をに盗んだんだろう! 姉さんを返せ!」
杉藤 和樹が突然怒鳴り込んできた。
いきなり現れた50代ぐらいの男が杉藤 和樹だとすぐわかった時、懐かしいようなガッカリしたような、ひたひたと押し寄せる暗闇の感触を思い出した。大切な記憶の欠片であり、自分と貴子の記憶をすべて奪おうとした憎い対象であり、親愛なる貴子の弟。
チワワのようにぎょろついた特徴的な瞳そのままに、顔は当時よりも老けてはいるものの、学生時代には見られなかった貫禄が、見るだけでわかるブランド物のスーツから漂ってくる。
確か、アルマーニだっけ?
売春をしていた女子寮の女の子たちがパパとして利用してきた男たちは、決まって分かりやすくブランド物のスーツを見つけていた。そのせいで、嫌でも名称と特徴を覚えてしまったのだ。
アルマーニはイタリアのお国柄よろしく、気障さと洗練さを持ち前の陽気で包んだような……ようは日本人には似合わないスーツだ。それなのに、ブランド名だけでありがたがって似合っていないスーツをまとう大人の男ども、売春してブランドものを手に入れて、自分の価値を上げようとする少女たち。
日本の将来は確実に暗い。
「おい、聞いているのか! 姉さんの骨壺をどこにやった!?」
なにやらひどく興奮した様子の杉藤 和樹は、口の端に泡をあふれさせながら、布団から出られない福田につめより顔を近づけてくる。
あれ?
いまさら、今の状況がおかしいと頭が回ってきた。鍵をかけていた部屋にヅカヅカと入り込んで、顔を真っ赤にしながら意味不明なことをがなり立てる。
「ちょっと待って、言っている意味が分からない。私は貴子の墓がどこにあるのすら分からないのよ。どうして、そう思うのかしら?」
「……骨壺を盗むのが、お前意外に考えられないからだ」
言い切られて福田は困ってしまった。
だが、その前にずっと考えていた自身の疑問、考えたくない可能性がモヤモヤと自分と和樹の間にそびえているような、そんな錯覚にとらわれる。
「本当に、私以外考えられないの?」
「何を言っている?」
「とぼけないで、私は分かっているのよ。どうして、そうなってしまったのか分かってはいないけど」
確信を持った物言いに、和樹の瞳に怯えがよぎった。勢いが削がれて、チワワのような顔に粘ついた汗が垂れている。まるで悪夢を見ているような顔。受け入れがたい事実を、ただひたすら否定して美しい夢に耽溺したい、人間としての当然の欲求。
「私はね、園生 緑君と仲が良いのよ。その緑君は、五代君と仲が良いのね。驚いたわ、同級生だった園生 利喜から、貴子の呪いで杉藤家周辺が断絶したって聞いたけど、一番貴子の標的になりそうな園生家がピンピンしているなんてね」
話していて、ピリピリとした痛みが胸の中に走った。わざと和樹の感情を逆なでして、確信に触れない話し方をするのは、なんだか分厚くなったかさぶたを引っぺがすときに似ていた。
恐々と慎重に、途中で途切れないように剥がして、その下にある鮮やかな赤い傷口を眺めたい。引っぺがしたかさぶたの分厚さやシワの形を確認したい。
そう、私が言わんとしている確信には、赤々と燃えるような傷口が、今でも息を潜めているのを知っているから。
「ねぇ、逆に質問よ。どうして、私だけだと思いたかったのかしら? 本当は私に話したいことが別にあるんじゃないの? びっくりしたわ。緑くんは母親にかしら? 五代くんは父親の面影もあるけど、なによりも……」
「それ以上、言うな!」
あぁ、やっぱり。
取り乱す和樹の姿に、私はパジャマ姿のまま立ち上がって、トイレに駆け込んで嘔吐した。
もう見ることが無いと思っていた、遠くを見るような眼差し。
美しいアーモンド型の二重の瞳。
淡く微笑んだ時の唇の形。
困った時に浮かべる、自身が気づかない表情のクセ。
夕日に照らされた時の顔の輪郭。
福田はありったけ吐き出せるだけ吐き出して、そのまま自分の未消化物をトイレに流す。
そして意を決して部屋の外に出ると、塩を振った菜っ葉のようにしおれた様子の和樹に、言いようのない強くて暗い感情が口をついて出そうになった。
口内に未だ漂う吐しゃ物の匂いが鼻穴へ逆行して、口の中に胃液の酸っぱい味が広がっていく。目の前は怒りで真っ赤、顔は恐らく青くなって、硬く握り込んだ拳は真っ白。混沌とした色合いを見せている肉体の中で、ただ一つ表情は虚無となっているのだろう。
「ひっ」
福田は視線を合わせようとすると、和樹は先ほどまでの激情を忘れて、ただひたすら怯えて小さくなっていく。
「この際ハッキリしたら? 貴方の息子はもうすぐ大学生になる。杉藤家を継ぐとしたら、あなたは否が応でも【息子と共に成長していく、認めたくない過去】とも付き合わなければいけなくなるでしょうよ。当人同士はとても仲が良いのだもの。だけど、本当のことを知ったら、その友情にヒビが入るのかしら? 緑君も気づき始めているわよ」
「!」
観念したように顔を覆う和樹に、福田は一息ついて、自分でも恐ろしいくらいに落ち着いた声で言う。
「貴子は子供を産んだのね。杉藤家の本当の後継者の子を」
充当であるなら、当主となった貴子の子供が本来の杉藤家の跡取り。
だけど、杉藤家は特殊な家系であり、当主となるための条件が一つある。
そう、杉藤顔がもう一人現れないかぎり、序列が崩れることはない。
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「違う! 杉藤 俊雄はうちの息子だ。私の父は、生前言っていたのだ! 次代の杉藤家の跡取りは、名前を【俊雄】にしたいと。姉さんは、息子の名前を【俊雄】にしなかった。杉藤俊 雄はうちの息子だけだ! それ以上に、姉さんは子供を産んでいない。可哀そうな姉さんは、男とそんな汚らわしいことなんかしない!」
再び感情を昂らせて、声を涙と鼻水で詰まらせながら福田に叫ぶ。
自分の認められない部分を、譲りたくない心情を、支離滅裂な盲信とをない混ぜにして、現実から必死に目を逸らそうとする。
その気持ちが分かりすぎてしまい、福田は自己嫌悪にかられそうになった。だが、自分が明らかにしたものは、かさぶたではない。零れた水は元に戻ることはない。
前へ進まないと。 停滞していた時間が動きだした気配に、急に目の前が明るく開けた気がした。
「落ち着いて、貴子の骨壺が盗まれたのよね。その盗んだ相手が、貴子の息子だって可能性はないのかしら?」
「ない! それは、ない! 約束したのだ。生涯、自分が親だと打ち明けないと!」
それは盗まない根拠が薄いと思うんだけど。
「それにしても、なんで骨壺が無いってわかったのよ。その経緯に至った状況が気になるわ」
杉藤貴子の息子について――和樹の様子からこれ以上の情報が得られないと察した福田は別の話題を投げ込んだ。
「そ、それは、うちの息子が、俊雄が、表彰されたんだ! うちの息子が! 姉さんにそのことを報告したくて! それで、墓を開けたんだ……そしたらっ」
ずっと誰かに相談したかったのか、聞いてもいないのに和樹は話し出した。
生前の姉から引き継いだ、山中崎駅前開発をなんとか完遂させたものの、思った以上に反発と禍根が残ってしまったこと、裏で扇動している人間がいないか警察と調べていたこと。
杉藤俊雄よりも明らかに恵まれているのにも関わらず、次男と長女があまりにも出来が悪く、部屋に引きこもりの状態になって妻が付きっきりで世話をしていること。
そこへ、遠くへやった息子が山中崎の山にある合宿教習所の殺人事件で、杉藤家の威光を発揮させたこと。
警察に表彰されて、姉の貴子と同様に、息子の顔にまさに神が宿っていたことを実感し、遠くへやったことを後悔したこと。
息子が大学へ進学したら、友達と一緒に車とバイクを入学祝に贈ろうかと考えていること……等だ。
嬉々として息子の成長ぶりを目の当たりにした杉藤 和樹は、その時の高ぶりを思い出し、チワワの瞳を星のようにきらめかせて幸せそうな笑みを浮かべる。
まるで息子の成長が、自分の手柄みたいな態度だ。福田は心の中で、和樹の嫁と杉藤俊雄の弟と妹に同情した。この家族がこれ以上、幸せになることのできない未来を福田はこの時点で察し、近い未来で赤い花がはじける光景を見た気がした。
「それで嬉しくて貴子の墓参りに行って、貴子の骨壺に直接近況報告をしようとしたら、骨壺が無くなっていることに気付いたのよね?」
これ以上聞いていられなくなり、福田は和樹の話を腰ごと無理やりなぎ倒した。貴子の性格を考えると、杉藤の墓に入るとは考えられない。もしかしたら誰かに、骨壺を盗むように頼んだ可能性もある。
福田には分かるのだ。杉藤貴子は醜い顔になったのかもしれないけど、彼女の内にある魂は、誰かを惹きつけてやまないことを。そう、自分と同じように。
「ちなみに貴子の墓参りの時、その場に誰かいたの?」
「あぁ。利信がいたが、あの様子じゃあ分からないようだった。監視カメラがまさか何台かダミーだとは知らなかったし、まさかあんまりにも火の車だったなんて」
「へぇ」
『このブス、杉藤顔でもないくせにいっちょ前に学校行ってんじゃないよ!』
『や、やめろよ。貴子さんが困っているだろうが』
『はぁッ。五代、いい加減気付け。こいつは、なにも取り柄がないグズなんだ。存在自体が迷惑で、だからこいつは本家から追い出された。よかったよなぁ、何も知らない男共からチヤホヤされてよ~。けど、勘違いすんなよなァッ! お前はずっと杉藤の人間なんだ! 死ぬまで山中崎から出られないんだよ!』
……いやなことを思い出した。
学生時代の園生 利信が貴子に行った暴言に、福田は何度も声を荒げ、必要とあれば拳をふりあげて、時には彼女の手をとって誰もいない場所に逃げた。
どうやら園生家の当主になった利信は、ものの見事に落ちぶれたらしいが、もしその裏で貴子が糸を引いていたのだとしたら、私は拍手と花束と喝采を送りたい。おめでとうと抱きしめて、その場で彼女と踊りだしていただろう。
「姉さんの骨壺がなくなった時、真っ先に貴女の顔が浮かんでいてもたってもいられなかった。正直、すまない。一方的に疑ってしまった。このとおりだ」
「……はぁ」
散々妄言を喚き散らした和樹は、すっきりした顔で言った。
なんとも良い御身分だ。
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彼の独善的で相手のことを考えない感情の強さは、急なトラブルに見舞われた場合にその真価を発揮するのだが、日常となると周囲の人々の感情を踏みにじり、神経を擦切るどころか摩耗させていく。その場で助けられケースならまだいいが、彼と共に日常を過ごすとしたら地獄が待っているだろう。
適切な距離が必要なんだ。結局、私たちは分かり合うことのできない他人なのだから。
この男はこの先、無自覚に自分の知らないところで様々な地雷を人々に埋め込んで、そして自ら踏みに行くのだろう。
福田は和樹が去っていったドアを見て、その先に杉藤貴子が立っているような気がした。
盗まれた骨壺。
生まれた子供。
落ちぶれた園生家。
杉藤 俊雄。
そっとドアに対峙したまま目をつぶり、現在と過去とを結ぶ要素に思いを馳せる。
1999年から2000年。
終わらなかった世界で、死んだはずの大切な人は様々な形で様々なものを残し、それらが時を超えて芽吹く気配を感じる。
けど、私はよほどのことがない限り、傍観者のままだろう。
だれかが舞台に引っ張り出さない限り、彼女は観客席に座ることもなく、ロビーで出番を待ち続けている。
そう、私は待っていた。この時を。
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202×年6月
私は『園生 緑』の墓の前に立っている。
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