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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_84_現世編 02

同時刻 A県 山中崎 長奈村

「あれ? だれもいないなぁ」

 パソコンのモニターには誰もいない会議室が映っていた。
 四角いウィンドウの片隅には【会議中】としっかり表示されているのに、人っ子一人いない。
 園生 利喜そのう りきは不快気に顔をしかめて、福田は未だ混乱の尾をひいているのだろう瞳の焦点が合わない。二人に挟まれて座っている葉山は、顎に手をあててニヤリといやらしい顔を作る。まるで良いことを想いついたような顔だ。

 カタカタとキーボードを叩き、不明のプログラムを起動させる画面に移動する。警告音と共にメッセージが画面の中央に現われるのだが、気にすることなく【はい】と【YES】にクリックを押す葉山。
 ためらうようすもなく、水が流れるように操作する様子には罪を犯す恐れも罪悪感も微塵もない。
 ただ、起動した際のプログラム名が表示された瞬間、福田の瞳が現実に引き戻される。

「これ、Winnyウィニーじゃないっ!」

 驚きに満ちた声には、過去の亡霊に出会ったような悲しみと嫌悪の複雑な響きがあった。

「えぇ、ひと昔前に世間を騒がせたファイル共有ソフトです」

 肯定する声が遠くに聞こえて、福田は過去の声を聞いた気がした。園生 緑が大学生の頃だった。彼はこのソフトを愛用しており、使い方は五代 公博から教わったと言っていた。

「今起動させたのは、有志の人間がネット上で改良を加えて開発された【Winnyだったもの】と言えばいいのでしょうが」

 涼しい顔をしてとんでもないことを言う葉山は、会議中となっているモニターのデータをソフトに読み込ませているのだが、相手が公安なだけに園生もさすがにヤバイと感じて声をあげる。

「おい、先生よ。まさか公安本部のパソコンにハッキングを仕掛けているんじゃないだろうな」
「そのまさかです。思った以上にセキュリティーがザルですね。私みたいな素人がソフト一つでやすやすと侵入を許しているあげくに、情報をすっぱぬかれている。これだけ緩いと、外国のハッカーもこれが本丸だとは思わない。アナログ思考がこんな所で発揮されるなんて、ある意味皮肉だなぁ」

 葉山は言う。今回の事件は海外でも大きく報道されて日本の安全神話が崩壊したことを、下品なジョーク交じりに発信されており、様々な組織が警察の動向に注目していた。

 令和のエド・ゲイン、もしくは男性版エリザベート・バートリー。
 美に執着し、顔が変形する遺伝性の奇病に苛まれ、封鎖的な地域と因習……。杉藤 俊雄の背景を知れば知る程、好奇心がそそらせるのは仕方がないことだろう。

 鬱屈、抑圧、裕福でありながら、その家系ゆえに奪われてしまった人間性と、被害者をクズ限定に絞っている理性と思考。実行されてしまった犠牲者三桁の大量殺人。
 特殊でありながら、共感も出来る部分が人間の知的好奇心を刺激する。さながら物語の主人公であり、けっしてハッピーエンドが約束されていない部分が、なにも知らない第三者の同情心をひくのだ。

 世界の注目。それは神の瞳のごとく、日本の動向を注視して隙を見せれば情報を引き出そうと暗躍する。

 ただそこでの誤算は、上層部を巣食う老害は高齢化を極めており、不景気の後押しもあってセキュリティーソフトを更新する余裕なんてないことだ。やすやすと手に入れられた情報なんて信用できない。そんな国際基準の警戒心が、かえって海外への情報漏洩を防いでいる。

 そう、杉藤 俊雄が北朝鮮から核を購入したことも、タイへ逃亡したことも、もしかしたら山中崎にもう一つ核爆弾があることも、知っている人間は知っているのだが、あまりにも最悪すぎて、己の精神を守ろうとするバイアスが真実をジョークとして脳内変換する。コロナ禍という特殊な状況下であったとしても、あまりにもお粗末な顛末だ。
 オリンピックで変異株を誕生させた責任もあり、国際的に水際対策の強化を表明したということもあった手前もある。

……だというのに、だれも責任を取ろうとせず、具体的なリアクションをとろうともしなかった。的確なアドバイスに耳を貸すことなく、世界に表明した水際対策も口だけのただの無策で、へたをすれば核が爆発する。

 なんて薄氷の平和だと言いながら、葉山は薄ら笑いを浮かべて公安本部のパソコンから次々とデータを抜き取って、自分のパソコンに保存していった。所要時間はたった5分。こんなにも短時間であっけなく、膨大且つ重大な情報が手に入る現実に福田は嫌悪感を覚え、もういっそのことこの国は滅んだ方がいいのかもしれない、と思ってしまった。そう思うほど納税者として、今を生きる老人としてやるせないものだった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 カタカタカタカタ……。葉山のキーボードを叩く音がやけに大きく響く。ピアニストのように長い指に年相応のしわを刻んだ葉山の指は、的確にミス一つなく、まるでゴールが分かっているかのように突き進んでいる印象だった。 

 この男は、果たしてなにを考えているのだろうか。

 福田は昨日から続いている、何度も繰り返された疑問と後悔に表情を曇らせて、モニターに映された文字の羅列を凝視する。
 文字列は最初は日本語、次に英語になり、最後には見覚えのない言語に変わった。その言語が直観的にタイ語だと分かった理由は、【TOSHIO SUGITOU】というローマ字表記を見つけたからであり、葉山がこれからやろうとしていることをうっすらと察して、下腹部の辺りが若干こわばる。

「さて、舞台は整ったかな」

 と、葉山の声と共に、パソコンのモニターが四分割されて、現在進行形の四つの現実が三人の目に前に映し出される。

 右上の一つ目は、捜査員らしき男たちが、座敷牢をせわしなく行き来している映像。
 左上の二つ目は、誰もいない会議室。
 右下の三つ目は、スーツケースを取り囲む男たち。
 左下の四つ目は、ホテルらしき豪華なベッドで眠っている美少女の姿だ。

「もしかして、このベッドで寝ている女の子が杉藤 俊雄なの?」

 モニターを見つめる福田は、傷が疼くような複雑な感情を胸中を抱いた。
 交友は無いに等しいものの、学生時代の大きめのマスクをした顔は記憶にあり、マスコミの報道で整形後の顔が何パターンも紙面を飾り、ネットを騒がせ、現在の日本国民が現総理大臣よりも認知している有名人。

 まるで防犯カメラのようにベッドの全体が映るアングル。寝かされている美少女の顔に福田はどこか既視感を覚えるも、答えに触ようとした思考の指が触れるのを躊躇うように宙を漂った。触れたら確実に痛みを伴う予感、もしそれが《《自分の予想通りだとするのなら》》、画面に映る美しい造形の寝顔は天使のようにあどけなく、悪魔のようにもの悲しい。これが杉藤 俊雄の追い求めた美の終着点だとするのなら、あまりにも救いがないと福田は思った。

「この娘があの?」

 そして利喜りきも、唇をへの字に曲げて耐えるように身を強張らせながら、画面を指さして当然のことを聞いた。
 老いた顔にやるせない怒りのような影を浮かべて、全身から感情の靄を漂わせて、今にも爆発疎そうな感情を持て余しているのがわかった。なにせ杉藤 俊雄は彼にとって、もしかしたら甥の仇なのかもしれないからだ。園生 緑は公式には事故死とされている。杉藤本家の屋敷から少し離れた道路で、ひき逃げに遭ったという内容だが、詳しい内容を知ろうとする前に、叔父である利喜は金銭的理由と現実に耐え切れなくなって膝を屈してしまった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 振り返れば、園生 利喜この男はいつも逃げていた。杉藤 貴子が兄に虐げられていることも、杉藤 和樹が福田を殺そうとしていたことも、兄が身を持ち崩したことも、フィリピン人のクォーターである甥を持て余して、結局放置してしまったことも。

 甥はなんのかんので杉藤 俊雄に気に入られているのだから、未来の当主様の不興を買わない限り、緑の将来はなんとかなるだろうと考えていた。
 五代 公博とも仲が良いし、自分は最低限の世話をすればいい。

 イジメ?
……べつにオレ等の時代では普通だった。

 山で遭難した?
……あぁ、めんどくさいことになった。

 精神障害? カウンセリング?
……あぁ、施設に送るって話? いいんじゃないか? オレ、専門家じゃないし。医者がそれでいいって言うなら、それが正解なんじゃないの?

……………………兄貴が死んだ?
……あぁ、よかった。これ以上生きてもたくさんの人間を不幸にするだけだしな。

 義姉イザベルさんが死んだ?
……兄貴がやっと死んだのに、短い自由だったな。それで入れる墓はどうするんだ。フィリピンの実家に骨を送るのか? え、うちの墓にいれるのか。あーまーいいけどよ、緑。自称親戚のフィリピン人には気を付けろよ。つか、話はそれだけか?

 え、緑が死んだ。
 あぁ……はい、車にひき逃げされて、それで緑の保険金は……いえ、なんでもありません。あ、はい、え、いいんですか全部任せてしまって。ありがとうございます、助かりますよ。あなたと甥との友情に感謝です。えぇ、必要最低限の手続きはしますよ。よろしくお願いします。

 オレはどこでまちがえた?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 杉藤 俊雄の罪が発覚しても、園生 利喜は罪悪感を感じることはなかった。めんどくさいことになったと、ぼんやり考えながら、どこか他人事のように構えていた部分もある。

 利喜がようやく現実に向き合ったのは、無責任なその他大勢の有象無象……他人の存在だった。園生の名字で山中崎にいるとなったら、住民からすれば【あの家の関係者】だとすぐに関連付けて、利喜が事件の関係者だとすぐにバレてしまう。

 彼は当然、悲惨な目に遭った。
 近くにいたのになにもしなかった、それが園生 利喜の罪だった。
 利喜を責めるのは被害者の親族でもなく、警察関係者でもなく、なんの被害もなかった他人。彼らは罪を償えと口々に言い、死んでしまえと糾弾する。嵐のような理不尽さの中で聞こえてきたのは……。

「自分たちを不安にさせた責任をとれ」「おまえは自分たちとは違うのだから、苦しめられて当然だ」「お前がいるだけで、自分の周りが汚されていく気になるから、さっさと自殺しろ」「あなたの存在は、存在するだけでわたしたちの心を傷つけるのだから、お願いだから死んでくれ」

 他人の不幸に群がるアリたちは、蜜の甘さに狂って攻撃的になり、さらにいっそう凶暴になる。自分たちが正しいことをしていると信じ切って。

……そう、環境が変わったからこそ、適応するために今の態度に落ち着いたのだ。
 県外へ逃げなかったのは、老いもあるが、情報化社会のよって逃げるのが無駄だと知っており、神妙に辛そうに生きることが周囲の人間が許す態度だからにすぎない。時折、不審な男たちが視界にチラついたが、今考えると刑事だったのだろう。自分はいままでずっと泳がされていたのだ。そのことに思い至って、頭が痛くなってきた。

「あと、これは杉藤本家の屋敷だな」

 モニターに表示された画面の一つに、利喜は反応する。下に降りる階段の先が座敷牢になっており、太い木枠の格子を挟んで出来た通路に作業服姿の男たちがせわしなく動いている。

「懐かしいな。よくここで兄貴たちとかくれんぼをして……ん」

 利喜は見てはいけないものを見てしまったのかのように顔をしかめた。

 自分の記憶の中では、漆喰の壁に木材の床だった場所が、今やコンクリートで分厚く塗り固められ、牢屋の部屋を区切る壁も、黒い金属板が打ち付けられていた。
 木枠の所々が鉄やステンレスの金具で補強され、背面の壁が汚物と銃痕と飛び散った血の跡で汚され、床には白いチョークで描かれた倒れた人形ひとがたと、番号が書かれた黒いプレートが置かれてあり、否が応でも凄惨な光景を想像してしまう。
 此処も杉藤 俊雄が、殺人を行っていた拠点の一つだったのだろうか。

「…………」

 押し黙った利喜は、目の前の光景に頭の中がかき乱されそうになった。まだ幼くて楽しかった記憶の分、現実との差異に脳みそが拒絶反応を起こしている。

 杉藤家の顔の崩れた子供たち。彼らのほとんどが、家庭教師を付けられて学校に行くこともなく、山中崎という閉じた世界の中で生きるしかなかった。

『あそぼ』
『そのくん、あそぼ』
『おにごっこしよう。ぼく、おにやるよ』

 世間を知らず、自分たちの美醜を知らず、杉藤家の同年代の子供たちは、いつも利喜や兄が来るのを喜んでくれた。学校生活に憧れを持ち、けれども自分の人生をどこかで諦めているように、ふとした瞬間に寂しく微笑むのだ。

 彼らはもういない。杉藤 貴子の呪いによって、ほとんどが死んでしまったから。

 記憶の中で手を叩く、醜い顔の幼い子供たち。作業をしている男たちをすり抜けて、楽し気に走りまわる姿が見えた気がして、とうとう気が触れてきたのだと、利喜は自嘲気味に片頬を持ち上げる。
 無邪気に利喜りきと遊ぶ一方で、残酷に杉藤 貴子をイジメていた子供たち。和樹が姉を守ろうと抵抗するが、彼らは無邪気な残酷さを持って自分たちこそ被害者としてふるまい、大人が好む子供を演じる。

 杉藤も人の子と変わらない。
 子供は残酷で、愚かであることが許される。その特権を最大限に利用して、大人になって自分のしたことに後悔するのだが、死んだ彼らにはその機会が与えられることはなかった。

『ねぇ、今日はなにする』
『かくれんぼー』
『だったら、あの部屋使うの禁止ね』
『……ん、あの部屋って?』

 記憶の中で交わされた会話に、脳の奥がざわざわと反応する。幼い利喜が問いかけると、子供たちは得意げに笑って、いろいろ教えてくれるのだ。
 例えば――。

「おかしいな」

 感じた違和感が声となり、隣にいる葉山の笑う気配がする。利喜は本家の屋敷に執着する甥を知っていた。甥にとってここは故郷でもあり、精神的な拠り所、地下にある座敷牢だって例外ではない。毎日大切に手入れをして、汚れ一つつけることさえ許しはしない……それほどまでに入れ込んでいる。

『緑は、この屋敷が好きか?』

 これは緑が、三歳あたりの記憶だ。

『うん! だーい好きっ!!!』

 笑顔の甥が、杉藤本家で遊んだ子供たちの笑顔と被って、懐かしいような寂しいような感情に胸が締め付けられた。
 そうだ。少なくともあの時の自分は、一緒に遊んだけど、一緒に大人になれなかったあの子たちの分まで、甥を気に掛けようと思っていたハズなのに。

『ちなみに屋敷のどこが一番好きなんだ?』
『うん! そんなの、ぜんぶ、ぜーんぶだよっ!!!』

 座敷牢が《《あぁなった》》のは緑が死んだ後か? それとも前か?

 利喜は座敷牢をじっと観察した。自分の記憶と現在の映像を頭の中で比較しながら、この屋敷でなにがあったのかを想像して、嫌な気分がざわざわと音をたてて警鐘を鳴らす。背筋を撫でていく不快感に体温が上がり、どくどくと心臓が脈打って、懐かしい感情を土足で踏み荒らしていく現実に憤る。

 利喜が子供の頃に存在しなかった、天井にある埋め込み式の卵のような照明。渦まくような生々しい陰鬱な空気。モニター越しに伝わってくる死臭。
 座敷牢を行き来する捜査員たちは、ノートパソコンを叩き、携帯で現場を撮影し、ドラマに出てきそうな薬剤や機材を狭い空間に押し込めながら、早口に専門用語をまじえた会話をかわしている。
 生者の騒々しさは、惨劇の名残を払拭することはなく、画面は明るいハズなのに、闇が一層深く濃厚になっていくようだ。

 すっ……と、機材が置かれている廊下のつき当りの壁が、園生の視界に入り、全身の毛穴が開いて、一気に思考が霧散する。

「そこ、機材を立てかけている、壁。そこ、隠し部屋の扉っ! 近くに仕掛けがあるから、調べてくれ!!!」

 突然叫びだした利喜に、葉山は「ほう」と感心した声を出した。

【つづく】

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