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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_29_中学生編 07

 九月に入っても太陽がまぶしくて、室内に湿った熱がこもる日だった。
 二学期に入り、休み明けのテストを受ける席には、五代くんと物部くんの姿はいない。

 早瀬くんが知り合いから、ちょくちょく情報を仕入れてくれるのだが、どうやら五代くんは、共犯の疑いをかけられたそうだ。

 彼は事務所の掃除当番で、僕に相談した時点で避妊具を見つけていたのだ。
 五代くんが早めに僕たちに相談してくれたら、早瀬くん経由で何とかしてくれたかもしれない。五代家の繋がりから杉藤家に相談していれば、理事長が早めに動いて解決に導いてくれたかもしれない。

 中学の頃の僕は、周囲の人間の善性と強さを信じていた。五代くんが誰にも訴えずに見て見ぬふりをしていた対応は間違いであり、周囲へ助けを求めれば、当然と周囲は絶対に助けてくれる……その薄っぺらい信奉が、大切な友達を傷つけるなんて、露にも考えていなかった。

 教室の入り口から漏れる悪臭に僕は閉口する。僕たち寮生を拒絶する、強い意志の匂いが複数混ざりあって、ピンクの肉塊で出来た巨大な壁がそびえ立つ。

 ここは教室ではなく、誰かの腹の中。誰かの不幸を願い、自分に不幸が降りかからないと信じている、無垢な天使たちが列をなしている。


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 僕は五感を閉ざすイメージを浮かべる。
 肉の壁が消えて、天使は人間になり、広がるのは不毛な現実。ただそれだけ。

 教室中の視線が集まる。僕たち以外の生徒たちが、僕たちの一挙一動に耳をすませている。五感を研ぎ澄ませて固唾をのんで、自分たちがどのように振舞えばいいのかを思考する。抱く感情はバラバラなのに、彼らの思考は一つに統一されていた。

 この学校は、比較的裕福層の人間が通っている。穏便に学生生活を送り続ければ、大学まで二回の受験を免除してくれるのだ。デパートのエレベーターに乗るような感覚で、中学、高校、大学と、最上階の屋上まで押し上げてくれる。

――そう。つまり十年、なんにも思い煩うことなく遊んで暮らせるのだ。世間では受験に失敗して自殺したニュースが報道されているのだから、受験せずに大学までぶっ通して学校に通える特権を、自分から手放そうとは思わないだろう。

 なにも問題なんて起こさなければ。だれかが、自分たちの平穏を脅かすことをしなければ。暗黙の了解を侵害しなければ、みんな幸せになれるのだ。

 だから、僕らは許されない。

 加害者であれ、被害者であれ、問題を起こしたこと自体が問題なのだから。自分たちの特権を脅かす明確な敵を、彼らは内心血眼になって探している。


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 ミーン、ミンミンミーン……。

 鳴いている。九月なのにセミが鳴いている。猛暑の八月から九月にかけて、命を振り絞るように求愛の歌を哭《な》き叫ぶ。人間のように金品を要求せず、ただ子孫を残したいがために。

 依然として静観しているクラスメイト達。僕たちは気づかない振りをして、さりげなさを装って自分たちの身に起きたことを話した。

 彼らは二学期にくるはずだった転校生が、どんな人物だったのか知りたいこともあり、落ち着いている態度を崩さずに耳を象のように拡張させる。彼らは聞く耳を持っている。だけど自分に都合の悪い話は理解しない、残酷な脳みそを持っていることも知っている。

『神戸から来た転校生は、ちょい内気な性格やな。せやけど、石を投げる野球部から、後輩と猫を庇って頭にケガを負ったんや。咄嗟に相手を庇えるなんて、そうそうないと思うで?』
『すごい、血が流れて怖かった。顔も真っ白でぐったりして、手当てをしていた五代くんが、警察に事情聴取で連れていかれてまだ戻ってこない。ひどいと思わない?』
『野球部のヤツ等、いいかげんにしろよ。去年はソノが植えた花壇の花を引っこ抜いて、今年は後輩や猫に石を投げたんだぜ? しかも、そいつらの顧問は売春していた。ふざけんなとしかいいようがないぜ』
『最近、寮の裏庭によくゴミが捨てられて、お酒の瓶とかビールの缶とか拾ったんだ。捨てられないように、ぼく、転校生の物部くんと裏庭と交代で見まわっていたら、物部くんが……』

 寮長と野球部の顧問が売春しているなんて知らなかった。
 去年のことといい、全部野球部が悪い。野球部を筆頭とした運動部が、寮生たちを差別するから平気で石を投げるんだ。

 僕たちは、この二点を一貫して主張した。

 せめて物部くんが退院した時に、安心して復学できるように、後輩を庇ってケガしたことを大げさに話した。

「ねぇ、杉藤くん。杉藤くんは野球部のこと、どう思っているの?」

 僕たちが隣り合っているグループと話している横で、別のグループの女子たちが興味津々と話しかけてきた。可愛い外見とは裏腹に、目を爛々としている様がとても不気味で、僕は俯いて視線を下げると、スカートからのぞく白い脚とルーズソックスが映り込む。

 だるだるの靴下からすっと伸びる足のラインが、百合の花の茎のように美しく見えて、なんで女子たちがルーズソックスを履いているのか分かった気がした。僕の足も細いから、履いてみたらすらりと映えるかもしれない。そんなことを考えてしまった。

「……あ、もしかして、怖い? 野球部のこと」

 僕の長い沈黙を、話しかけた女子が勝手に解釈する。否定するのもおかしい気がして、首を上下に振ると「そう、そうだよね」と、同情する割には弾んだ声が降ってきた。

「うん、そうなんだ。アイツラ、僕たちを逆恨みしてそうで怖い」

 地面を踏み固めるように、言葉で現実を踏み固めて防御する。話せば話すほど、クラスメイト達の悪臭が収まって、怒りの矛先が野球部に向くようにそれとなく誘導する。

「うわ。最悪すぎる」
「去年のことといい、廃部になった方がいいかもね」
「五代くん、とばっちりじゃない」

――よし。

 五代くんは女子に人気があるし、早瀬くんも女子にそこそこ受けがいいから、クラスメイトの同情心が一気に傾いて、そのまま動かないように僕たちは守りを固めた。
 同じクラスの野球部には同情するけど、君たちの身内がやったことを許す気はない。

「おい、野球部。ネコと後輩に石を投げたヤツって、どこのクラスの誰だ?」
「勘弁してください。俺はなにも知りません。さぼり、確かに何人かいたけど、だけど」

 しどろもどろに弁解する様子に、僕の溜飲は下がらなかった。口の中に苦い味が広がって、野球部を大勢で質問攻めにする光景に、幼稚園でのことや小学校のことが何度もフラッシュバックする。自分が正義だと思い込んでいる人間こそ怖い。普通の顔を持っているのに、彼らがとる行動と心の有様は普通とはほど遠い。

「おい! なにやってんだ!」

 突然、教室に怒声が響いた。虚を突かれた僕たちは、声の発生源へ視線を向けると、ガタイの良い男子が数名戸口に立っている。

 野球部だ。
 僕は直感し、体中が硬直するのを感じた。

「大勢で取り囲んで、集団でイジメか? ハッ! 人のこと言えないな」

 ガタいの良い男の一人が鼻で笑うと、野球部を問い詰めていたクラスメイト達は硬直した。怯えて口を閉ざし、神妙な態度で自分たちの机に戻っていく。まるで、席に着けば元通りになるというように。

 つかつかつか……。
 男たちが悠然と、僕たちの机に近づいてきた。冷たい視線を僕たちに向けて、口角を歪にもちあげる。

――ッ、ガタンッ!

「!」

 僕はびっくりした。僕の机が横から蹴り上げられて、反応するよりも早く襟首が捕まれる。

「ずいぶんと野球部《うち》のことを、好き勝手に言ってくれたようだな」
「……うっ」

 突然の理不尽に声が出ない。どうやら、僕たちが身を守ろうとした行動が、虎の尾を踏んでしまったらしい。

 体が宙に浮いているのに、掴まれた一点だけ重力が働いている。まぁ、場所が場所だから、それなりに苦しいけど恐怖は感じなかった。山で遭難したこと、首を絞められたこと、葉山の存在……。振り返れば、身の毛もよだつ恐ろしいことは、僕の周りに石のように転がっていた。

「おいおい、ビビッてんのか?」

 マスクのせいで僕の顔が見えないから、沈黙を恐怖とみなしたのだろう。僕を掴み上げた男子生徒は、加虐心をむき出しにしたイヤらしい表情で僕を見る。

「……」

 周囲の空気感が変わった。反発心と好奇心が圧倒的な恐怖によって蓋をされて、野球部に関わりたくないという気持ちが上回っている。

 あぁ、これは演出なんだ。

 どうして野球部が、こんな一見して意味のない行動をとったのか、僕はおぼろげながら理解した。こうやって自分の力を誇示して、みんなの気持ちをコントロールする。小柄な僕の身体を持ち上げるのも、恐怖をあおる演出なんだ。

 多分、今回の件でとばっちりを喰らう身内を、クラスメイト達の悪意から守るために、力ずくで恐怖心をあおり、力ずくで相手から自分たちに都合の悪い意志をはく奪する。

 見えない上下関係を強いて、暴力すれすれの恫喝を見せつけて、服従を促すプロセスはものすごく手慣れていて、それが野球部の日常だったのだろうと僕は察した。

「お前、俊雄をはなせよっ!」
「せやで、こんなことしてもしょーもない」
「……自分たちが何やっているのか、わからないの?」
「……」

 あぁ、言い返さないといけないのか。

 大川くん、早瀬くん、園生くんは野球部に対して抗弁する。だけど、いつもよりも理性的に、感情を抑えている部分に、この場面がある種の正念場なんだと呑気な僕でも分かった。

「お前もなんとか言えよ。お前ら寮生のせいで、俺たちの青春が台無しなんだよ! 次の大会に出られなくなったら、どうしてくれるんだ!……っああぁんっ!」

 僕を掴み上げる野球部は、感情任せに僕の体をガクガク揺らして恫喝した。

 コイツラナンデジブンタチノコトヲタナニアゲテイルノ?

「どうせお前らも、寮長と一緒に女子をヤッて、酒飲んで毎日のようにバカ騒ぎしているんだろう! 俺らが必死で練習をしている間、うざい親から離れて、金で女子を買って、酒飲んで、まったくの良い身分だよなぁっ!」

 なるほど野球部にとって、僕たちの認識はこういうものなんだ。
 だけど、そんな理由でなにをしてもいい――傍若無人に振舞っていいなんて。

「――ふざけんな」

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「ふざけんなって、言っているんだよ! 知っているか、俺たちは寮長がやるべき仕事を八割ぐらいこなしていたんだよ。部活禁止なんて嘘で、本来業者を入れるべき仕事や、職員を入れなきゃいけない業務とか、全部俺たち寮生がやってたんだ」

 中《チュー》が居なくなったため、寮長の代理が必要になった。
 僕たちの前に現われた「福田さん」という女性は、B市内にある女子寮の寮長で、人好きのする笑みを浮かべて僕たちの不安に寄り添おうとしてくれた。

『ごめんなさい。あなたたちの負担が減るように、これから対処していくからね』

 僕たちから普段の寮での生活を聞いて、福田さんは憤り、嘆き、そして決意を表明した。彼女の芯の通った言動は、中《チュー》とはまったくの正反対で対称的。漂わせる匂いは、焼き立てのパンの匂いで、僕たちを心底案じている顔には嘘の気配がなかった。

 彼女のおかげで、僕たちの負担の八割近くが減った。
 当番も担当もローテーション制になり、一年の苦労はなんだったのかと、中《チュー》への恨みが止まらない。
 業者や職員が入って小綺麗になった学生寮は、女子寮と同じ、携帯もパソコンもネットも解禁された。早瀬くんは「IT革命やー」と狂喜乱舞して、園生くんも万歳三唱して喜んでいたことが強く印象に残った。

 僕たちだけじゃない。一年も三年も、まるで圧制さら解放されたフランス市民のように喜びを露わに、そして今まで自分たちに理不尽を強いていた【悪い大人】への制裁を声高に叫んだ。

 アイツは刑務所で、ひどい目に遭えばいいんだ。と。

「その分の金をアイツは学校に嘘の申請を通して、着服していたんだよ」

 過去と今の怒りがごちゃごちゃに混じり合って、僕の口から怒りが迸って止まらない。

「お前たちの身内の野球部の顧問と一緒にな。俺らが学校から帰ってきたあと、なにしているか知っているか? 掃除をしたり洗濯をしたり、裏庭のゴミをひろったり、ゴミを出したり、消灯時間が来る前に任された業務をこなさないといけないから、どんなにキツキツだったか分かっている? 夏休みなんか、運動部が好き勝手やって、どれくらい僕たちに負担がかかっているかもわからないのかよ。特に野球部は最悪だよ。顧問や寮長になにか言われているのかもしれないけど、夏の大会、初戦で負けたんだって? 大した実績もない癖に大きな顔しないでよ。裏庭にビールの缶とかお酒が捨てられていたけど、女子との売春もお酒の飲食も君たち野球部がやっているんじゃないの? しかも、一方的に僕たちのことを決めつけるけどさ、君たちの身内が物部くんを入院するレベルでケガさせたのは事実じゃない。まず、物部くんに謝るのが筋じゃないの! ――本当に、本当にふざけんなっ!」

 言い切ると、眠気に近い虚脱感があった。
 こんなに長くまくし立てられるなんて、相当鬱憤が溜まっていたことが、別の意味で驚きだった。

「ああん」
「てめぇっ」

 まくし立てる僕に振りを悟ったのだろう。僕を掴みかかったまま、殴り倒そうと拳を振り上げるが、連れていた男子生徒が慌てて制した。
 大勢が見ている前で、本当に暴力沙汰を起こせば、退学どころか野球部の存続すらあやういからだ。

「やめろ、殴ったらシャレにならねぇよ」
「つか、これじゃあヤブヘビだって」
「チッ」

 周囲の生徒の目が厳しい。野球部のみならず、僕たちに対しても。感情的にならないように、大川くんも園生くんも早瀬くんも気を使っているのに、僕が台無しにしてしまった。
 申し訳ないと思う反面、後悔していない。

「俊雄、よく言ってくれたな」
「君って、そんなに話せたんだね」
「とっしー、活舌《かつぜつ》えぇやん。将来、ラジオの仕事したほうがええんやない」

……ねぇ、どうして君たちは、そんなに優しいの?

 概ね三人の反応は好意的で、匂いからも晴れた春の日の匂いが漂ってくる。周囲の世界は敵だらけだけど、信頼できる友達がいるから、僕は僕でいられるんだ。

「お前、俊雄って言ったな。覚えてろよ!」

 分かりやすい捨て台詞を吐いて、野球部たちは退散した。教室内の空気が最悪なのに対して、僕たちの間に流れている空気は、晴れやかで清々しい。

 この時、中学の僕は安っぽい感情を振りかざして、みみっちい勝利にいい気になっていたんだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


――ジリリリリリ……。

 深夜、火災報知機の音で目が覚めた。パジャマのまま、慌てて部屋を飛び出した僕は、廊下に立ち込める煙と鼻腔に直撃する焦げた匂いに戦慄する。

 もしかして、火事? 火元は?

 ぱっと思いついたのは、一階の食堂か二回の共用キッチンだった。下の階からの出火なら、僕はどこに逃げたらいいんだろう。

「とっしー、ぼーとすんなや。ゴミ収集場の奥に非常階段がある。そこから裏庭に避難するんや……ゴホ」
「は、早瀬くん。ごめんっ」

 こんな煙だらけなのに、僕に話しかけたから早瀬くんは咽《むせ》てしまった。胸を抑えるように、げほげほと苦し気に背を丸める姿に、僕は罪悪感とともに、命に危機にさらされている現実を突きつけられる。

「おい、これを」

 言葉少なめに僕たちに近づいてきたのは、大川くんだ。濡れたタオルを僕と早瀬くんに配った大川くん。大川くんの後ろには園生くんが、濡れタオルを口に押させて現れたのだが。

「――っ。園生くん、それって」
「うん。公博の部屋から持ってきた」

 カギ掛かってたよね? と、聞こうとして止めた。
 なんで、こんなものが? と、疑問に感じる前に体が動いて、避難訓練の時よりも真剣に忠実に、僕たちは裏庭に避難した。

 突然の出来事に、僕の頭は混乱していた。
 寮の火事もそうなのだが、今、僕の頭を一番混乱させているのは、園生くんが抱えているモノ――幼い頃に、僕たちが杉藤家の霊園から盗んだ、杉藤貴子の骨壺だった。

【つづく】

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