【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_42_高校生編 08
「私はね、杉藤家に反発する連中にいつも言っているんだ。戦うよりも逃げた方がいい。向こうは超能力を使う――思考回路が普通の人間とは違うんだ。化け物を殺す戦法じゃないと敵わないってね」
教官は意味ありげに笑って、大川くんの瞳をじっと見る。まるで、今、僕たちが陥っている事態を見越したような、どこか超然とした態度に僕の意識が悲鳴を上げる。
ざっと、音を立てて大川くんに接近すると、大川くんはぎょっとした顔で一歩下がって距離をとった。
二人の横を車が通りすぎていく。夕日で赤く染まった車体を光らせて、ガソリンスタンドに吸い込まれるように次々入って、そして道路に戻っていく。それがなんだか動物みたいで少しおかしい。
「杉藤家を滅ぼすには、山中崎にミサイルを落とすしかない。私はそう言って連中を宥めてきた。ずっとずっとだ。君たちが思っているよりも、山中崎に住んでいる人々と杉藤家の軋轢は根深いんだよ。戦前はとくに酷かったよ。杉藤顔の連中が好き勝手やっていてね。杉藤家の不興を買った人間は、その瞬間に人間じゃなくなるんだ」
夕日が沈んで、暗闇が空から広がってきた。街灯がチカチカ音を立てて光を照らし始めて、ガソリンスタンドが目が覚めたかのように輝き始めている。人口の白い光が存在を放ち始める時刻、逆に二人の存在が黒い影に埋もれていく。昼の時よりも山の気配が濃密で、川が近いせいなのかカエルの鳴き声が聞こえてくる。
姿が見えない声だけの主張なのに、昼よりも存在が確かに感じられるのだから、山の暗闇と言うのは恐ろしい。
「俺のじいさんと仲良いのはギリわかるとして、戦前の話ってなんだよ。アンタ何者なんだ?」
当然の疑問を口にする大川くんは、恐怖で背中から汗を流していた。風が肌寒くて、汗をかいている部分がさらに寒く感じる。
相手に対する得体の知れない恐怖と、一抹の好奇心。正体を知って安心したいという生理的欲求が、大川くんをその場に留まらせている。
教官は大川くんの反応を見て思案気にあごを撫でると、ため息をつくような声で話し始めた。
「……昔、年老いた杉藤顔の男がいた」
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「男は一時的に相手の体を奪う能力があった。だけど、力を操れば操る程、顔が醜くなり上にひどい頭痛と体調不良に悩まされる。だから力を使う時は、本当に必要がある時だけだった。その頃は、まだ杉藤家はもっといたから、男が必要とされたのは三回程度。だけど、その三回目で男は寝たきり状態になってしまった。体に重い負荷がかかっているのは分家の証だって嗤われたな。本家に近ければ近いほど、能力の負荷に体が耐えられるようだった……って、話を戻そう。寝たきりになった男は、働いた功績を一族からちゃんと加味されて、五代家の病院で殿様のように介護されたけど、自分の意志じゃ動けない状態にだんだん病み始めた。そして考えたんだ。この力を使えば誰かの身体を完全に奪って普通の顔を持った――杉藤顔じゃない、まともな人生を送れるんじゃないかってね」
まともな、という部分に強い語感がこもっていた。普通に顔を出して、マスク越しじゃない普通の顔で友達をおしゃべりする。普通に友達と顔を出して笑えて、なんの罪悪感も煩わしさもなく、恋人を作って手なんか繋いじゃう。……僕が諦めきれない、多分、杉藤家以外の人間が謳歌している【普通】という奇跡。――その気持ちが嫌ってほど僕にはわかる。
「男が夜な夜な体を離れて、病院に入院している患者から奪う肉体を物色し始めた。男は慎重に体を選んだよ。成功したら能力がなくなるかもしれなかったからね。下手をすれば元に戻れない片道切符。そう、不確定の要素が多いから、とても慎重に探したんだよ。見舞いによく来る家族がいたら不信に思われるかもしれない。できれば五体満足で且つ、すぐ退院できて見舞い客が少ない上に家族の関心が薄い奴がいいってね。まぁ、そんな都合のいい体なんて、そう都合よく見つかるはずがない。そんな感じで体を物色しながらジジイになって、男は焦った。え? 病院だから、妊婦がいるだろうって? ハハハハハ……、マンガではそういう展開が多いけど、男にとって赤ん坊の体は最終手段だった。赤ん坊の身体を乗っ取るなんて、下手したら一、二年まともに動けない上に、その時代の子供はすぐに死ぬからね。なるべくその事態は避けたかったんだけど。そしてとうとう追い詰められた男は、ほぼ衝動的に運を天に任せることにして体を乗っ取ることに決めたんだよ。そして、最悪の事態が発生した。乗っ取ろうとした女が妊娠していた上に、男の精神は宿り始めていた胎児に吸収されてしまったんだよ」
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「そう、そうさな。吸収に近かったな。しかも、精神はぐちゃぐちゃに混じり合って、記憶も完全に継承されていない。肉体を奪うことは半分成功して、半分失敗したと言っても良い。だけど、君のおじいさんは私だってわかってくれたよ。ほんとうに、大川家は情が深い人間が多いな」
「…………」
教官の口から語られた奇想天外な話に、大川くんは絶句した。まるでマンガみたいな展開だった。元杉藤顔で他人の人生を奪おうとした男の話。だけど、教官はなんでその話を大川くんの話したのだろう。
「君はまだ若いから、現実の感じ方が分からないのかもしれないけど、大人になった時、君は自分を取り巻く薄気味悪さに耐えられるかな? それとも、すでにどっぷりと浸かっているのかな?」
笑っていない目で笑いかけて、大川くんの大きな肩に、気安く手を置く教官は低い声で言った。
「君が逃げない意志を私は尊重しよう。そして、良いことを教えてやろう。あのガソリンスタンドを観察しておくと良い。あとで君にとっても、君の友達にとっても良いヒントになるはずだからね」
ヒント! 教官の言葉に、僕の意識は覚醒した。
有力な手掛かりを前に意識が緩む。周囲の景色が一気に色を失い、音を失い、匂いを失う。ビデオの早送りをするかのように景色がすごい速度で流れていき、そして今に至って大川くんの視点に立った僕は僕と向かい合う形で席に座った。
僕と僕が目が合う瞬間に、目の前で白い花火がはじけて激しい頭痛に襲われる。モノクロの景色が白く塗りつぶされて、僕は白い世界に一人で立っている。
――ガタッ!
「うっ」
なにかが倒れる音と一緒に、体がガクンと揺れて自分の中でしっくりと水のように馴染む感覚が広がっていく。揺れる視界が一つに集約されて、色が付き、人の声が聞こえて、コーヒーの匂いが鼻腔をくすぐった。頭の中がジンジン痛い。目の奥が倦んだ様に痛み、顔中が熱っぽくて、全身から粘ついた汗が流れていく。
急速に遠のく意識に、僕は自分の体が限界を迎えてしまったことを悟った。
「は、犯人は、ガソリンスタンドを使った、これは、かくじ……」
五代くん、お願い、無事でいて……。
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不思議な夢を見た。
夢の中では僕はまだ大川になったままで、焦った顔で廊下を走り、寄宿舎を出て夜の道へ行く。行く先はガソリンスタンド。焦燥で頭がいっぱいの大川くんは、己の記憶を紐解いて自身の推測が正しくないことを祈る。
僕はガソリンスタンドに手掛かりがあると言った。大人たちはその言葉に従うけれど、有力な手掛かりはつかめない。なにせ日本の警察は優秀だ。周辺にある施設はすでに調べられた状態で、犯行の拠点になりそうな場所には、すでに警官が配備されていて、ガソリンスタンドも例外ではない。
「来たな」
と、ガソリンスタンド近くで人影が動いた。【あの】教官だった。
まるで大川くんを待っていたかのように、当然のように現れたこの男は、バイクを押してヘッドライトを大川くんに向ける。
「乗れ、ただし、これで地獄行きは確定だ」
教官は低く呻くように言った。暗い瞳からは冷たい絶望がひしひしと伝わり、苦り切った表情には徒労の色が濃い。
「……助けてくれないんだな。あんたら大人はいつも、俺たちを」
そう言い捨てると、大川くんはバイクにまたがって、ガソリンスタンドの前を通り夜の道路へ走り出した。
大川くんは明らかに飛ばしていた。制限速度をオーバーしてにいるのにも関わらず、水を得た魚のように巧みに前方の車をさばいて前へ前へとバイクを飛ばす。
――いた!
と、大川くんの意識が叫び、顔が険しくなっていく。
大川くんの意識に紛れている僕も、前方のトラックを見て「あっ」と声を出しそうになった。荷台がアルミ製のトラックだ。荷台の後方に扉が取り付けられていて右上にロゴが入っている。
【山中マート】
これって……。
グリップを握る手が震えた。冷たい風を常に受けているヘルメットを被っていない頭は妙に冴えて、記憶の糸が記憶の海から断片を釣り上げる。
頭の中で近代的でキレイな街並みが見えて、僕はその光景が現在の山中崎の駅前なのだと理解する。
「お、直人くん。元気かい?」
「大川さんとこはえぇなぁ、跡取り息子が帰ってきて」
「とういか、大川さん、とこは運が良い。元々、営業所とかは山のところで家も会社の住宅街だったからねぇ」
あぁ、なんて。
商店街に行くといつもそうだ。と大川くんの意識が震える。
付き合いがあるから顔を合わせないといけない。例え、次の日に店がつぶれるとしても筋を通さないとままならない。
声をかける人々は二種類いた。
店じまいを受け入れる年配の人間は、なにかから解放されたように朗らかで、大川くんに気さくに声をかけてくれる。
もう一種類は年配よりも一つ下の世代、大川くんの親と近い世代だ。彼らは敵意を隠してグチまじりに絡んでくる。運が良い、幸運だと。
大川運送、もとい大川くんの家は住宅街にある。江戸時代には大店があり、貴族の屋敷があった場所なのだそうだ。時代に対応して利便性を考慮して、みな駅前の商店街へと流れて言ったのに、大川運送だけは頑なに根を下ろして商売を続けていった。おかげで、駅前開発に巻き込まれなかったのだから、ある意味運が良いのだろう。
わらわらと記憶に思考に絡まっていく人々の感情。友達といる時だけは、大川くんは解放された。
帰りたい。だけど、大川くんにとっても帰る家はもう存在しない。
居場所は僕たちのいる所。そこには杉藤俊雄が中心をなしている。光の輪じゃないけど、小さな輪の中で大川くんは優しい夢を見られるのだ。
だから自分の居場所を奪う連中、そいつらは敵だ。許さない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あぁ、すごくうれしい。大川くんの心を覗けて。
こんな事態じゃないのに。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
記憶が切り替わる。交互に現われる寂れた商店街の中で、個人スーパー【山中マート」のロゴが大きく頭の中に占めていく。
そう、なんで駅前開発で潰れた【山中マート》】のトラックが、この道路を走っているのか。
大川くんの頭の中の場面が変わる。僕が続きを見ることが出来なかった、ガソリンスタンドの光景。入ってくる車の中に、何台か大川くんの意識に引っ掛かる車があった。
その一台が目の前にある。
シャッター街だったけど、あの商店街はそこそこ大きかった。トラックを個人所有していた人間たちが、団結してお互いのトラックを拠点にした可能性。
トラックという【動く拠点】が警察の目を逃れようとしている。
あぁ、そうは問屋は卸さない。
復讐するのは結構だけど、僕の友達をそのまま卸すつもりはない。
大川くんはさらにバイクのスピードを上げて、トラックの前方へ回り込む。このトラックに五代くんが乗せられている根拠なんてないけど、大川くんは大川くんなりの運と勘を頼りに、このトラックだって確信したんだろうね。
このまま前方へ前方へバイクとトラックの距離を開ける。夜山の道路は道が空いていて、きれいに距離を開けていくと、次は車間を徐々に縮めていく。バイクのスピードをうまく落としながら、だけど勢いを殺さない絶妙なテクニックで大川くんは大きな凶器を作り上げた。
「――っらぇ」
小さくつぶやくと、横に飛ぶ大川くん。
――ガシャン!!!!
耳障りな大きな音を立てて、バイクとトラックが正面衝突した。
破片と火花が飛び散って、トラックは横転しなかったものの気絶したように、その場に止まった。
受け身をとった大川くんは、すくっと立ち上がって自分の体を検分する。
大丈夫、あっちこっちぶつけたけど大したケガじゃない。
次にざっと周囲を見渡して月が出ているのを確認して、ガードレールの向こう側、見下ろした先の森の向こうに川が流れているのを確認する。
「おおまかな位置はここらへんで、寄宿舎はあっちらへんかな」
小さくつぶやく大川くんの頭には、山中崎のマップが広げられていた。
ゴールまでの距離を頭の中で計算して、次に自分がやるべきことをシュミレートする。
僕は僕が想像しているよりもはるかに、大川くんがいろいろ考えていることに驚いた。
人のうめき声、絡みつく熱気、荷台の扉が開いて、よろよろとその場から逃げようとする血を流している数名の大人と、ご丁寧に無理やり連れだされている五代くん。五代くんは今にも倒れそうな様子だ。
「ゴー! 逃げるぞ!!!」
五代くんを連れている連中を突き飛ばして、大川くんは五代くんの腕を引っぱる。
「……ぁ」
呻く五代くんの目の焦点は合っていない。一見したところ大したケガはないけど、朦朧としている表情からドラマのように薬を嗅がされた可能性があるかも。
大川くんは五代くんを攫うようにして、その場から逃げた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大川くんは五代くんを背負って、必死に走る。走る。
追手から逃れるために、道路から外れて山道に出て、夜空に浮かんでいる月と星の位置をたよりに、道路から見えた絹衣川《きぬえがわ》へ向かおうとした。川を頼りに北西に進めば警察と友達がいる寄宿舎に到着する。
初日に教官から近くで迷った時の言葉を頼りに、大川はぐったりしている友達を背負って、街灯もない整備されていない道を走る。濃密な森の香りに、小学校の嫌な記憶がよぎるけど、そんなことを言っていられない。
「ったくよ、みんなで免許取ろうって思っていたのによ」
ぼやく大川くんは体中が汗まみれになって、汗の匂いに吸い寄せられた蚊に全身刺されたにも関わらず、歩みを止めようとしない。ぶつけた場所が疼くけど我慢するしかない。
大人は頼りにならない。助けてくれる存在なんてない。だから、自分で何とかするしかないんだ。
そんな自分を追い詰めるような、友達の思考に僕は不安を覚えた。
大川くんは川へ出ると、月を見ながら北西へすすみ、強く強く願う。
どうか友達を助けられますように。このまま、無事に寄宿舎まで到着できるように。
夜も更けて、川を歩き続けた大川くんは、視界の端に灰色の建物が見えた瞬間、全身の力が抜けていくのを感じた。朋子の友達が殺された殺人現場だ。あと、もう少しという希望に心の中に光が差し、助かったという安堵が警戒で凍てついた心を溶かしていく。
あと、あと少し、あと少しだった。
【つづく】
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