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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_31_中学生編 09

 怒りと気まずさで、僕たちはお風呂に入った。業者が入って、以前よりキレイになった浴槽と、僕たちより前にたくさんの男子生徒が入ったのにも関わらず透明感を失わないお湯に、中学の僕は顔には出さないものの、ある種、感動を覚えている。

 やっぱり、衛生面を考えると、僕たち子供だけで掃除を任せるなんておかしい話なのだ。大人の僕は思い返して、中学時代の自分を取り巻く環境の悪さにため息をついた。過去を変えることはできない。それに、早瀬くんと物部くんは、大人になってからも友情が続いた友達だ。二人に出会えなかった、もしもの世界を考えるのはナンセンスに等しい。

……だけど、早瀬くんが自殺するなんて思わなかった。物部くんは意識不明の重体で、一生目覚めないと医者から言われた時、絶望した。そして、大人の僕は物部くんに寄り添わずに、身勝手にタイで全身整形。

 大人の僕は、最低のクズを極めている。

「…………」

 かえって、中学の僕は、体中が痣だらけの状態の五代くんに、どう声をかければいいのか分からないから、大川くんと早瀬くんに助けてもらいたいと黙り込む。

「公博、貴子さんはちゃんと避難させているよ」
「!」

 僕は園生くんが、五代くんに話かけることに驚いた。
 五代くんは少し驚いて、眼鏡をかけていない顔を少しほころばせる。赤く腫れた頬、目の周りの青痣がとても痛々しいのに、浮かべる笑みは安らかで、二重の瞳の奥から凪いだ湖が見えた気がした。

「ありがとう、緑」
「いいっていいって、報酬代わりに君の秘蔵エロ本【熟女100選】はみんなで回し読みしたから、これで良いよね?」
「うわあああああ、死ねえええええぇ」

 うわんっと、五代くんの叫びが浴場に反響する。
 顔を真っ赤に取り乱して、園生くんの頭を掴んで湯船に沈めようとする五代くん、そしてバタバタもがく園生くんに僕たちは内心合掌する。

「ていうか、大丈夫か? こんな状態で風呂なんて」
「あー、多分、ダメだよね。だけど、とてもクソな気分だったからさっぱりしたかったんだ。寮が放火されたって聞いていたしね」

 大川くんに話しかけられて、五代くんが園生くんの頭を放すと、癖なのか眼鏡のない顔に指をやった。眼鏡の位置を直そうとしたのだろう。

「じつは、つい先日――」

 話によると、五代くんは先週に警察から解放された。だけど、帰されたのは寮ではなく五代家であり、学校も慎重な姿勢と言うかいっぱいいっぱいだったんだろうね。自宅養生のていで五代くんを自宅に謹慎させていた。

 疑わしきは罰せずとはいえ、五代くんの疑いが晴れたわけではない。
 なぜ彼は、寮長の不正を見て見ぬふりをしていたのか。五代くんだってバカじゃない、掃除当番という名目で、やり場にしていた事務所の後片付けをしていたのだ。いつか火の粉が、自分の身に降りかかってもおかしくないと考えていたはずだ。

「なぁ、五代。なんでや? なんで、チューの不正を誰も相談しなかったんや? ワテに相談すれば、一発で解決したやないか」

 あれ? 早瀬くん。なんで五代くんの痣について訊かないんだろう?

「…………わかっている。君に相談するのは最終手段にしようとしたんだ。掃除のときに偶然聞いちゃったんだよ。去年の件で、野球部の顧問がチューを脅していたんだ。早瀬に報復したいから手を貸せってね。寮長は渋っていたけど、見返りとして女の子とヤリタイ。……売春していた女の子の斡旋は、野球部の顧問がやっていたんだよ」

 その場面を思い出したのか、五代くんの顔に影が差した。

「イヤになっちゃうよね。美味しい思いはしたい、だけど自分に火の粉がかかるのはイヤだ。顧問の先生が、早瀬にどんな仕返しをしようとしたのか。もう、こんな状況じゃわからないし、確かめようもないし、……いろいろと確定した材料を集めて、二人が言い逃れできない証拠を握ったら、理事会に相談しようとしたんだ」
「けど、もっと早く相談出来たんじゃないの?」

 僕が納得できずに言うと、五代くんは少し傷ついた顔をした。

「確かに、だけど大人たちは僕たちが思っている以上に、鈍重なんだ。疑わしきは罰せず、間違えている性善説を振りかざして、事態が悪化しない限り動かない。……療養所で君が虐待されても、大人たちは見て見ぬふりをしただろう。学校もかわらない、どこに行っても結局同じなんだよ。相手を追い詰めるレベルで、言い逃れのできない証拠を固めないと、梃子てこでも動かない」

 顔の痣を撫でる五代くんは、マスクをつけていない僕の醜い顔を真っすぐ見た。

「あーあと、物部の意識は戻って、警察に事情聴取されているよ。今度みんなで、見舞いに行こうか」

 堂々と話題を逸らされた。そう思った。
 早瀬くんは五代くんの回答にそこそこ満足したのか、これ以上追求しようとしない。

「物部君は、大丈夫なの? 後遺症は?」

 園生くんが苦し気に訊いた。切実さをにじませた黒い瞳が、風呂に入っているせいなのか潤んで見えた。
 園生くんはずっと気にしているのだ。自分が見回りをお願いしなければ、物部くんがケガをせずに済んだから。

「親父の話だと、意識もはっきりしているし、後遺症もない。とはいえ、頭だからね。すぐじゃなくて、ちゃんと検査と診察を重ねて、来月には退院する予定だよ」

 そういえば五代くんのお父さんは、山中崎で一番大きい病院の医院長だった。なるほど医者繋がりで、物部くんの状況が分かったんだ。

「……ねぇ。公博の痣って、幸博さんがやったの?」

 僕は苛立つ。園生くんが、五代くんの身を案じることに。五代くんの確信に踏み込む親しさを、園生くんが持ち合わせていることに。
 小学生の頃の忘れられない思い出。赤い車に投げ捨てられるように下ろされた、傷だらけの五代くんが、膝を抱えて泣いているような気がした。

「まぁ、そういうところだよ。受験に失敗して、家から一歩も出やしない。最近はパソコンであやしげな情報を仕入れて、それを本当だと言い張って、家の中で暴れている。五代病院の期待の跡取り息子は、みごとに人生の落後者になったわけさ。とはいえ、このまま家にいたら殺されるからね。自力で抜け出してきたわけさ」
「五代くん、その、痛くない?」

 自力って言うことは、こんな傷だらけな状態で、山中崎からB市のここまで来たことになる。
 五代くんは少し儚げな笑みを浮かべて、ふぅと唇から細く息を吐いた。
 わかってる。どう見ても痛いはずなのに、僕の浅くて馬鹿らしい問いかけは、君を不快にさせるのには十分だ。

 大丈夫じゃない人間に、大丈夫って? いわれたら「大丈夫」っていうしかないじゃない。

「痛いよ。とーても、痛い。しかも、寮が放火されたって聞いて、びっくりしたよ。幸いけが人もいなかったみたいだし、放火の犯人も捕まったし」
「ちょっと待て! 犯人、捕まったのか!」
「あぁ、今日の朝に親父から聞いたよ。犯人はホームレスで、宮ノ川学園のOBで、元、野球部だ。ホームレスが言うには、野球部の顧問から依頼されて火をつけたらしいけど」
「「「!!!」」」

 どこからどこまでも野球部。
 なぜ、そこまで恨まれないといけないんだ。 

 去年のことが端を発しているとしたら、謝らせたことのなにがわるかったというのだ。

「だけど、私は出来すぎていて、放火の犯人は別にいるんじゃないかと思っている」
「え?」
「ほかにもだけど、物部にケガを負わせた犯人も野球部じゃないと、私は推理しているんだ」
「おいおい、マジかよ。ゴー聞かせてくれ」
「うん。まず、警察が来る前に私が物部を応急処置して、後輩たちに話を聞いたのは、杉藤は知っているな?」
「う、うん」

 そうだ。その後、五代くんは後輩と一緒に警察に連れていかれて。

「私の中で確定しているのは、物部にケガを負わせた犯人は、あの後輩二人だ。話を聞いてみると、二転三転ところころ証言を変えるし、投石のケガにしては、物部の怪我が酷い。まるで、後ろから鈍器で殴られたような……とはいえ、頭蓋骨の陥没が免れたのは不幸中の幸いだけど」
「…………」

 事態を推理する五代くんに、僕の頭が真っ白になりそうになった。確かに、僕たちは野球部のさぼりの部員を見ていない。野球部が後輩や猫に石を投げた場面にも居合わせていない。

 すべて、後輩の言葉を前提に場面を想像して、それが真実だと思い込んでいた。

「だけど、目が覚めた物部の記憶次第で、警察は野球部犯人説を無理矢理押し進めるだろうね。警察の本丸は顧問の逮捕だから、逮捕に至るまでの過程はそこそこ整えたいんだろうけど」

「「「「…………」」」」

 五代くんの話に、僕たちは黙り込んでしまった。

 どうしよう。物部くんが後輩を庇ってケガをしたって、大々的に学校で言ってきたから、みんなにバレたら学校での居場所がなくなっちゃうよ。

「ん? どうしたんだ、杉藤。暗い顔をして」

 五代くんが落ち込んだ僕の顔を覗き込んで訊いてくる。直視に堪えない僕の顔をちゃんと見て判断してくれる彼は、本当に偉いと思ってしまう。

「じつは……」

 僕は五代くんが警察に連れていかれている間に、学校で起こったことを話した。

「なるほど、私が警察に連れていかれた後にこんなことが」

 彼がいてくれたら、僕たちはこんな軽挙妄動に走らなかっただろうか。
 恥ずかしい、恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい。
……そして。

「とはいえ、物部を連れてきた後輩共が、あの時になにをしたのか気になるな。あの日、暑かったぞ。ネコに餌をあげた時間帯を考えたら、もうちょっと日が暮れた時間にすると思うし」
「すごいやないか。探偵顔負けやな~。今度から先生って呼んでもええか?」
「そのついでに訊くが、早瀬。私の疑問に答えてくれないか」
「なんや?」
「お前は寮長の不正に、どれくらい気づいて、実際のところ、どれくらい介入できた?」

 鋭い五代くんの口調に、なぜか僕は居た堪れない気持ちになった。大川くんはなにか言いたげな顔になり、園生くんは涼しい顔で事態を静観している。
 この場の空気が淀んだように感じるのは、僕たち自身が後ろめたいことを感じているせいだろう。

「あー、そうなるわなー。横領していたんわ、うすうす気づいてたけど、あそこまでアホなのは知らんかったわ。去年、謝らせんのができたのは、チューの方もその方がお得やと分かっていたからや。妥当な判断やと思っていたんやけど、顧問がまさかの曲者だったっちゅーわけか」
「そうだ。ところで、私の場合は慎重に重ねた結果、相談するのが遅れただけだけど、君の方はどうなんだ? 早瀬? 君が一言いえば、寮長は考えを改めて、横領と中抜きから足を洗って、私たちは正常な学生生活を謳歌できたのかもしれないぞ?」
「それはすまんな、前の学校はここよりひどかったから、感覚がマヒしていたんや」
「……一応、信じておくけど」
「先生。信じてーなー」
「…………」

 僕は湯船に顔を半分沈めて、ぼんやりとした頭で二人の会話を聞いていた。早瀬くんと五代くんのおかげで、パズルがはまっていくようにいろいろと分かって良かったと思う反面、僕は怒りと羞恥でのぼせそうになった。

 僕たちに恥をかかせた、あの後輩二人を絶対に許さない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

――どくん、どくんと脈を打つ。

 五代くんを休ませてあげるべきなんだろうけど、五代くんも話が訊きたいと言って、僕たちに付き合うことになった。

 いろいろと話し合って、用意をする。話し合いを円滑にする小道具と、僕たちの溜飲を少しでも下げるために。

 二階の事務所にはまだ職員がいる。大人たちに気取られないように、僕たちは後輩二人の部屋を訪ねて、二人をうまく裏庭の東屋まで連れ出した。

「あの、先輩……」

 バキッ!

 後輩の一人が何かを言う前に、早瀬くんと大川くんが後輩二人の顔を殴りつけて、流れる動作で両手をガムテープで縛り上げる。逃げ出さないように二人の足を五代くんが洗濯ロープで縛って、園生くんが後ろから二人の顔をタオルで覆って視界を塞ぎ、僕はマスクを外して二人の心を読み始める。

「……ねぇ、君たちは自分が何をしたのか分かっているのかな? 物部くん、意識を取り戻したらしいよ。彼がなにか話す前に、僕たちに本当のことを話した方が良いんじゃないかな?」

 僕はなるべく優しく話しかけた。後輩の匂いから驚きと怯えが、少し薄らいできた。
 が、次の瞬間に汚物を鼻先に突き付けられたような、とてつもない汚臭が、シュワシュワと音をたてて爆発する。

「ねぇ、なんで、物部くんを襲ったの?」

 イヤな予感を覚えながら、確信に触れるセリフを吐くと、口の中から二人の汚臭が入ってくるのを感じた。全身が汚物色に染まっていきそうな、汚くて悍ましい匂いに、生理的に涙がこぼれて胃の奥がせりあがっていく。

 クサイ。キモチワルイ。イヤだ。

「あーあー。ここまで分かっているんだ」
「だって、仕方がないじゃないですかー。タバコ吸ってんの、見つかりそうだったんですよ」
「部屋でタバコ吸えないしね」

 え? それだけの理由なの?

「匂いつくし、チューに見つかったらうるさしい」
「一人で吸うよりも、二人一組でまわりを見張りながら吸うのが、常識っていうか。三年の先輩たちは、野球部のせいにしてビールも飲んで、そこらへんに捨ててたし。吸い殻ちゃんと捨てていた俺たちの方が、マシっだっての」
「それに神戸から来たんでしょう? だったら、こうなって当然というか」

 居直って好き勝手に話す後輩たちは、なんの罪悪感も感じていなかった。野球部がやったと思っていた缶ビールのゴミや、まさかタバコまで寮生が犯人だった事実に、許されるなら耳を塞いでこのまま叫び出したかった。

 絶句する僕たちは、タオルで目隠しをされた後輩を見た。「いたいんですけどー」と、ふてくされた様子がとても不気味で、同じ人間とは思えない。

 普通の顔をしている時点で、この二人は僕より恵まれているはずなのに、どうしてこんな腐った考えかたをするのだろう。

【つづく】

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