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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_85_現世編 03

「こちら、公安から依頼された協力員の葉山です。ただいま事件関係者から聞き取りをしたところ、この座敷牢に隠し部屋があることがわかりました。場所は――」

 葉山はパソコンのスピーカーをONにして、モニター越しに話しかけると、作業を行っていた男たちは一斉に顔をあげた。葉山は手短に隠し扉のある場所を提示して、開くための仕掛けがあることを伝えるのだが、一分一秒でも惜しいのだろう、持ち込んできた機材の中からエンジンカッターを取り出して直接壁を壊し始めた。
 獣のように唸る円形の刃が、バターを切るようにあっけなくコンクリートの壁に沈み込み、派手にオレンジの火花が散って床に落ちる。

「園生さん、他にも隠し部屋がありますか?」
「あ……いや、そこ以外は知らないな」

 いきなり壁を壊し始めた光景に、やや呆けた表情をする利喜は目前の光景に複雑な表情を浮かべて「これでよかったんだよな」と、ぽつりとつぶやく。

 エンジンカッターが切り裂いた先にはぽっかりと空間が広がっており、一人入り込めるほどの横幅を持った通路が続いていた。
 現れたのはコンクリートで四方を固めた通路だ。目を凝らせば、通路の先にはハンドルのついた堅牢な扉が異様な存在感を放っている。

 ここになにかがある。いや、なにかがないとおかしい。
 そう思わせるほどの不気味さと不自然さがあった。

 作業員たちはその先を、懐中電灯を持って躊躇うことなく進む。作業員たちの動きに合わせて、モニターの景色も移動して部屋の入り口まで映し出す。

……この部屋にあるのはもしかして。

 福田の中にあるのは学生時代の貴子の笑顔。彼女は美しい笑顔を浮かべて「核爆弾の場所がわかった」と言っていた。
 灯台下暗し。非核三原則が出来る前にソ連から日本に流れてきた核爆弾は、この扉の先でずっと眠っていたのだろうか。

 けれど、だけど、だとしたら。
 どうして貴子は実行にうつさなかったの?

 ノストラダムスの大予言を、世界の終末を待ち望んでいた彼女は、そこに核爆弾があったらためらいもなく起動させていただろう。

 なら、この先に待ち受けているものは――。

 杉藤本家がほぼ死に絶えて、園生家が住み込みで管理していた武家屋敷。当然ながら貴子も隠し部屋の存在も知っていただろうし、園生家の人間も知ったいた。けれども、福田が知っている園生 緑の父である園生 利信そのう としのぶは、核爆弾と同居できるほど肝の据わった人間ではない。

 本来の壁の上からコンクリートで塗りつぶした意図。
 利喜は仕掛けで扉が開くと思っているみたいだが、仕掛けを見つけたとしてもコンクリートを塗られた分、扉は固く閉ざされたままだ。

 この部屋を隠ぺいしようとした人間は、なにを隠そうとしていた?
 なにを隠したかった?
 それは、なんのために?
 もしも、もしも……。

 そこまで考えて、福田の背筋を冷たいものが走った。
 思い出の中で園生 緑が笑っている。
 いつか友達に殺されることを彼は福田に語っていた。

 もし、未来を視ることができる杉藤 貴子から、自分の末路を知らされていたとしたら、園生 緑はどんな行動をとるのだろうか。

 福田に託された骨壺の手紙。葉山が遺してくれた記録。目の前の光景。
 自分の知っている過去、知らない過去、通り過ぎた時間の残骸が一つの意思となって流れを作っている。

 その中心にいる人物は杉藤 貴子だけれども、彼女はなにを願ってこの流れを作り出したのだ? 彼女は自分の知らないところで、どこまで他人の人生に介入した?

 例えば……。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 自分の信じていた現実が、ぐにゃりと溶けた飴のように音をたてて変質する。
 緑が福田と接触したのが杉藤 貴子の指示だったとするなら、貴子はなにを見通していたのだろうか。園生 緑はどんな気持ちで自分と関わってきたのだろうか。
 楽しそうに福田に対して懐き、自慢し、無邪気に笑っていた少年は、自分の知らない一面を持っていた。
 誰にも立ち入ることのない暗闇を持ち、とらえどころのない影を心にまとっていた。
 それはすべての人間にあてはまることだ。
 そんな当たり前のことなのに、胸の中で感情が淀んで黒い血が滲みだして止まらない。苦しすぎて涙も出ない。

「おい、大丈夫か? 休んだ方が良いんじゃないか」

 葉山越しに利喜が心配そうに話しかけてくるが、福田は「大丈夫」と辛うじて声を出す。自分は見届けないといけない。そんな義務感に突き動かされている時点で、すでに自分は手遅れなのだろう。

 秘密を守る扉の端がボンっと小さく弾ける。

 扉の性質から、エンジンカッターではなく火薬を使って強制的に開錠させたのだろう。灰色の煙が立ち上り、隠し部屋の扉はゆっくりと開いた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「あ、これって」
「ふむ。たしかに、園生 緑が考えそうなことだな」
「……」

 息を呑む利喜に、福田は少し彼が気の毒に思えた。利喜の頭の中では「どうして自分はあの時、その場にいなかったのか」という悔恨と、現実でその場に直面した場合の、己の行動とのギャップに懊悩しているのが分かっていた。

 開かれた先に現われた小さな部屋。簡易なベッドとテーブルの生活スペース。だけどなんで、白骨化した死体が二体も床に転がっているのだろうか。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「うわあああっ」

 
 突然、利喜が悲鳴をあげた。
 恐怖と驚きのあまりに、イスから腰を浮かせるきわめて健全な反応だった。

 死体を発見した作業員たちも一斉にどよめきだして、四分割されたモニターの一つがブラックアウトする。
 葉山が息を吐いて、隣に座っている福田も深呼吸を繰り返し肩を小さくまわした。利喜は呆然として頭を抱えるが、福田は声をかけるつもりはない。
 安易な同情はかえって怒りを買うものだ。

「驚いたわ」

 そう言いながら、福田はなんとか冷めた頭で考える。消去法で園生 緑がこの部屋を隠したのだとしたら、この二体の死体は誰と誰なのだろうか。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 うっ……うっ……。

 利喜は廊下に走り出して数分後、トイレの方から嗚咽が聞こえてきた。
 涙と吐瀉としゃを何度も繰り返して、全身の水分を絞りつくしても止まることのない、解消できない現実を彼は嘆いていた。

「どうやら白骨死体を見たせいで、園生さんは耐え切れなくなってしまったようだね」

 わざと説明するような言い回しで、葉山はパソコンを操って録画したデータを再生した。抜け目がないと福田は感心しつつも、輝きを帯びている葉山の瞳に言いようのない嫌悪感が募る。

「見てくれないかい。骨の色が違う」

 そう言う彼の声は隠し切れない喜びがあふれ出ていた。死体発見時の場面で静止ボタンを押して、しげしげと眺める横顔は少年のようにあどけなく、園生 緑を想起させるものだ。いや、園生 緑の方が葉山を模倣したのだろう。
 立ち直れない心の傷を治すには、優しい思いやりや寄り添う心よりも、劇薬が必要な場合がある。葉山に幾重にも重なる面影が、亡霊が、思い出が福田のまわりを取り巻いている。

「ずいぶんと無造作に放り込まれたみたいだね。この部屋に死体を隠した人間は、よほどの怒りを募らせていたか、それとも慌てていたか」

 福田は葉山の言葉に耳を傾けつつも、努めて冷静に振舞おうとしていた。折り重なるように倒れている二つの白骨死体。下敷き状態になっている死体は、濃いクリーム色に変色しているだけで特筆した特徴はないが、上の方の死体は頭蓋骨が異常な変形をしていて、じっと見ているだけで鳥肌が立ってくる。

 下の白骨死体がまともな形をしている分、上の白骨死体の異様さが際立って、果たして同じ人間の死体なのかさえ怪しく思えてきて、福田の意識は「これは現実ではなく、ドラマの撮影ではないか」ともたげてくるが、モニター越しに自分を見つめている葉山の粘りつくような強い視線に、これは現実なのだと理解させられる。

 その死体の頭蓋骨はボコボコと凹凸おうとつが目立ち、デタラメに穴が開き、前頭部と後頭部辺りにはフジツボが貼りついているような不気味な突起が、幾重にも生えていた。

「あぁ、すごいな」
「えぇ、すごいわね」

 頬を高揚させて声を上ずらせる葉山と、青ざめた顔色に引きつった声を出す福田。
 おおよそ人間とは程遠い造形の死体に対して、正気を保とうとしている女と、狂気に身を委ねている男。
 ごくりと唾を飲み込む音の生々しさが、福田の緊張を表している。

 人為的ではなく、自然に出来たことが伺える滑らかなフォルムの凹凸おうとつ。開いている場所はでたらめなのに、真円を描いたようなキレイな穴たち。福田はごつごつとしたフジツボの部分を凝視するうちに、黒い海へと深く沈み込んでいくような息苦しさに襲われる。

【杉藤】……【フジツボ】……【藤壺】……【杉頭】……【杉】……【進木ススギ】……【ギ】……【みそぎ】……。

 山神の使者だと自称した一族は、なにをもって自身を【杉藤】と名乗ったのだろうか。

 知識とイメージが結合して、変転する文字が一人の人間へとぞうを結んでいる。
 おとぎ話で馴染みのある【鬼】に近いようでいて、もっと原始的な生物。おそらく自分たちが知るよりもずっと以前から存在していた、人ならざる者たち。
 人間と交わりをもったことが不幸の始まり。
 切り拓かれる山と荒れ狂う川、疫病で倒れ続ける人々の姿が二人には見えた気がした。

 平安時代のいずれ、まつりごとを疎かにした貴族と重税に耐え切れず、人々は自らの棲家を捨てて山の奥底に潜っていった。本来ならば人が住むのには適さない土地、そこを無理矢理切り拓いて生活圏を得ようとして失敗した人々は、人ならざる者に縋ろうとしたのではないか。

 杉の芽、フジツボ、異形の頭部を持った存在。彼らを人の枠に封じることで、山中崎は平定した。

「あぁ、そういえば。フジツボも杉の木も雌雄同体だったな」

 思い出したように話す葉山の言葉に、福田の意識は現実に戻される。
 なんだか長い夢を見ていた気がするのだが、今は浸っている場合ではないのだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 まだ利喜がトイレから戻ってこない。

「けど、結局。その死体はだれなの?」

 死体の異様さから【杉藤家】の人間だと頭から決めつけてしまった。しかし、臓腑にしっくりと落ちてくるような直観が、この死体が杉藤家の人間であることを告げている。

「うーん。一見して女性的な骨格だけど、この死体は男性のようだね。下の白骨死体は女性かな」

 自分の分析を声に出す葉山は万能感に酔っているようだ。まるで自分がすべてを俯瞰している神のごとき存在に置き換えて、福田も含めてすべての人間を見下ろしている。

「現時点の判断で、園生 緑がこの二つの死体を隠したとしよう。死体を隠した意図はなんだ? 隠し扉をコンクリートで隠して、おまけに入り口は閉じた当人か、火薬を使わない限り破れることはない……。どうしてこんなに念に念を入れて隠した? メリットは?」
「……それは、私達に見つけさせるためじゃないかしら」

 意図せずに、するりと唇から出た言葉に福田自身が驚いた。
 だってそうだ。葉山が公安本部からアドレスを盗まないと、隠し扉の存在を知る利喜がいないと成立しない。
 隠し扉は遅かれ早かれ発見されていたかもしれないけど、今この時点で死体が見つかったことに意味があるのだろう。
 画面の隅が赤く点滅し、緊急のメッセージがモニターの片隅に表示されている。

 どうやら起爆コードが発動してしまったらしい。

【つづく】

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