【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_46_現代編 04
202×年6月
福田は墓の下にしゃがみ込んで、墓石の台の周辺に擦り跡があるのを確認する。
「ねぇ。ちょうどいいから、この墓石をどかせてくれないかしら? 思った以上に重そうなのよ」
そう園生 利喜に頼む福田は、老いた顔に複雑な感情を宿らせて寂しく笑う。園生 利喜も老いた猿顔を歪めて「はいはい」と諦念を滲ませて笑みを浮かべると、自分たちの不思議な巡り合わせに目に見えない存在を感じていた――多分、杉藤貴子だ。
死んでからもずっとここに縛られた存在。彼女と杉藤俊雄は、杉藤家に生まれてさえ来なければ、常人が目を逸らしている怖れと、日常的に対峙し続けるハメになった。
人は結局、見かけが九割。醜い外見というハンディを背負って、彼女たちは見事な道化役として権力を高めてきたものの、杉藤俊雄は常に怒りと不満を募らせて、見事な怪物として世間に認知されてしまった。
「よいしょっと」
利喜が墓石を持ち上げて横にスライドさせると、四角い口が開いて骨壺が並ぶ空間が広がっている。その中で異彩を放つ骨壺を見つけて、全身に鳥肌が立つのを止められない。
園生 利喜の兄が言っていた『悪趣味だ』と言っていた骨壺。
「これ、もしかして貴子さんの骨壺か?」
「へぇ、そうなんだ」
呆然と呟く横で、福田は無感動の瞳でソレを見下ろしていた。
「なんだよ、もうちょっとうれしそうな顔をしてくれよ」
ハァ。自分が望んだ反応じゃないからって、ねぎらいの要求するのは間違っていると思うんだけど。
とはいえ、それを口に出すほど若くないことを実感して、手の中で冷え冷えと存在感を放つ骨壺を見ながら福田は言った。
「そうね。ありがとう」
自分でも驚くほど感情がこもらない声。愛しい貴子と別れて半世紀以上の時間が経過している。彼女との思い出は常に劣化し続けながら、自分の中に溶け込んでいき、そしてここへ導いた。
これは感動的なものではなく、必然的なこと。
私は求められてここに立っている。
「けどね、骨はもうないと思うのよ」
呆気なく開いた骨壺の詮。少し焦げた匂いが鼻を突き、私の顔を這いまわる灰色の手を見た気がした。妄想だろうが現実だろうが構わない。現実も虚像も、そう思えばそれが本当になり、多数の人間がAを本物だと選ぼうとも、誰か一人がBを選べば、AとBは等しい意味で本物――だから、気にしてもムダなのだ。
福田は詮をコートのポケットにねじ込んで、骨壺を逆さまにした。骨ではなく布擦れの音がして、隣にいた利喜が怪訝な表情をつくる。
「なんだ? 骨が入っていねぇのか?」
「やっぱりね」
そう、20年以上前、和樹が自宅に訪ねてきた時から予感がしていたのだ。杉藤家の墓に入るのを嫌がっていた貴子。その思いを汲んだ人物は、果たして貴子を普通に弔う神経を持ち合わせているのかと。
私だったらと想像して、笑えて来る。
くっと唇を持ち上げる福田の姿に、利喜はぎょっと顔をするが無視する。彼にとって彼女は、つい先ほど絶叫したり墓石を動かすことを要求したり、いきなり笑ったりするのだ。ヤバい人間だと認識されてもおかしくない。その認識を修正するつもりなんて、わざわざするつもりもないから無視をする。
「なんか、紙が入っているみたいだけど、中で引っ掛かっているみたいね」
骨壺を逆さまにして骨壺の内部を凝視すると、小さな暗黒の中でやや褐色に変色した紙がひらひらと中で踊っているのが見えた。
ゴツっと、中で擦れる音から、何枚もの紙を無理矢理折りたたんで詰め込んだ印象を受けた。
「緑君の手紙かしら?」
園生 緑は自分が殺されることを予期しており、自分の墓に杉藤 貴子の骨壺を隠した状況。かなり切羽詰まっていたと思われるのだが、彼は生前、福田になにを託そうとしたのだろうか。
居並ぶ骨壺の中のどれに、園生 緑の骨が入っているのか、もはや誰にも分からない。叔父の利喜にも福田にも。
骨だけになった彼には、福田に語る口もない、コミュニケーションに必要な言語を構成する脳もない。その人が生きていたと証明する墓石だけが、霊園の塀が作る影の中でひっそりと嗤っているだけだ。
「ねぇ、緑君の納骨の時、貴方は立ち会ったの?」
ふとした疑問だった。貴子の骨壺は一体いつ、ここに納骨されたのだろうか。園生 緑の生前だとしたら、彼の納骨の時に貴子の骨壺が嫌でも目につく。
「いいや。杉藤側が全部とりしきった……けれど」
だとしたら、貴子の骨壺は園生 緑の納骨の後に墓に入れたことになる。
入れたのは誰だ?
即思い浮かんだのは杉藤 俊雄の共犯関係らしき、学生時代の友人たち。
大川 直人は若年性癌で逝去。
早瀬 樹は自殺。
園生 緑は事故死らしいけど、口封じの為に殺されたらしい疑惑がネットの考察動画で上げられいる。
五代 公博は行方不明。
物部 雪彦は噂だと、意識不明の重体らしい。
消去法でいくと、骨壺を園生 緑の意思を汲んで入れた人物は、五代か物部の二人になる。
「ねぇ、この場で骨壺を壊したら怒られるかしら?」
「あ? 正気か? 骨壺を壊すんだぞ? お前と仲良かった杉藤貴子の骨壺だぞ?」
疑問形に疑問を重ねる利喜に福田はふっとため息をついた。まともな人間がこの場にいるのが、ありがたいのか煩わしいのか分からない。そして、なにも言わずに叩き壊せばいいのに、わざわざ利喜に問いかける自分の気持ちも分からない。
「壊すわ。だって、骨壺だもの」
愛があったとしても、お互いを永遠に独占することができない。魂と魂を一つに出来ないからこそ、子を成して、疑似的な永遠を形作る。
けれど、同性の場合は? 女同士は? 男同士は?
福田はちらりと利喜をみやり、恐々と彼女の行動を見守る男を観察する。福田の行動が倫理の外にあると分かっても、結局なにもしないこの男は永遠を欲しがったことがあるかしら? と、学生時代に思いを馳せて、そして骨壺を地面に叩きつけた。
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がしゃん。と音をたてて、天使の羽根が砕け散り、そしてただのゴミになる。人間の体と同じ。墓に入る骨たちも、生前の行いがあるから丁重に葬られる。
死んだらただのゴミなのに、わざわざ金をかけて葬式をして年会費を払いながら墓を維持する、ゴミに価値を与える死へのこだわり。
霊園の墓石たちは、恐らく色んな人々を眺めてきた。死の前の無力さを滑稽さを、そして生への苦しみを。
福田は砕けた欠片から折りたたまれた紙を摘まんで持ち上げる。 折れた部分と端の部分が褐色に変色して、規則正しい四角の褐色がかすれた字と共に連なった悲惨な様相となっている。
「これは、緑君の字ね」
貴子の手紙ではないことに福田は少し安堵した。
彼女の安らかな眠りが、どうかこれ以上、穢されないように。
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20枚に及ぶ手紙にはこう書かれている。
『この手紙が、僕が望んだ人に届いたことを信じて――』
福田と明言せずに『僕が望んだ人』と言うことは、この骨壺をだれかが探しにきた可能性があったのだろうか。
素知らぬ顔で砕けた破片を簡単に掃除して、燃えないゴミのダストボックスに放り込んだ福田は手紙をもって車にもどっていた。普通に利喜もついてきたのが、少し笑える。
鈍色の雲が重苦しく垂れこめて、車内に湿った空気と土の匂いが漂ってきた。もしかしたら雨が降るのかもしれない。
「なんで緑のヤツ、こんな回りくどいことをしたんだ? なんで、オレたちを頼ってくれなかったんだよ」
ぼやく利喜は助手席のシートに深く腰を沈めて、痛ましげに眉根を寄せた。この男は、学生時代の園生緑とどの程度関わってきたのだろうか。それ以前に、彼の両親も。私も。
福田は知っている。【彼ら】には手を差し伸べる大人はいなかった。
終わらなかった世界で、周囲に振り回されて大人になった子供たちは、自分たちを助けなかった大人を真似て、腐った果実が潰れ合うように次々と自滅していったのだ。
そう、すでに、彼らの破滅は約束されていた。
はぁ、とヤニ臭い口臭が鼻に突いた。
利喜が隣でため息をついたのだ。福田もつられてため息をつきたくなるが、そんなことはいつでも出来る。今優先するべきは、園生 緑が生前に残したこの手紙を読んで、己の中でわだかまっている、泥沼のように混沌としたこの感情に決着をつけることなのだ。
視線を落として目を凝らす。
折りたたまれたルーズリーフにボールペンで殴り書きされたような文体は、「あ」が「お」に見えたり、「や」と「ゆ」の区別がつかなかったり、正確な内容を理解するのには時間が必要だ。
「なぁ。例の動画の投稿者に、この手紙を渡してみないか」
「あ?」
思わず不機嫌な声が出た。 利喜は甥の悪筆を見て、そうそうに見切りをつけてしまったのだ。しかも、自分たちに協力してくれそうな相手とコンタクトを取ろうという提案に、眉間どころか顔中にしわが寄りそうになる。
「お前が言っていたおかしな動画ってコレだろ?」
【驚愕! 山中崎の闇!!! 殺人鬼は一人じゃない!!!】
利喜が見せてきたスマートフォンには、扇情的な見出しと毒々しいフォントがチカチカと輝いて、バックにマンガのようなキノコ雲が立ち上っていた。
【日本を震撼させた連続殺人事件――しかし、それらは容疑者である杉藤 俊雄単独での犯行だったのか? 発見された大量の人骨、山中崎の山を焦がす青い炎、リーマンショックからコロナ禍にかけて、日本の不景気を隠れ蓑に行われたおぞましい犯行。被害者たちの共通点と死体処理からわかる、複数の犯人。共犯? それとも、殺人鬼は杉藤 俊雄だけではない? そう、幼少の杉藤 俊雄をカウンセリングした私だからわかるのです! 連続猟奇殺人気であり、整形美容ユーチューバーのとっしーの圧倒的存在に隠れて、複数の悪意が蠢いていることを! その根拠は! 続きはこの有料チャンネルにて!】
ちゃっちゃちゃーん。
警戒だけど少し間の抜けたメロディーが響き、画面が有料チャンネルへのリンクに移ろうとしているのだけど、続きを見るには料金を払ってパスワードを入手しなければならない。
そう、福田はその続きをみたからこそ、園生 緑の死に踏み込もうと考えたのだ。この動画の製作者は葉山 甲斐。園生 緑から葉山の話を聞いていなければ、この動画を悪趣味だと一蹴していただろう。
葉山先生はすごいんだよ。ぐちゃぐちゃに壊れたぼくを直してくれたんだから。
――そのニュアンスが【治す】ではなく【直す】という、言葉選びと皮肉さから、園生 緑は葉山という人間を尊敬している一方で、畏怖と恨みに近い感情をいただいていたのではないかと考える。
『僕はいろいろ耐えられなくなりました。友達が死んで、それでもやめてくれなくて、気づいたら四十歳目前になって現実に戻ったんです。怖くなりました。いつまでこんなことを続けるつもりなのかをなんとなく聞いたら、アイツはずっと続けるつもりだと言いました。殺すことを。ぞっとしたんです。どうあがいたって、僕たちはもう若くないのに』
随分、混乱していたみたいね。彼らしくない。
福田の思い出にいる園生 緑は、オリエンタルな顔だちに微笑を浮かべて、皮肉と優越感をない交ぜにした態度をとっていた。
プライドが高くて弱みを見せるのが嫌いな彼が、こんなにも取り乱して、自分の感情の命じられるままに書き殴る姿が想像できない。
つまり、そこまで彼は追い詰められていたのだ。
『アイツは四十だろうと五十だろうと、ジジイになろうともバカバカしいお金をかけて整形手術をしまくつるもりなんです、気に入らないヤツは殺しまくって殺しまくって……。僕は老いた自分の顔を鏡で見て、自分の今置かれている現状を考えて、頭を掻きむしりたくなりました。大川君や早瀬君が生きていたら、アイツをとめられたのかもしれないけど、もうだめなのかもしれません。いやだ、いやだ、もういやだ。僕、もうこんなにオヤジなのに、どうしてこんなことやっているんだろう。どうして。高校に進学するタイミングで逃げればよかった。ただ、ふつうにまともに生きていたかった。だから……』
福田は手紙の一枚目をやっと読み終えて、疲れたように眉間を揉んだ。20ページの文章量を鑑みるに、最初の数ページは自分の心に折り合いと整理をつけるための、冗漫な文が続いていると考える。
読み飛ばした方が手っ取り早いのかもしれないけど。もしかしたら重要な部分が隠されているかもしれない。
そう思うと、読み飛ばすことに抵抗を覚える。
うまいこと行かないわね。
彼女は今年で70歳になる。老眼の瞳には、この文章が難解であり意味を解するための頭も働かせないといけない。さらに読んでいるだけで悪酔いしそうなほどの情念が文章から漂ってきて、読むごとに神経が磨り減っていくのだ。 普通に読んで終れる代物ではない。
この調子だと、全部読み終えるのは困難だ。葉山氏にこの手紙を託したほうが効率が良いのだろう。
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ダイレクトメールを送ると、10分もしないうちに返信メールが福田の元に届いた。
内容は要約すると、
『是非、話を聞きたい。緑君が託した手紙を読ませてほしい』
こんな感じだ。
「ねぇ、園生君。近くにコンビニってあったっけ?」
手紙のコピーを念のためにとっておこう。あくまで念のために。
「あぁ。ちょっと離れているけど、霊園の入り口を出て東に曲がったところをずっと行けばローソンがある」
「そう、ありがとう。貴方はこれからどうするの?」
一応尋ねておく。恐らく、彼も無関係ではない。そして、気づかないうちに結ばれた縁は、また別の場所へ自分たちを運ぼうとしている。これは運命というよりも因縁に近いのかもしれない。
「ついていく一択だ。もう後悔したくねぇし」
そう言って、利喜がガリガリと頭を掻くと、白いフケが羽虫の群れのようにわらわら飛んだ。やめて、車のシートが汚れると、言葉を飲み込んだのは、利喜が自分の想像以上に困り果てて老け込んで見えるからだろう。
それはそうかもと、福田は目を閉じた。
身内が全員死んでいる。幼い頃に面倒を見ていた甥も含めてだ。しかも、園生 緑は杉藤 俊雄の連続殺人に関わっていた可能性があるのだ。ゲスで勘の鋭いマスコミやコロナ禍のストレスで感情の沸点がおかしい人間に、散々絡まれていたのだろうと想像を巡らせた。
ほんとうに、1999年に世界が滅べばよかったよね。
福田はびくりと体を震わせた。同情と独りよがりな感傷で緩んだ思考の合間に、十代だった頃の自分がひょっこりと現れて笑っていたからだ。忘れていた自分自身に再会した瞬間、過去の痛みが蘇った気がした。
【つづく】
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