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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_59_20代編 01

 2010年10月9日(土曜日)

 さようなら、さようなら。
 僕は貴方たちを忘れない、死ぬ間際までずっと覚えているよ。時折思い出して、幸せを感じた時は黙とうを、辛い記憶を掘り起こした時は唾棄を贈ろう。

 葛西 真由……君のことは愛していたよ、だけど君の死体が見つかったら、いろいろうるさいから我慢してね。どうか化けて出ないでね。

 母さん……まさか、子宮頸がんで死ぬなんて思わなかったよ。告知を受けたのにも関わらず、貴女は倒れるまでずっと家族に病気のことを内緒にしていたね。いつも貴女はそうだ。現実を拒否してキレイな夢ばかり見ている。

 父さん……許せなかった。散々、僕に色々行ってきたクセに、自分もちゃっかり整形しているんだもん。母さんの葬式の時、父さんの顔ばかりに気をとられて、正直母さんが死んだことを悲しむ余裕なんてなかった。葬式以来許せない感情が膨らんで、そして殺そうと決意した。

 孝雄に和子……これでよかったんだと僕は思う。だって、父さんも母さんもいなくなって、君たちは見苦しいレベルで狼狽えたね。公的な手続きも葬式の手配もなにもかも僕に任せて、自立しようとしない、山中崎から出ようともしない、なにもできない寄生虫。だから殺してあげた。筋書きは将来を悲観して孝雄が和子を殺しての無理心中で――世間はあっさりと受け入れた。死体が司法解剖にまわされて一瞬ひやりとしたけど、僕の後ろに手がまわることはなかった。

 喪服に身を包んだ僕は、住んでいるマンションに住職を招いて、形だけの一周忌を済ませた。
 だれも僕を裁く人間はいない。

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 家族の納骨は霊園を管理している園生くんに任せて、相続などの煩雑な手続きはすべて僕がやった。父の遺した不動産の中には都心の土地まであって、山中崎以外の土地も持っていたことが意外だった。
 しかも都内の持ちビルに会社が入っているから、それだけでも十分、僕は一生食うに困らない。

 本来は弟と妹を生かすための二人分の資産を僕は独り占めにして、父から引き継いだ不動産会社の役員の仕事は、簡単な相談だけで済むから、僕は好きなだけ時間を潤沢に使えた。

 悩みどころは膨大な資産に比例した膨大な税金だったから、それは後藤さんと相談して資産を運用することで何とかした。

 高校時代に死体を隠したあの廃墟は、更地にして駐車場にした。教習所とガソリンスタンドの中継地点として、思ったより重宝されているようで肩の荷が下りた心地だ。最初は土地の所有権とか、殺人事件が起きたから更地にするための告知義務とか、いろいろ揉めるかなって思ったけど「僕が全面的に責任を持つ」って言ったら、すんなりと話が通った。拍子抜けしたと同時に、責任を恐れる人間が僕が思っているよりも多いことにびっくりする。

 僕が自信満々に声を張れば、みんな喜んで僕の言葉に従った。

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 廃墟のトイレから回収した死体は、白骨化していて干からびた夏ミカンの残骸から回収した。僕たちはみんなで骨を砕いて、川に流して、これで解決したと思いたかった。

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 僕のいない家族写真に、線香を添えた簡易仏間へ住職が読経する。
 神妙に頭を下げて、家族のことを想う風を装う僕は、正座をした膝に拳を乗せてワナワナと悲しむ演技に勤しんだ。
 うっすらと大きな瞳に涙をにじませ、鼻を啜り、健気に耐える未亡人をイメージにして、淡い色のリップをひいた唇に白い歯をたてる。

 ギャラリーは背を向いたお坊さんただ一人だけど、僕は演技に手を抜くつもりはない。杉藤家の人間は僕一人、今や山中崎の注目の的でもあった。整形手術で杉藤顔を捨てたことで、笑えるぐらいお見合いの話が来たときは、内心呆れかえったものだ。

「うっぐっ……」

 僕は耐え切れないという感じに、自然に嗚咽を零して、黙々と読経を唱える住職の耳に聞こえるようにする。声を殺して泣くふりをしながら、今日からの三連休の予定を頭の中で整理する。表面上、春の湖のように静かに喪に伏す期間はこれで終わりにして、そろそろ本格的に始まり、そしてすべてに決着をつけるのだ。

 復讐は我にあるのだから。

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 僕の脳裡に暗黒が広がった。次の瞬間には赤く明滅して、肉が潰れたような悲鳴が上がる。
 これは予行演習だ。葛西 真由を殺した時、予想外の人体の複雑さを前になすすべもなかった。身体能力が高いからうぬぼれていたことは認めよう。
 肌の弾力、皮の肩さ、骨の強固さ。
 肉体は神秘の塊だ。神秘の前では力技は悪手。変な角度で間接に刃を入れると、はさまってなかなか取れなくなる。血なんか、刺す個所に気を付けないと噴水のように飛び出して周囲を汚す。逆に刺す深度が深いせいで止血みたいになっちゃって、致命傷にいたらないからあせっちゃった。

「いたいいたい、やめてやめて」

 懇願する声を僕は左耳から右耳へ流す。そして、僕が逆の立場に陥った時は、決して命乞いなんかしないことを心に誓う。

 2010年あたりに入ってから、僕はその日の為に予行演習を重ねた。
 演習相手は、同じ幼稚園の生き残り。父から杉藤家の仕事を引き継ぐときに、彼らの消息を教えられた。杉藤家を信奉する者たちによって、身体を欠損させて、普通に生きることが叶わなくなった子供たち。

 彼らは山中崎に流れる、Y字の川の下流部にある工場で働いていた。

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 山中崎に流れる二つの川。レジャー施設が連なる三渡川みわたりがわと教習所近くを流れている絹衣川きぬえがわこの二つが合流すると、川は一級河川の宮ノ川みやのがわへと名前を変える。
 平安時代には氾濫を繰り返して、周辺に住まう人々を疫病で苦しめたこの一級河川は、いまやガチガチに護岸を固められて、県境の下流に位置する工場の排水に、日々垂れ流される屈辱を甘んじて受けている。

 同じ幼稚園児だった彼らが働いている工場は、電子機器の部品を作る工場なんだけど、最近は中国の安い部品が台頭しているせいで、不況のあおりを受けていた。しかもリーマンショックで泣きっ面の蜂状態。赤字続きの死に体だ。それなのに、今日まで工場を維持できたのは、彼らの働き口がここしかないから。
 ここしか生きられなくなった彼らを、僕は杉藤家当主として責任をもって処分することにした。

 僕の言葉に疑うことなく素直に従い、一人一人あっさり連れ出される彼らは、あの卒園式の後、どのようにこの工場で生きてきたか知らない。知りたくもない。だけど、僕と大川くんの仲を深めてくれたのは、彼らの心無い振る舞いがきっかけだから、誠心誠意、心をこめて殺してあげようと思った。

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 ごうごうと音を立てて、僕は車にアリを乗せて走っている。
【アリ】と、工場で働かされていた幼稚園の同級生――それを僕は定義した。
 狭い世界と価値観に20年以上閉じこめられた彼らは、顔の造作も身体もバラバラなのに浮かべる表情は、同一であり、虚無であり、僕が彼らを見た時、アリを連想させた。
 女王のいない、働きアリしかいないアリの群れ。彼らは増えることも減ることもせず、流れる時間に流されるまま、職人のいない工場で部品を検品し、部品を各ケースに分けて梱包し、一日中立ちっぱなしのまま、現場監督の指示に従っている。

 現場監督は再就職先を約束したら、あっさりと彼らを好きにしていいと了承した。現場監督は娘が高校受験を控えて、妻は痴ほうの入った姑を介護している。娘が進学するための資金と、妻を介護から解放するために母親を施設へ入れる資金が必要なんだと、言い訳をするように僕に話し出した。

「僕が全部責任を取るから安心して」

 そう言うと、現場監督は、まるで命拾いをしたかのように表情を輝かせて、美しく整った顔を持つ僕を、まるで神のように見上げるのだ。

 あぁ、笑ってしまう。
 日本人はどうしてこうも責任を恐れるんだろう。まるで【責任を取る=命を絶つ】みたいな図式だ。江戸時代なら切腹ものだろうけど、今は現代だ、社会的信用はなくなるだろうけど、命まで取られることは早々ない。
 なのに責任という言葉を恐れて、アレルギー反応のごとく拒絶する。こんな人間が僕の周りにはたくさんいた。日本はもしかしたら、僕が思っているより早く滅びるのかもしれない。

 と、思考が逸れた。
 アリを車に乗せた僕は、宮ノ川下流部の山に車を走らせている。その山々にも、バブルの置き忘れである廃墟が点在し、そのうち一つを買い取ってリフォームした。森に埋もれて忘れ去られた古き良き日本旅館の慣れの果て。浴室が広くて大きくて、川が近いから証拠隠滅も容易な点が決め手だった。地下倉庫を座敷牢に改造したり、死体を一時的に隠すための隠し部屋。キッチンには業務用の調理器具が放置されたままになっていて、ガスを通せば死体を処理する際に、鍋へ煮込むことができる。

 便宜上、僕の別荘の一つだ。建築基準法とか消防法は、ぎりぎりの線で押し通した。

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 僕は道具をいれたリュックを背負って、照明のスイッチを入れて浴場へアリを連れて行く。

 大理石の空の湯舟に、壁に沿って配置された蛇口とシャワーヘッドに、規則正しく敷き詰められたタイルは、オレンジの暖色系を組み合わせてモダンな印象を与えている。

 リフォーム前はタイルが割れて、壁のような一枚板の窓ガラスが割れたままになっていたから、動物の糞やら枯葉やらがそこかしこに散らばっていたのがウソみたいだ。リフォームに携わってくれた業者たちは、本当によくやってくれたと拍手を送りたい。

 もちろん窓ガラスだった部分は、ちゃんとした壁にしてもらった。本来だったら、この壁の部分に富士山の絵なんかを描いてもらったらおさまりがよかったんだろうけど、本来の目的を考えるとためらわれる。

 僕はにっこり笑ってリュックを降ろし、狩猟用のナイフを取り出した。
 アリはナイフを見ても、眉一つ動かさずに微動だもしない。
 まれに命乞いをする個体もいるが、それだけだ。

 本音を言えば、実際に暴れたり抵抗したり、大声出したり反応して欲しいんだけど、アリたちにそこまで求めるのは酷なこと。

 アリからは匂いがしない。対話する知能すらない。自分を守る意思すらない。心ここにあらずで虚ろな視線を僕に向けている。

「それじゃあ、この場にはいつくばってじっとしてくれる?」
「…………」

 ひたりと浴室のタイルに触れた音、たてる音、かすかな呼吸音と衣擦れの音。生じる音が刺激になって、僕はとても緊張しているのに、アリは動かないままだ。僕がそっと背後から近寄ると、アリの指の何本かが欠損していることに気づいた。

 骨のある部分にピンクの肉が盛り上がって、それが指だったとわかる程度だけれど、露出したピンクがとても生々しくて、ハムのようにおいしそうで、僕の口内は唾液で溢れてしまった。アリを殺したら、その部分を切り落として口の中に入れてみたくなった。

「じゃあ、行くよ」

 なんだか欲求が付随したおかげで、妙なやる気が出てきた。感情はなるべく抑えたいんだけど仕方ない。

 呼吸を整えて、アリの背中に刃を突き立てる。狙うのは一撃での致命傷。正確な臓器の位置の把握。そして手際の良い解体。余分なく、そして遺憾なく。

 成人式まで、熊谷を頭の中でなぶり殺してきた。
 婚約者を殺して、大川君と死体をバラバラにして、なんとか難を逃れた。
 父を自殺に見せかけて殺した。
 弟と妹を無理心中に見せかけて殺した。

 僕の周囲は血みどろになり、誰も僕が罪人だと気づかない。
 異形の顔を整形手術で整えて、悲劇の主人公を装いながら僕は次に自分のやるべき殺人を考える。
 そして殺人を終えたら、また次の殺人を考える。
 僕が死なない限り終わりのない殺戮。
 見えない不幸があふれかえって、世界は甘い蜜の海にむせ返って、天使は歌い、神は世界を丸呑みにする。

 黄金の蜜で溢れた海を想像し、微動だにしないアリの背中現実を見て泣き出したいような、わらいたいような、ぐちゃぐちゃとした気分になる。こんな気持ちになるなんて、僕はまだまだ未熟ものだ。

 あぁ、だけど、なんで抵抗してくれないんだろう。
 まるで屠殺場の豚のように従順に、殺されていくアリたち。僕にとってはいい練習台だったけど、彼らはなんのために生まれてきたのだろうかと考えてしまった。

 なによりの不幸は山中崎に生まれたこと?
 それとも、杉藤家の威光が弱まっている時代に生まれてしまったこと?
 幼い僕に対して気持ち悪いという感情を抱いたこと?

 アリたちの親は、何人か見逃されて、何人か殺されたらしい。
 子供を守れなかった家族は、どんな思いで殺されて、そして生きていくのだろうか。

 ガリッ、グチュっと血にまみれた僕は、殺したアリから頂戴した、ピンクに盛り上がった部位を口に入れて咀嚼する。鉄錆の味だけど思ったより塩辛くて、ほんのりと甘い血と肉の味が、僕にほろ苦い陶酔を与えてくれる。

 僕は殺す。殺し続ける。
 警察に捕まらないように用心深く慎重に。
 
 回想から覚めて、お坊さんの読経に耳をすませる僕は、両の瞳からさらさらと涙を流して、祈るように手を合わせた。演技ではなく本気で。

【つづく】

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