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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_51_大学生編 05


 整形?

 つまり、お金で自ぶンの顔をイジったテ、こト?

 熊谷の発した言葉の衝撃が、かえって僕の心に平静さを取り戻させた。

 涙でかすれた視界でも分かる、熊谷の美しい顔。すっとした鼻筋に、アーモンド形の瞳、卵を逆さにしたような輪郭が、造花のように味気なく感じた。不自然でいびつで、人工的で、天然の造形美にかなうはずが……。

「くっ――」

 幼い熊谷のブサイクな顔を思い出し、目前の美貌を見比べて、僕は頭を掻きむしりたくなった。

 悔しい、悔しい、ズルイ、ズルイ、悔しい、悔しいくやしぃ!

 整形でも歪だろうけど、美しくてキレイな方がいい。不自然だろうとも、人工的だろうとも人間だとみられたい。

 頭の中で自分を守る理屈をこねようとしても、僕を哀れみの瞳で見てくる熊谷の美しさにあっけなく粉砕される。

 母さん、どうして熊谷にそこまでするんだよ!

 ここまで熊谷を人間にしたのは、美しさを形作り、僕に希望と伸びしろを教えてくれた母の存在が大きいだろう。

――ねぇ、僕を守るんじゃなかったの?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 母の手ほどきであろう、瞳の形を美しくせる流麗なアイライン。赤いカクテルドレスに似合うように、コントラストとして透明感を感じさせる白い肌。そんな白い肌を病的に見せないために、頬のチークは淡い黄色とオレンジをほんのりと楕円を描くように乗せて、最終的にピンクをまぶしたことで初々しい色合いに見せている。

 アイシャドウと口紅の配色は、ビビット系に少し暗い色合いを混ぜていて、視線が自然と瞳や唇に誘導されるのがとても気に食わない。

 水をかけられることもあらかじめ考慮していたのかな。化粧が微塵も崩れていなくてイライラする。

 特に僕が気に食わないのは、熊谷のメイクの一つ一つに、母の思考や感情、クセみたいなものが垣間見える所だ。それが僕をとてもたまらない気分にさせた。

 無力な子供じゃないから、何度も家に帰った。母とも会った。だけど、笑顔で歓迎する割にはよそよそしくて、幼い頃のように僕を見てくれない。

 だけど、熊谷は違うのだ。

 熊谷から漂う桜の香りから、僕の母なのに、まるで我が子に向けるような柔らかな笑顔で熊谷に化粧を教える母。まるで、本当の親子のように。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 母の手、母の指、母の声。

 母は我が子に接するよりも楽しそうに、嬉しそうに熊谷満子に接している。

『ふふふふふ……、熊谷ちゃんが女の子でよかったわ』

 え?

 それは僕の根底を揺るがす言葉だ。

『俊雄《としお》が男の子に生まれて、本当によかった。本当に……』

 これは僕の最初の記憶。僕の原点であり、僕の意識に根差したもの。

 赤子である僕の首を締めようとする母の手には迷いがあり、我が子の将来を悲観していた彼女は、何度も言ったではないか。

『男の子でよかった。男の子で』

 呪文のように繰り返して、自身の殺意を引っ込めて、殺さないことが最良だと彼女は信じようとしてではないか。

 僕が男でよかったというのなら、僕よりも惨めで醜い熊谷なんて、

『女に生まれるべきではなかった』と言うべきなのに!

 どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして……。

 混乱する、思考がループする、目の前が真っ赤に染まって、涙が完全に引っ込んだ。

 黒く渦巻く感情が一つに収束して爆発する前に。

――バチッ。バッ。

「――チッ」

 舌打ちの音と一緒に、青白い何かが小さく弾けているのが見えた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 熊谷が横によけると、熊谷がさっきまでいた場所に五代くんがいた。彼の両手には黒い塊が握りしめられて、そこからバチバチと弾ける音が聞こえてくる。

「ふざけんな」

 怒りで震える五代くんの声が、僕の鼓膜を叩いた。

 僕はいつになく、感情をむき出しにしている五代くんに唖然とする。

 彼が持っているスタンガン――その先端にある銀色の端子からバチバチと青白い火花がはじけて、五代くんの怒りを表しているかのように見えた。

「おまえ、おまえ、おまえがぁっ、イジメられていればよかったんだ。あの遠足にお前が居れば【僕】たちは、普通の生活を送れたんだ! お前のせいだ! お前のせいで! おまえぇっ!」

 臓腑を振り絞るように喚く五代くんは、眼鏡の奥にある二重の瞳をキツネのようにつりあげて、スタンガンを再び熊谷に叩きこもうと突進する。

 まるで火の玉のように飛び込んでいく五代くんに、僕は内心で喝采して、熊谷が惨めに赤い絨毯に沈む瞬間を待ちわびるけど。

「いや! 杉藤君、助けて」

 え?

 一瞬、なにがおこったのか分からない。熊谷が僕の後ろに回り込むと、僕の腕をひねり上げて即席の盾を作った。関節技を決められているままだから、下手に暴れたら強烈な痛みが走り、かといってなにもしなければスタンガンの餌食になる。

「お前、卑怯だぞ!」

 ぐっと踏み止まって、スタンガンを降ろした五代くんは悔し気に頬を震わせた。五代くんから漂う、燃えるガソリンの匂いがさらに濃くなり、彼のなかで熊谷の殺意がさらに強く、色濃くなっていることを感じて、僕は少し溜飲が下がる。

 まるで僕の怒りが、そのまま憑りついたかのように怒り狂う五代くん。端正な顔を赤くして、熊谷を睨み据える瞳には黒い炎が奥底で燃えている。

「ふふふふ……だって、自分の身を守るのは当たり前の事でしょう。正当防衛って言葉を知らないのかしら?」

「お前に、正当防衛なんて言葉はない。醜いお前に、それ以前に人権なんてないんだよ。顔だけキレイになって、お前は本当に救われたのか? 違う、救われないから、お前はここに来たんだ。よけい惨めになったんだよな。所詮、人間は見た目が100%だもの。外見変えただけで、みんなバカみたいに態度を変えたんだろ。まぁそれはいい、言い分は分かる。けれど、僕が許せないのは【僕の大切な俊雄】を復讐の道具に使ったからだ! 俊雄を放せっ!」

 五代くんが口走った【僕の大切な俊雄】という単語に、喜びよりもうすら寒いものを覚えた。普段の一人称が私から僕になり、感情をぶつける五代くんの体から、匂いよりも色濃い迸りを感じて全身に鳥肌が立つ。

 僕は熊谷に取り押さえられたまま、助けを求めるように周囲を見回すが、会場にはすでに僕たち以外誰もいない。それはそうだろう。目前に、責任を取ることなく、素知らぬ顔で日常に還れる方法があるのなら、それに飛びつくのが人間だ。少なくとも責任のある会場のスタッフは、もしかしたら警察に連絡を入れているのかもしれない。もしくは、穏便にすませるように僕の父か母を呼んでいる可能性もある。

 警察はいいとして、父と母が呼ばれるかもしれない。そう考えると体が小さくなるような居た堪れなさと、申し訳なさで、その場から消えてなくなりたくなった。父も母も息子の成人式が、まさか息子の顔によってパニックになったと聞いたら、心穏やかではないだろうに。

 両親の悲しみで歪む顔を想像すると胸が痛んだ。そして、熊谷に怒りが湧いた。すべてが終わって、熊谷の凶行を知った時の母の反応を想像すると、正直複雑だけど胸が痛んだ。

「ねぇ、熊谷。結局、君はなにをしたいの?」

「そうね。すべてを滅茶苦茶にしたいかしら。自分の人生に復讐したいのかもしれないわね」

 取り押さえる手を緩めないまま、熊谷は酔ったように笑う。

 照明の光にあてられて、白く縁どられた綺麗な横顔には、大切なナニカを諦めたような徒労感が淀んで見えた。

 桜の匂いに混じって見えてくる熊谷の記憶。整形手術を受けて、周囲の人間の態度はものの見事に一変した。いや、ずっとそれは以前からだ。

 顔を洗うだけで、やっと普通に顔を合わせて。

 化粧をすることで、やっと笑顔を見せて。

 綺麗な服を着ることで、やっと友達が出来て。

 整形手術をすることで、やっと恋人が出来た。

 キレイになることで好転する現象は、熊谷の神経を苛んで、まるで春を迎えた桜の枝のように、疑心の木芽このめを芽吹かせた。キレイになることを強制させられて、そうしなければ皆の輪に入ることができない世界。

 だけど、だれも疑問に感じないで、誰かの望むキレイを自分に施している。ありのままの自分が許されるのは、結局フィクションの世界だけなのだ。

 色気づいている。

 はしたない。

 男好き。

 淫乱売女。

 その一方で、キレイになることを批判して悪し様に言うヤツラ。 

 うまいくキレイになれない人間は、そうやって僻んで卑屈になって、自分たちが、どんな目で見られているのか気づいていない。

 キレイってなに? 

 キレイになれば、幸せになれるんじゃないの? 

 どうして、こんなに苦しい気分にならないといけないの? 

 こんなに頑張ってキレイを維持しているから、みんな私に優しくしてくれるの?

……だけど、だったら、努力をしない私はいらないの?

 汚くてみっともない私は、クラスに一人いる愛嬌のあるバカなブスのフリをしない限り、みんなの輪に入ることができないの?

 いやだいやだ、ありのままを認めて欲しい。だけど、バカな振りもしなくても良い愛嬌もふりたくない。だけど、そうしないと周りがイジメてくる。バカにする、石を投げる、髪を掴んでくる、踏んでくる、牛乳をかけてくる。

 整形した後に仲良くなった友達も、みんな、本当の私を知ったらみんな離れていく。私をいじめていた側にまわって、汚い物を見るように私を見るんだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「…………」

 頭ががんがんする。熊谷の強い感情と記憶が、脳内に入り込んで執拗に内側を撹拌かくはんして、僕の真っすぐに生きようとする意思を挫こうとする。

 彼女は分かっているんだ。整形手術をして美しくなった自分を見て、僕が整形手術を決心することに。だけど、それは新しい地獄の始まりだと彼女は訴えているのだ――それが僕に対する復讐。

 外見がいくら美しくなっても、手に入るものは自分を満足させるものではない。安心をもたらすことも、真の信頼をもたらすものでもないのだ。

 訪れるのは強い疑心と、周囲の温度差、必要ないと感じることに努力を強制させられる怒り。

 黒く凝り固まった熊谷の感情――その矛先は化け物じみた容貌の僕に向けられる。投げられる問いかけは、僕と自分に大差がないことを。僕が杉藤家に生まれなければ、学校でイジメられるのは熊谷ではなく僕であると。

 お前はどう足掻こうと、幸せになれない。

「ハッ、ハハハハハハ。付き合ってられないな」

 くだらない、あまりにもくだらない。

 そんなくだらなくて哀れな存在を、僕は今まで脳内に住まわせていたのだ。

 もういいや。 ある意味、潮時なんだ。

「ふふふふ。負け犬の遠吠えかしら? ねぇ、杉藤君。私今、幸せなのよ。好きだった人に、こんなに見つめられて、ずっと憎かった君を屈服させることが出来たのだから」

 勝利を確信している熊谷の声には、狂おしい熱が宿っている。好きだった人である五代くんは、僕を傷つけないように、けれども熊谷に一撃を喰らわせようとスタンガンを握りしめたままだ。

 園生くんは、自分がどう振舞えば自分に利があるのか、考え込むような顔で状況を伺い、大川くんに関しては嘔吐が収まらず、透明な胃液をずっと吐き出し続けている。

 幼稚園の狆くしゃな頃よりも、人間離れした僕の醜さがずっと大川くんの頭に居座って、彼の身体に悪い影響を与えているのだと思うと、とても申し訳なくてたまらない。醜さは見えない暴力であり罪悪なのだと、大川くんはいつでも僕に教えてくれるんだ。

「……負け犬なんかじゃないよ。僕は知っているんだ。そして君と同じように思うんだよ。あの時、校庭で君と握手出来たらどうなったのだろうって」「あぁ」

 熊谷は僕の言葉をどう受け止めたのか、それは結局彼女じゃないとわからない。ただ、この時の彼女は勝者であり絶対者だった。だから、余裕が出たのだろう。

「あの時はごめんね。改めて、友達になってくれるかな?」

 その一瞬で拘束していた彼女の手が緩んだ。

 今だ。と、僕は足を踏ん張って、思いっきり熊谷に体当たりをする。

「きゃっ」

 あぁ、なんてあっけない。がっちりと組み合わさっていた関節技という鎖が、彼女の油断によって緩んで弾けた。

 容赦なくぶつかった熊谷の身体は、風船のように軽かった。

 頼りなくか弱い存在。本来ならば、熊谷の立場に同情してお涙ちょうだいの予定調和を、和解を申し込むのだろうけど、僕は彼女に対して一片の慈悲なんて与えない。

 宙に浮いた彼女の手を、僕は思いっきり握りつぶした。

「――っ!」

 リンゴ一つを軽く握りつぶせる、僕の握力をなめないで欲しい。

【つづく】

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