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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_36_高校生編 02

 やり切った僕の美しい顔。飛び散った血で汚してしまった鏡台をのぞき込んで、僕は天使の美貌でニコリと笑いかける。

 これは大人の僕の話。様々なものを手に入れて、様々なものを壊されて、様々なものを穢されて、様々なものを弄ばれて、様々なものを手放して、様々なものを捨てていった結果の果て。

 人のせいにするなと、人は良く言うけど、本当は分かっているんだろ?

 誰かがいるから問題が起きて、罪が発生する。

 だから僕は殺すんだ。無かったことにするんだ。きれいにするんだ。無かったことにするんだ。

 悪い奴は悪い奴の顔をしていない。見分けることができないのなら、普段の行いで判別するしかないじゃない。

 二十代は婚約者と母をのぞいた僕の家族、そして小学校の時に、山で遭難するきっかけを作ったいじめっ子どもと熊谷を殺して、療養所の関係者、中学の頃に廃人に追い込んだ後輩と、僕たちに絡んできた野球部、高校で大川くんに罪を犯させた奴ら、大学で……。

 僕の二十代は、ほぼ過去の清算と言ってもよかった。

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 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

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「俊雄、やめろ! やめるんだ」

「ふーふーっ。ふーっ」

 低く浅く、呼吸を繰り返す。まるで、ネコが威嚇する様に息を吐く。

 殺す、殺す、殺さないと。

 壊すんじゃない、消さないと、動かないよう、喋らないように、なにもできないように。

 だから、もっと、もっと、力を入れないと。

 この首にかかっている手を、指を、親指を特に力を込めて、こう、ぎゅっとぎゅっとぎゅっとぉっ!!!

「俊雄!!! 正気に戻れ!!!!」

 包み込む優しい海の匂い。青空の下できらめく太陽。白い鴨と雲が飛んででででで……。

――ザザザザザッ。

「たぶん、これは罰なんだ」

 大人の大川くんは、そう言って悲しそうに笑った。

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「うちの家系の癌なんていなかったんだ。それなのに、俺がなったってことは、罰なんだよ、きっと」

 ちがうちがう、罰じゃない。神様なんていない。そんな存在認めない。

「結構、殺したよなー。葉山先生を殺せなかったのは、残念だったなー」

 いやだよ、嘘だって言ってよ。僕たちはまだ三十代なんだよ。

 まだまだ、これからいっぱい殺して、たくさん壊して、すべてを嘲笑って生きて、生きて、生きてっ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「俊雄!!!!」

「――ぁ?」

 強い力で引きはがされて、僕の体は干物みたいに力なくだらりと拘束されて、無理やり直立に立たされる。

 真っ白にフリーズして、なにも考えられない脳みそ。ただただ、周囲の匂いが僕に伝えている異常事態。

 真夏の風景の匂い……これは大川くんだ。

 ラベンダー畑の広がる風景……これは早瀬くんだ。

 貴婦人が佇むバラの園……これは五代くんだ。

 飴色の艶がある重厚な日本家屋……これは園生くんだ。

 雪降る中で赤いおくるみを着せられた赤子を抱く誰か……これは物部くんだ。

 それらの光景が軋んで砕けて悲鳴を上げて、砕け散ったステンドグラスになって、僕の心を強引に無理矢理正気に戻そうとする。僕を大切に思っているから、僕のことを本当の友達だと思っているから。だから、僕は自分のやったことに向き合わないといけないんだ。

 目の前で倒れている同級生。ただただ、運悪くそこに居合わせただけで、彼は友達と、いつも通りに食堂を利用しただけなんだろうけど。僕たちの会話をきいて、条件反射的に言ってしまったんだろうね。

「あんな、恥ずかしいツラで、カッコいいからバイクの免許を取りたいんだって、笑える」

 そのなにも考えずに出た言葉が、僕を逆上させるとも知らずに。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 目の前がぐらりと揺れる。

 今日はいつだ? 8月? いや、まだ7月の夏休みが始まったばかりだ。

 1999年。この年の夏はよく雨が降っていた気がする。晴れた日が、なんだか黄色く色褪せていて、夏日の猛々しい太陽が、なんだか悲鳴を上げている気がしたのは、その太陽を見る僕たちの目が失望で淀んでいたからだ。

 一人の予言者に踊らされた、1999。世界が滅びなかった年。杉藤貴子至上主義の五代くんだけは、ふふふんっとノストラダムスの予言が外れて、誇らしげに鼻を鳴らしていた。

 そして、今、高校の僕はどこにいる? 

「俊雄。くれぐれも体に気を付けてね」

「わかっているよ、母さん。それじゃあ、直人が待っているから」

 いや。山中崎の家じゃない。そもそも、僕は大川くんのことを下の名前で呼んだことなんて、一度もないっ!

 ちがうちがう、これは僕の記憶じゃない! 別の誰かの記憶で、僕の記憶じゃ決していない。

「緑、公博、樹、雪彦、待たせたな!」

 ちがう。この僕は。みんなも違う。これは、可能性上のありえた世界でしかない。

『貴子さんが、過去に事故で死ぬ予定の友達を救おうとしたんだ。だけど、その友達を助けたら、死ぬ予定じゃない人たちが大勢死んだ。運命を変えると、変えた分の修正がかかるんだってさ』

 まるでヒントをだすように再生された声。

 これは、小学生の時に五代くんが話してくれた――杉藤貴子の話。

 そこで、彼は言ったんだ。

『時間の流れは本来は、未来から過去に流れているって』

――じゃあ、此処にいる僕は未来の僕が観測している姿なんだろうか。

 だとしたら願う、あの世界へ。

 一片の救いがあった、あの世界へ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 1999年7月26日(月曜日)

 学生寮の食堂で、僕は人を殺しかけた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

――ガタンッ。

 椅子が倒れる音がした。セミの音が遠くに聞こえた。周囲のざわめきが遠く、僕の鼻に飛び込む匂いは、饐えて腐り果てた畳のように酸っぱくて苦い。腐臭特有の生温かしくてぬめっとした感触が、鼻腔の内側を擦りあげて、僕に暴言を吐いた男子生徒の存在が生きるに値しないことを伝えている。

 僕は獲物を捕らえた猫のように飛び掛かり、馬乗りになり、相手が床に頭をしたたか打ち付けようが構いもせずに、太い血管が浮いた首に指をかける、冷静に喉仏が上下する様子から、その辺りに親指を押し付けて、ぞうきんを絞るようにぎゅっと締め上げれば、息の根を確実に止められるはずだ。

 殺す、殺す、殺す。

 目の前が赤と黒と現実との順にパシャパシャと切り替わる。

 体中が燃えるように熱くなり、自分の内側に大きな黒い獣が獰猛に吠え狂うのを感じた。

 中学二年の時に、後輩を廃人に追い込んだ時と同じ。

 爆発した感情が理性を真黒く飲み込んで、様々な感情が混ざり合い、名伏しがたい、クソまみれな衝動が僕の身体を突き動かす。

――お前だって、たいしたツラじゃないくせに、僕のことを笑うなっ!

 と。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 数時間後。

 宮ノ川学園 高等部 男子学生寮 事務所。

「それで、杉藤はカッとなって相手の首を絞めたっていうことか」

「はい、そうです。殺すつもりで首を絞めました」

 事情を聴きに来た担任の教師は、ものすごくめんどくさいものを見るような眼で僕を見る。担任からしたら、夏休み早々に生徒が問題を起こしたのだから、勘弁してもらいたいところだろう。

「……わかった。もうわかった。頼むから、夏休みの間は大人しくしてくれ。免許合宿なり、旅行に行くなり好きにしろ」

 どこか投げやりな無罪放免に、こめかみの辺りがきしんだ。

 どうして、こんなにも獰猛で危険な人間を放置するのか理解できない。

 なぜこうも大人たちは、社会的な役割を全うして、責任をとろうとしてくれないんだろう。

「それで、いいんですか? 相手はもしかしたら、後遺症が残ったかもしれないんですよ」

 事務所のイスに深々と腰を掛けて、机に視線を落として、なるべく神妙な態度をとるのは相手に対して罪悪感を感じているわけではない。どちらかというと、自分自身を抑えるため――自分の中に未だ渦巻いているドス黒い怒りが鎮火していないからだ。

 警察でもいい。病院でもいい。

 誰か、今のうちに裁いて欲しい。

 ガツンと、無情に現実をぶつけてくれないと、このままでは僕は僕自身を抑えられなくなる。そんな予感がするんだ。

「わかっているんだろ? お前が杉藤なら、ここがB県だろうが、お前をさ裁くことなんてできない。例え、人を殺そうが……」

 言いかけて、担任は言い過ぎたと、顔を苦く歪ませた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 解放された僕は、自室に引きこもってベッドの中で耳を塞いでいた。

 なにも考えたくなかった。

 なにも聞きたくなかった。

 なにもしたくなかった。

 

 僕って、こんなにキレやすかったっけ?

 ドラマとかテレビとかでよくある、キレる若者という単語が軽いようでいて、僕の中でしっくりと馴染むのがとてもイヤだ。

 見えない圧力が自分の心の中で、直接圧迫していく息苦しさ。生きるのが怖い。辛い。そして――。

 あの時、確かにみんな僕を汚物のように見た。

 大川くんに引き離されて、大人たちに連れていかれるまで、ことの成り行きを見守っていた傍観者たちはひそひそと、僕に聞かせていないような素振りで言うんだ。

「あんな顔だから、悪口を言われても仕方がない」

「首を絞めるなんてやりすぎた。あんな顔だから、いつかやると思っていた」

「キケイのくせに、バイクに乗りたがるなんてなぁ」

「親が金持ちだから、調子に乗っているよな」

 ここぞとばかりに、みな、因果関係を無視した言葉を投げつける。僕の顔が醜いという点が、すべて悪い方向に関連付けられて、僕という人間がこの顔と同様の歪んだ精神の持ち主だと、僕の凶行を見て納得する。

「うわー。その悲惨な顔と同じぐらい、悲惨な夏休みになりそうだなぁ」

 そして、コイツラは自分が安全な立場にいると錯覚して、僕の怒りも、首を絞めた男子生徒のことも、なにかの見世物のように嘲笑う。

 娯楽として消費される僕たち。蜜の味がする不幸として、みんなの心の口を喜ばせて胃袋に消化されて、気持ち良く排泄される。

 

 首も絞められた被害者も、首を絞めた加害者も、第三者にとっては同じ人間ではない。人間の形をした、自分の生活を成立させるための人形。自分という自我が認知できるのに、他者に自我は観測できても認知できないゆえに、人間は自分勝手に自滅していく。

――こんこん。

 控えめなノックの音に、暗い妄想から現実に思考が切り替わった。優しく漂う匂いから、僕のことを心配して想ってくれている友達だと気づき、気持ちが少し落ち着いてくる。一歩引いた礼儀正しさを考えるに、ノックの主は五代くんだ。

「どうぞ、入ってもいいよ」

 僕が言うと、音を立てずに五代くんが部屋に入ってきた。二重の整った顔立ちと、背は高くないけどすっと伸びた背中とか、僕の神経を逆なでしない心遣いとか、五代くんは順調にモテる男として成長している気がする。

 そんな五代くんが持ってきたのは、茶盆に二つに白のティーカップと小皿には可愛らしいお菓子が乗せられていた。パステルカラーで緻密な花の細工が施されているお菓子、確かデパートの和菓子屋さんで見かけてような。

 僕の視線に気づいて、五代くんがにっこり笑う。

 その顔がとてもキレイで、清らかで、憎らしいのに見惚れてしまう。

「あぁ。これは和三盆わさんぼんって和菓子だよ。甘さがすっきりしていて丁度いいから、いきずまったら食べているんだ」

「へぇ」

 僕はのろのろとベッドから起きだして、小さなテーブルについた。

 澄んだ琥珀色の紅茶と、可愛らしい和菓子の存在にささくれだった心が和らいだと同時に、自分の意識が自嘲気味に歪む。やっぱり、見た目が良いのを見ると気分が良いのだ。

「君が首を絞めた奴だけど、一見すると皮下出血ひかしゅっけつが酷いけど、大したことないよ。後遺症なんてバカバカしいレベルさ。君が小学校の時に、緑に首を絞められた時より軽傷だよ。見た目も含めて全治には二、三週間かかるけど、夏休みだから運がよかったほうかもね」

 そういいながら上品に紅茶をするる五代くんに、僕は少し驚いてしまった。

「意外と殺せないものなんだね」

 心底残念そうに言う僕は、自分の首筋がちりちり痛むのを感じた。そう、小学校の頃に首を絞められた時の痛みだ。傷が癒えても、痛みの記憶があるからかぎり、つけられた傷跡は死ぬまで癒えることはない。対処としては、目を逸らし続けるしかないんだ。

「そうじゃない。私は身体測定での君の握力を知っているし、一発芸でリンゴを握りつぶせる握力をもっているから、てっきり相手が死んでいるって思ったんだ。だけど、そうならなかったのは君が優しいからだよ」

 きりりとつり合あがって、怜悧さを感じる二重の瞳が僕を見据える。おそらく、五代くんの中の僕は、とても優しい人間なんだろう。醜い外見に優しい心――そんな単純なものでもないのに。

「杉藤、今回のことで落ち込まないで欲しい。せっかく無罪放免になったんだ。気持ちを切り替えるのは難しいかもしれないけど、合宿免許に行ってみんなでバイクの免許を取ろう」

「……うん。そうだね」

 息苦しさを感じて、誤魔化すように紅茶をすすり、和三盆を口に入れる。キレイな外見に、舌先にほろっと蕩ける上品な甘さ。

 正直、うらやましい。

 見た目も中身も、こんな風になることができればいいのに。

【つづく】

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