見出し画像

【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_60_20代編 02

 2010年10月9日 午後

 お布施とは別に幾分か色を付けてお坊さんを送り出した。行儀よくキレイな角度で頭を下げた住職。彼をマンションの地下駐車場まで送ると、颯爽と乗りこんだ車が、真っ赤なアルファロメオだから思わず顔をしかめてしまう。迎えに来た時もそうだったけど、聖職者と外車のギャップはどうしても埋められるものではない。

 お金に困っていて、僕の言うことを全面的に聞いてくれる住職を知っていたら紹介して欲しい。
 以前は、杉藤家の祭事や法事をとりしきっていた園生家の人脈を見込んで、僕は園生くんにお願いした。もちろん、お礼も用意してある。なんとか持ち直したとはいえ、園生家の台所事情は火の車が止まる気配をみせない。主に父親の散財らしい――ダメな親を持つと苦労するよね。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 紹介してくれたお坊さんは、日野と名乗った。剃髪にシワ一つない袈裟姿。すっと伸びた背。外見だけをみれば模範的な住職らしい住職だったけど、蓋を開ければアルファロメオ。日本では知ることを想定していない大きな車体が、窮屈そうに日本車と日本車の間に縮こまって挟まれている。

 まぁ、こういう俗っぽい人間だから、僕の評判の為に利用してもらったんだけどね。

 うちは神道だけど、こういう日本的でごちゃごちゃしたよくわからない宗教観を大切にしないと、かなりの高い確率で顰蹙を買う。
 僕の場合は、母が病気で死んでから間を開けずに、父と弟妹きょうだいたちが死んだから、死者に対する作法とか姿勢とか、かなり周囲の見る目が厳しい。後藤さんにも念押しで注意された。

 まったく、ヒマ人が多くて困るよ。自分の人生が好転するわけじゃないのに、人の人生に口出しする……あ、だからロクでもない人生を送るのか。納得。

 すっと、滑らかにアルファロメオが車間から出て器用に方向転換する。
 大きな赤い車体を怒らせて、今までの鬱憤を晴らすかのように地下駐車場出入り口に向かうアルファロメオ。出入り口の急な坂道を勢いよく走るも、僕は外車特有の車高しゃこうの低さにひやひやする。
 車高の低さは一種のステータスらしいけど、地面すれすれの車体は明らかに見ていて危なっかしい。住職を迎えに来た時は気づかなかったけど、坂道の始点に出来る角とか終点の高低感とか、明らかに車の底部を傷つけてしまう。

 案の定、ガッと、穿つような音が聞こえた。

 僕はアルファロメオが去った先の急な坂道をみて、やれやれとため息をつき、10月にしては妙に明るい日差しの強さに辟易とする。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 強い光を見たせいなのか、不意に喉が渇いてしまった。
 僕が住んでいるマンションには一階にコンビニが入っている。このまま坂道を登って地下駐車場を出れば、すぐ横だ。

 水、買おう。

 おかしいよね。僕が小さい頃は、まさか水が売り物になるなんて思わなかった。それに10月になれば霜柱が出来て、洗濯に干したタオルが凍って、凍ったタオルを母が僕に触らせてくれた。
 少し厚めの長袖に、上着を一枚羽織る程度で済むなんて、昔を考えると信じられないよ。

 外に出ると、濁った青空と、行きかう人々と木漏れ日を落とす街路樹、四車線道路と山中崎を取り囲む稜線が飛び込んでくる。
 記憶の中では、遠目でも赤い着物のように鮮やかに色づいていた10月の山が、今では病的で色褪せたくすんだ緑でこの山中崎を取り囲んでいる。

 温暖化か、確かに厄介だな。

 コンビニに入るとエアコンのヒヤリとした空気に人心地が付いた。脳裡によぎる、熱中症死者多数の記事を思い出して、次いで大川くんの両親のことを思い出す。彼らは、水をわざと飲ませないで忍耐力をつけようとする教育は間違いだと言っていた。だからよく、大川くんに余分にスポーツドリンクを持たせていたのだ。

 ミネラルウォーターのペットボトルを二本、おつまみになりそうな缶詰を三つ買って、エレベーターで僕が住んでいる五階の角部屋へ戻る。この部屋は、非常階段が一番近くにあるから、万が一、火事になってもすぐに逃げることができるから安心だ。
 用心深いと笑われたこともあったが、中学に二回も寮を放火された身としては当然だと思う。が、嘲笑ったヤツはそんな経験なんてないから、想像力が及ばないのだ。

 このオートロック式の高層マンションは、一階と二階がコンビニや内科とかの医療と商業施設、三階はフィットネスクラブで、四階は事務所になっている。居住区は五階からで最上階の五十階にはスパがあるらしいけど、僕は入居してから一度も利用したことがない。

 表札のない扉が僕の部屋。だけど入る前に、かすかな異臭を感じた。蕎麦汁に似た匂いだ。香ばしく美味しい香りの中に仄かな悪意を嗅ぎ取って、僕は自分の中の警戒レベルを引き上げる。扉の周囲を用心深く観察すると、黒いインターフォンの横に小さなシールが貼りついているのを見つけた。

 剥がしてみると透明の丸いシールに、黒のマジックで【S】と書かれている。

 独身シングルのS? それとも杉藤のS?

 犯人の狙いが単なる勧誘目的じゃなくて、杉藤 俊雄の住んでいる場所の特定だとしたら厄介だな。
 現在の僕の身分は親に扶養されている学生じゃなくて、杉藤家当主という高額納税者だ。2005年まで高額納税者には公示制度があったせいで、戦後から制度が廃止されるまで杉藤家は長者番付に名が残っている状態。そこで世が不景気、ちよっと都会を意識している片田舎、親兄弟が死んで莫大な財産を相続した、世間知らずなボンボン……うん、僕は十二分に魅力的な金づるに見えるだろうね。

 僕は集中して、手のひらにのせているシールに触れた。びりっと指先に電気が走った瞬間、頭の中に様々な映像が浮かぶ。

 真っ先に浮かんだのは午前中のここの風景。僕の後ろに続いて住職日野が部屋に入るタイミング。何気なく着物の袖を振った時、伸びた指がインターフォンに伸ばされる。

 あぁ、こいつが犯人か。

 利用しやすい俗物だと思ったんだけど、僕が思っている以上に俗物な上に生臭だった。
 次に頭に浮かんだのは、パソコンに名簿らしきリストを打ち込んで、メールでのやりとり……僕は日野の目を通じて、二つのメールアドレスを記憶した。

 園生くんの紹介とはいえ、これは外見と肩書に騙された僕が悪いよね。

 パソコンに向かいすばやくキーをたたいて狡猾そうに目を細める姿は、おおよそ聖職者とは程遠い。
 メールの内容は、檀家の個人情報を提供することで、自身に振り込まれる報酬についての交渉だ。この流れから察するに、僕の個人情報が売られたことになるだろう。

 油断も隙もないな。

 自然界で虫や鳥たちが、外見を駆使して敵を騙し、自分の生存権を確保するように、人間も虫や鳥と同じように外見を利用して、自分の生存権を確保する。
 ただ人間は服装を変えたり髪型を変えたり、僕みたいに顔自体をいじったり好き勝手にできる上に、周到で欲深い。

 生きるのに必要な生活費のみならず、さらなるぜいを求めて、他者を食い物にして金を巻き上げようとする。

「ちょうどいいや」

 日野とメールの相手、少なくとも二人。

「こいつらに決まりだな」

 そう言って、僕は部屋に入った。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ねぇ」

 僕の部屋。4LDKの真ん中に位置する15畳のリビング。
 ベランダから見える街並みはいつも通りだけど、僕たちの話題や議題はいつも流動的で、いつも通りのことはない。
 リビングの入り口から、左手にはカウンター式のキッチン、右手側の壁にある簡易仏間のある和室の扉と壁にめり込んだ大可型液晶テレビ。テレビが見える前方にL字のソファーとテーブルが配置されて、ソファーの裏にある棚から、みんなそれぞれのグラスや食器を取り出して酒をつぎ、これから始まる重たい話題から少しでもストレスを軽くしようと身を守る。

 それが彼らの処世術。思い出と犯した罪が足かせになって、僕に逆らうことはない。

 僕はみんなに、出来る限り簡潔にこれまでのことを説明すると、にっこり笑って圧をかけた。

「ということで、園生くん謝って」
「ごめんなさーい」
「とっしー。いい加減、園生切り捨てた方が良いんとちゃう?」
「死刑」
「ソノは平常運転だな」

 と、五代病院副として多忙を極めている五代くんをのぞいて、いつものメンバーが僕のマンションに集まった。
 僕の個人情報を売った日野は園生くんの紹介だったから、なにかしらの説明が欲しいのと、僕がこれからやろうとすることに対して、みんなからの意見が聞きたいのもあった。

「いいの? 一応ビジネスパートナーでしょう?」

 僕は早瀬くんに訊く。

 早瀬くんの親が所属する関西系暴力団は、年々拘束力を増している暴対法ぼうたいほうに対して、法の抜け目であるフロント企業【早瀬建設】の社長をやっている。
(せっかく若頭までいったのに、これじゃあ降格したのか出世したのか分からないと、早瀬くんは言っていた)
 そこに杉藤家の土地と施設を管理している園生家の跡取り息子、園生くんが手を組んだ。そこに山中崎限定だけど、山中崎全体の交通網に精通し、そこにいても誰も不思議に思わない大川運送、五代病院の息子と、そして僕。

 つまり、無敵ってわけ。

「問題あらへん。……ちゅーのは冗談や。園生のおかげでわての会社も儲かっているさかい、致命的なことがおきんかぎり殺さへん。まぁ、殺さへんよ。死ぬより、しんどう思いさせたるわ」

 そう言って、やんわりと笑う早瀬くん。隣の席に座る園生くんは「こっわーい」とケタケタと笑い、向かいに座る大川くんと物部くんはお互いがなにかを言いたげに視線をかわしている。僕も強い殺意をぶつけて、けん制し合って笑っている早瀬くんと園生くんに、最近、うすら寒いものを感じるようになった。
 とはいえ、彼らは大切な僕の友達だ。

 匂いの質は変わらず、成長と共に心を歪にゆがめながら、僕たちは縋るように互に互いを縛っている。

「……ごめんね、杉藤君。確かに、あの住職を紹介したぼくの手落ちだ。あと、白状すると、君の住所を教えるだけで懐に10万が入ってくる状態だから、近いうちに引っ越した方が良いかもよ?」
「いやだよ、なんで君のせいでいちいち引っ越すのさ。どーせ引っ越すたびに、君はさらに値段を釣り上げて、僕の個人情報を売るんでしょう?」
「うんうん、杉藤君はわかっているねー」
「なぁ、コイツの口縫い付けてもえぇか?」
「死刑オブ死刑」
「おいおい、ソノあおるなよ」
「――それで! なんだけどっ」

 話が脱線しそうな気配に、僕は語気を強くして、みんなの注目を集めた。

「早瀬くんと園生くんに、このアドレスの人物を調べて欲しいんだ」

 これは日野の記憶から盗み見た、メールアドレスの走り書きだった。アドレスに目をさっと走らせた早瀬くんは、眼鏡の奥の垂れ目を少し半眼にして、園生くんも、心当たりがあるのか唇がわずかに引きつらせて、すぐに戻した。

「あー、これ同業者やさかい」
「うん。このドメイン名だと関東の方だよね?」

 なんだか芳しくない空気だ。

「殺すの?」

 微妙な空気を醸し出す二人を意に介さず、物部くんが火の玉ストレートを投げつける。隣に座っていた大川くんはびくりっと大きな体を震わせて、次に自分の行いを悔いるかのように静かに、耐えるように、腕を組む。

 大川くんは優しいから……。

 彼は高校時代に人を殺して、しかもその数年後には葛西真由を殺した僕の為に、彼女の死体の隠ぺいに加担してくれた。

 僕のためにホームセンターで、ハンマーと電動のこぎりを買ってくれたり、血を吸わせるために、大量のナプキンとか犬や猫の砂を買ってきたり、匂いを消すためにトイレの消臭剤を買ってきたり。
 最終的にはバラバラにした死体を、大川運送の業務用クーラーボックスにつめこんで、大川運送のトラックを使って夜道を走った。

 大川くんには大きな負担をかけてしまったと、今更ながら苦い気持ちになる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 大川くんは友達思いの優しい人間だ。だから、こんな心が醜い僕と仲良くしてくれる。

 そう、僕は大川くんに嫌われるのが怖い。憎まれるのも耐えられない。

 だから、アリの処分と死体解剖の予行練習に、大川くんだけは関わらせなかった。友人たちの身を案じていた彼が僕のしたことを知ったら、きっと許せないだろう。

 死体解剖と処分の予行演習を行ったメンバーは、僕の他に、早瀬くんに五代くん、物部くんだ。

 アリの死体は二種類の処理を行った。
 中背中肉から小柄痩身の体型は、解体を行う大浴場からそのまま調理場に運んで、鍋に煮込んで川に流す。
 中背中肉から大柄肥満体の体型は、解体後に大川運送のトラックに乗せて、早瀬建設が裏で運用している、山中崎山奥のごみ焼却施設に投棄している。
 その施設も、元々は杉藤家のモノで園生家が管理していた物件だ。

 恐らく、気が遠くなるほどの長い時間。この施設は、杉藤家に渾名した人間をこの世から消していったのだろう。

 時代から人間から忘れられて、牙を抜かれた前世紀の遺物は早瀬建設の力でリニューアルされ、残酷に無情に死体まるごとを灰にする高火力を手に入れた。

「それで、殺すの?」

 重ねて尋ねる物部くんに、僕は困ったような笑顔を浮かべる。

「日野は殺すの決定だけど、やりとりしていた相手を消すかどうかは悩んでいるかな」
「俊雄は慎重だな。まぁ、じゃないと俺たちが困るか」

 大川くんは額に手を当てて、考え込むように目をつぶる。
 園生くんと早瀬くんは、あいまいな表情を浮かべた。それからしばらく沈黙が続き、僕は再び口を開いた。

 大人になって失った思い切りの良さ。
 心底軽蔑していた保身に走る大人。
 責任をなるべく回避して、失わないように必死になって、結果的に弱い人間にしわ寄せが行く。
 救いのない負の連鎖、不幸の飽和、そして世間は人の不幸で満たされる。

「だから、これ以上余計な死体を増やさないように、メールの送信相手を念入りに調べて欲しいんだ。大丈夫、責任は僕がとるから」

 まるで待っていたかのように軽くなる空気。
 僕たちはいつから、責任に怯える大人になってしまったんだろう。

「そっか、なら」
「とっしー、あんがとな」

 感謝なんかしないで欲しい、罪悪感から贈る言葉ならクソクライダ。

「日野を殺すのは絶対的な予行演習なんだ。僕たちがこれからやろうとする相手は、普通に抵抗してくるあくまで一般人。それを忘れないで」

【つづく】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?