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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_28_中学生編 06

「ワテの人生はここに流れつくまで波乱万丈や。おとんが関西大学受験するさかい、北海道から上京したはずが、ヤクザの組長の娘と運命的な出会いを果たして電撃結婚。物心ついた時から、頭がたりん奴らに囲まれてドンパチやら拉致監禁やらのオンパレード。身内の構成員も頭足りんから、報告・連絡・相談《ホウ・レン・ソウ》もできんし警備もガバガバや。こりゃいかんと、まともな生活をさせんとあっちこっち転校したせいで、ワテの関西弁がおかしゅうなった。西日本はほぼ、全部制覇したんやないかな。そんで、今回で初めて関東進出。オトンとオカンは遠縁の親戚の知り合い頼って、この学校にワテを入れさせたんやさかい。だから、ワテの素性をしっとるから寮長《チュー》はワテに強くでれん。いざとなれば、ワテの名前を使ってくれや」

 そう、去年は早瀬くんが僕たちの味方をしてくれたから、ミニヒマワリが荒らされた事件は、なんとか決着がついた。花壇が荒らされたことで、傷ついた生徒の心情が汲めない大人を、なんとか権力で組み伏して形だけの謝罪させたにすぎない。


……キャハハハハ。

 事務所で聞いた若い女性の声に、神経がざわついて、僕は眠りたくても眠れない状態だった。脳裡によぎる【援助交際】という可能性に、嫌な予感で寒くないのに鳥肌が立つ。

 先日、僕たちに見せた神妙な態度は演技だったのか。

 いざとなれば早瀬くん……。

 僕は気持ちを落ち着かせようと、心の中で何度も唱えるが、中学の僕は知らなかったんだ。安易に縋れば、代償を払うことに。

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「なるほど、やはりか」

 昼下がりの食堂で、五代くんは頭が痛そうな顔をした。
 僕が訊かなかったら多分、ずっと黙っていたであろうバツがわるそうな顔をして、眼鏡越しに僕の反応を伺うように顔を覗き込む。

「事務所を掃除していて、最近、ありえない物が捨てられていたんだ」
「ありえないモノ?」

 五代くんは言葉を継《つ》げる前に、周囲をきょろきょろ見回して、用心深く食堂を観察する。当然、キッチンは閉められて、調理する職員たちは引き上げているし、真夏の、しかも午後の日差しが眩しい時間帯だ。冷房が入っているとはいえ、あまり長居をする場所ではない。野球部の連中も、この時間帯は練習に出ているから、僕と五代くん二人だけだ。

「避妊具だ」
「…………っ!」

 絶句した。
 確かに、ありえない……というよりも、あっちゃいけないものだ。
 僕は想像してしまった、僕たちがこの前座っていた長いソファーに、寮長と若い女性が絡み合う光景を。

 五代くんが、見つけた時の光景を再現しているのか、なにかをつまみ上げる仕草をした。

「そう、明らかにヤッてる。あと、チューだけじゃない。複数の男女が事務所をヤリ場にしているんだ」

 断言する五代くんは、摘まみ上げた想像上の避妊具を、プラプラと左右に振り回した。すると、僕の想像力が働いているせいなのか、なにもないはずなのに、ぴちゃぴちゃと粘ついた水音が聞こえてくる。

「うっ」

……キモチワルイ。

 想像した瞬間に、全身が嫌悪でぶつぶつと泡立ち、ソファーに座っていた尻のあたりが痒くなった。

「とはいえ、裏庭でビールの缶を捨てている犯人が、事務所をヤリ場にしている奴らかは、決めつけるのは早い気がする。それより、緑のストレスが心配だな。裏庭のゴミが酷いんだって?」
「あ……うん」

 あくまで冷静に振舞おうとする、五代くんに僕は少し混乱してしまう。

 園生くんが心配? 本気で言っているの?

 ミニヒマワリ事件の時もそうだけど、みんながなんのかんので、園生くんのことを気にかけていることに、心の中がイヤらしくざわつく。ファミレスの一件で、園生くんの本心が分かっている筈なのに、まるで「僕も園生くんが心配なんだ」と思われていることに気分が悪くなった。

 僕はそんなに、彼に対して関心なんて抱けないのに。

「もうすぐ夏休みが終わるけど、その前に緑が参ってしまいそうだな」

 もうすでに、自分の中で決定していることを口にして、五代くんが席を立とうとした。

 彼から漂ってくるのは、五月に咲く黄色いバラの花の香り。優しく高貴の香りの中で、一人の女性が佇んでいるのが見える。多分、貴子さんだろう。後姿で表情がわからないけど、レースのついた日傘を持って、凛と立つ姿には犯し難い気品さがあった。

 五代くんは記憶に背を押されるように、席から、僕から離れようとしている。

「手伝ってくるよ。緑が嫌がるかもしれないけどね」

 いやだ。

 引き留めようと、声を上げようとした時だった。

「だれか、だれか、助けてくださいいぃ!」

 助けを求める声が、複数の駆け足が、食堂に向かってくる。近づいてくる。むせ返りそうな鉄錆の匂いにイヤな汗が背中から垂れて、全身に冷水を浴びせられた気分になった。

「物部くんっ!」
「先輩、先輩、助けてください」

 流れる空気が凍り、僕たちの間で緊張が走った。
 食堂の扉が開き、二人の男子生徒に担がれて、ぐったりとした様子の物部くんが運ばれてくる。
 先輩と言うからには、この二人は寮の四階か五階に住んでいる、一年の後輩なのだろう。

 ぽたりと、なにかが床に落ちた。赤く、点々としたソレは……。

 もしかして、血!

 後輩たちが近づいてくる。引きずられて、運ばれてくる物部くんの首筋から血が伝い、点々と床を赤く汚していく。

「物部! しっかりしろ。杉藤、イスを並べて簡単なベッドを作ってくれ」
「うん」
「おまえたち、何があった? ケガした箇所はどこだ!」

 僕は座っていた丸椅子を並べて、慎重に物部くんを横たえると、緊張の糸が切れた後輩二人が、へなへなと床に膝をついた。

「俺たち、ネコに餌あげていたんです。そこを、さぼりの野球部に観られて、石を投げつけられて、それを先輩が庇ってくれて……」
「石が飛んで、先輩の頭に当たるのを見ました」

 涙ながらに経緯を話す後輩たちに、お腹が冷たくなっていく。眼鏡がずれて、ぐったりと目をつぶっている物部くんの顔は、死人のように真っ白だった。後頭部から漏れてくる血が、ぼたぼたとイスの下に小さな血の池を形成して、不吉な赤が広がっていく。

「救急セットは事務所にある。ちょっと待ってくれ、取りに行く。一応、寮長にも知らせておくし、救急車も呼ぶからね」

 てきぱきと話して、自分のやるべきことをわかっている五代くん。こういう時、彼は医者の息子なんだと再認識する。

「あぁ……ありがとう、ございます」
「俺たち、どうしたらいいのか、わからなくて」

 狼狽してうめく後輩たちは、ようやく安堵の表情をうかべて五代くんに感謝するが、五代くんは表情を崩さずに言った。

「君たちは聞きたいことがあるから、まだここにいてくれ。杉藤、ついてやってくれ」
「う、うん」

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「おいおい、冗談じゃねぇぞっ!」

 五代くんが戻ってきたと思ったら、食堂に寮長までやってきた。
 頭から血が垂れて、床を汚している惨状に慌てふためいて、一目で役に立たないことが分かる。

 まぁ、気持ちはわかるんだ。普段から見慣れている頭部から、理屈が分かっているんだけど、ケガして血が噴き出して流れている。山で死体を見つけた時もそうなんだけど、人間の肉体が、血肉で出来た物体だと認識すると、人間は拒絶反応を起こすんだ。

 なんで人体の一部に、肉屋で普通に売っているピンクの物体が露出しているのか。
 なんでこんなにも、蛇口が壊れた水のように、血があふれて止まらないのか。
 なんで、人形のように顔が白くなって、体全体が固くなってしまうのか。

 包帯から染み出る血が、ベッド代わりのイスを汚して床を汚す。こんな時なのに、僕は今日の夜の食堂は、閉鎖するのだろうかと気になった。濃厚な血の匂いと水とは質の違う、油をまぜたような少し粘りを感じさせる質感から、普通に掃除するのが困難だなと思うのだ。

「大丈夫だぞ、物部。そろそろ救急車が来る。しっかりしろよ」

 ピクリと動かない物部くんに、五代くんは声をかける。
 なんとかしないとと思っても、僕は見ていることしかできない。後輩二人が寮長に問い詰められているのに、なんとかしないと気持ちだけがからまわる。体が動かず、声もでなくなる。

「本当に、本当に野球部だったんだな!」
「はい。ユニフォーム着てました」
「夏の大会、初戦で負けてイライラしているって言ってました」

 寮長が念を押すように、一年二人にことの真相を聞き出す。
 後輩たちは悲鳴に近い声で質問に答えると、助けを求める視線を僕に投げてよこした。そうだ、僕がしっかりしないと。

「寮長、二人が怯えています。落ち着いてください」

 いまにも二人に食って掛かりそうな寮長に、僕は落ち着くように促す。
 正直怖い。強面の寮長の顔に鬼気迫る迫力が加わって、鬼と対峙しているような気分になる。

「…………」

 反射的に逃げ出そうとした時、視界の端に五代くんが映った。
 素人の応急処置だとしても、逃げずにと留まって、歯を食いしばって頑張る姿に勇気づけられる。
 自分のやるべきことをやろうとする姿――まるで何工程も繰り返してきたような、研鑽の厚みを感じさせる手つきにはある種の尊さがあった。

「うっさいわっ! 杉藤! ブサイクなツラを俺にむけるんじゃねぇ!」
「落ち着いて、もうすぐ消防と警察が来るんですよ。いい大人として代表として、真っ先にあなたが事情をきかれるんだからしっかりしてください」

 僕はここにいるのは、逃げるためにいるわけじゃない。
 後輩の二人を背に庇って、左右の違う瞳を見開き、目前の大人に責任を果たすようにと無言の抗議をする。

「あぁっ! そうだよ、そうだよ、余計な事しやがって、ふざけんじゃねええええええ」

 寮長が白目をむいて頭を両手でがりがり引っ掻く。
 掻き壊したところから出血して、口から泡を吐きだしている様子は、かなり壮絶だけど、今ここで、一番冷静に対応しなければならない大人が、こんな調子であることに僕は絶望的な気分になる。

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 数時間後の午後7時。

「最悪や……」

 開口一番に早瀬くんが呟いた。ファミレスに集まった僕たちは、耐えるような顔で、お互いの視線を合わせない。
 視線を合わせたら最後、自分の意志をはなれて感情が爆発するんじゃないか、お互いを傷つけあうんじゃないかと、自分自身が信じられないのだ。

「ゴーは、警察に連れていかれたんだな?」

 大川くんの問いかけに、僕は胸に走る痛みを感じながら頷く。

「うん、任意同行。物部くんを救急車に乗せたことを見守ってから、警察に連れていかれた。後輩の二人も連れて行かれちゃったよ」
「物部君にケガさせたヤツは、どうなの?」
「ごめん、それはわからない」

 園生くんの問いかけに、緊張で口の中がからからになる。園生くんの黒い瞳の奥に、炎が揺らいでいるがみえたからだ。山で遭難した時の、僕の首を絞めてきた時の激情を、彼は今、内に秘めている。

「親父の伝手《つて》で分かったことは、野球部の顧問は売春の容疑で、六月あたりからケーサツにマークされていことや。たぶんやけど、ケーサツ様は野球部の不祥事を表沙汰にして、別件で顧問をしょっぴくつもりや。五代が事務所をやり場にしていたって言ってたんなら、チューのヤツも同罪やな」

 早瀬くんの情報は、正直助かる。
 僕たちの今の立場が分かるから。
 だけど。

「……僕たち、どうなっちゃうんだろう」

 不安をそのまま口にするべきじゃない。だけど、できなかった。
 漠然と、これが地獄の入り口だって分かっていたから。
 出口のない洞窟に入り込んでしまったように、目に映る景色が黒く塗りつぶされて、自分がどこにいるのかすら分からず、ただ立ちつくすだけ。

「どうにもならねぇよ、俊雄。こういう、どうなるのか分からないときは、何かが起こってから行動したほうがいいぜ。俺たちはノストラのおっさんじゃねぇんだ。貴子さんみたいに、未来なんか視ることができねぇし、実際起きないことを考えて、勝手にボロボロになるより、実際起きてから考えた方がいいと思うぜ」
「賛成や。確定していることだけ肝に免じていればえぇんや。ワテらがどう足掻こうとも、大人相手にどうしようもあらへんよ」
「確定していること……。公博が警察にいる。後輩を庇って物部君が頭をケガして病院。……これは、ぼくのせいだな。交代で裏庭を見回るようにお願いしたからだ。野球部の顧問はどちらにしろ責任を取らせないと」
「……そして、僕たちは、もうすぐ二学期を迎えなくちゃいけない」

 僕が言った「二学期」という単語に、ファミレスの中の僕たちが座っているテーブルだけ、時間が止まった気がした。

 早瀬くんは珍しく動揺し、大川くんは分かりやすく顔を青くして、園生くんは小学校の時のように、黒くて大きな瞳を潤ませている。もしかしたら、警察に連れていかれた五代くんも、同じことを考えているのかもしれない。避けて通ることが出来ない、二学期の可能性に歯を食いしばって耐えているのかもしれない。

 ただでさえ、神戸で起きた連続殺人事件のせいで少年犯罪に敏感なのだ。 今回は二つの事件が同時に起きたんだ、数日で収束するとは考えられない。二学期になったら、僕たちを含めた寮生は中《チュー》と野球部の顧問のせいで、いわれのない中傷をうける可能性があった。

「寮をラブホ代わりにしていた、うちの寮長と野球部の顧問。しかも、野球部のさぼりの連中が、神戸からきた転校生にケガをさせた……。野球部の処分次第では、僕たち逆恨みされる可能性があるかもしれないね」

 あぁ、ほんとうに思い出しただけで最悪な気分だ。
 こうして、僕たちの夏休みが幕を閉じて、二学期が始まったのだ。

【つづく】

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