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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_68_20代編 10

 これはいつの話だった?

「なぁ、俊雄。どうして俺の事ずっと名字で呼ぶんだ? 他の奴らもだ。俺たちはいわば一蓮托生だろ? 今からでもいいから名前で呼んでくれよ」

 この時、僕はなんて答えた。

「大川くん」

 僕は大川くんの期待には答えられない。みんなの期待に応えることができない。だって、怖いから。だって――。

「あぁ、わるい。なるほど、それでお前は自分を守ってきたんだな」

 僕の様子になにかを察してくれた大川くんは、そう言っていつも僕を許してくれた。彼の中にある広大な海は、成長するごとに純粋で透き通った青さを失い、腐臭を放ち、濁った血の海が広がるソコには、彼の命が落ちる時まですべてを飲み込むように広がっていた。

 匂いを介して大川くんの心に触れている間、すべてから守るかのように優しく包み込んでくれた彼の優しさ。それを失って割れた卵から、大川くんのいない世界が僕に流れ込んでくる。

『俊雄』

……どうして、死んじゃったの?
……どうして、僕は気づかなかったの?
 
 能力を使えばすぐに大川くんの苦しみが分かった。病で蝕まれた大川くんによりそって、友人として惜しみない援助を施せたハズなのに。

 そんな僕の懊悩に、もう一人の大人の僕が意地悪く言う。

 だって、能力を使った分、反動で顔が崩れちゃうじゃない。それに僕の能力はそこまで万能じゃない。

――違う違う、僕は救う事が出来た。大切な友達を、こんな形でなくすことなんてなかった。

 けど結果は覆らない。僕は自分の幸せの為に能力をセーブした。
 そして、その代償を払った。
 普通の人間が日常的に払っている程度の対価が、僕には死にたくなるレベルで重くて、息苦しくて、大川くんを失った悲しみよりも、自分自身の生み出した痛みで泣いてしまったんだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

2012年、夏。

 大川くんの葬式は身内のみで行われたけど、彼を惜しむ声は多く、火葬場では僕も含めた友人たちや従業員たちが詰めかけるレベルだった。

 早瀬くんは、人目をはばからずみっともなく泣いていた。
 物部くんも鼻をすすりながら、拳をにぎりしめてじっと耐えているように震えていた。
 園生くんは呆然としながら、黒目がちの瞳に涙を浮かべていた。
 ずっと最後まで、大川くんの治療にあたっていた五代くんは、魂が抜けたかのような虚脱の表情で膝から下が崩れ落ちていた。

 そして、僕も――。

『なぁ、俊雄。もう、やめろ』

 それが出来たら、どんなによかったのだろう。
 大川くんが生前に残した願いを、僕は叶えることができるだろうか。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 数か月前。

「よぅ。忙しい所、わりぃな」

 見舞いに来た僕を、痛々しい姿の大川くんが迎えた。治療の過程ですっかり頭髪を失った頭、こけた頬、痛々しく枯れ果てた体に、青い唇。
 なによりも僕を打ちのめしたのは、大川くんの身体から醸し出される独特の空気だ。触れるだけでなにもかもが腐りそうなほど、濃厚で陰鬱な空気に僕は吐き気を覚え、能天気に見舞いの品を持ってきたことを後悔し、手に下げたフルーツの籠に視線を落とす。

 一目見て、果物が喉を通らないことがわかる状態を見なかった振りをして、僕はベッドサイドの小さなテーブルの上にバスケットを置いた。
 
 僕はいつもそうだった。そんな僕を大川くんは、いつものように笑う。そう、いつものように。ずっと続いていくと錯覚するほどに。

 僕たちはずっとずっと一緒にいられると思っていた。
 それは結局、僕の独りよがりだったんだ。
 大川くんが笑うと、少しだけ雰囲気が和らいだ気がする。
 それでも、まだ痛々しさはぬぐえない。
 大川くんはすでに、余命宣告を受けている。
 待ち受ける結末に静かな覚悟を湛えながら、僕に話しかける大川くんの声。病的に変色してひび割れた唇。そこから発せられた声は、切なくなるほど穏やかだ。

「なぁ、俊雄」
「うん、どうしたの?」

 僕は努めて明るく返事をする。その声にすら痛みを感じて、僕はどうしようもないほど動揺して、目から涙が出て、そんな僕を大川くんは薄く笑う。

「俺が死んだら、雪を頼む。アイツ、コミュ障だから俺が間に入らないと、普通に仕事もできないからさ」

 あぁ、どうしていつも、君は他の人間に優しいのだろう。
 どうして僕は、いつも自分のことしか考えられないんだろう。

「うん、わかった。だから安心して」
「それだけじゃ、安心できねぇよ」
「僕だって、安心できない。君はいつも他人の事ばかり考えているから――」
「お前に言われたくねぇよ。っていうか、気づいてねぇのか。お前は自分が思っている以上に、人に気ぃ使っているんじゃねぇか」
「そんなことない」
「あのさ、頭の中でぐちぐちぐるぐるやってんのは、結局現実ではノーカンなんだよ。自分をよく魅せるためでも、誰かに何かをしてやったら、それは確定している現実だろう?」
「それは――」

 君が人の心を読めないから。人の心を読めない人がほとんどだから、そんな風に思えるんだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 僕たちはどう足掻こうとも分かり合うことができない。
 都合の良い勘違いを繰り返して、我慢して、許して、めんどくさいことを積み上げて、優しい勘違いの中で覚めない夢を見続いている。

「お前、また俺の言ったこと、めんどくさくて難しく考えているんだろう」「うん」

 肯定して頷く僕に、大川くんは、ふぅと脱力したように笑って、果物の籠を見た。大川くんの視線の先にスイカが止まって、少し顔を歪ませる。

「俺さー、じつはスイカが大嫌いなんだ。匂いがだめでさ。だけど、俺の家族は俺がスイカが嫌いなこと知らないし、スイカが嫌いな奴ってあまりいないから、説明するのめんどくせーし悲しませたくないしで、ずっと親にも誰にも言えなかったんだ」
「へぇ……」

 そうなんだ、という言葉が、僕の口から続かなかった。
 彼が打ち明けてくれた些細で小さな秘密。それを教えてくれる意味を考え て胸が苦しくなる。

 ほんとうに、大川くんはいなくなっちゃうんだ。

 身内を殺して、多くの人間を殺した殺人鬼が、友人一人の死に動揺している。あぁ、なんて滑稽な現実なんだ。

 やや沈黙が流れて、大川くんは少しためらうように口を開いた。

「俊雄。もう、人を殺すのはやめろ。出来ないなら、いますぐ死んだ方がいい」

 ソウダ ボクハココデ……。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「……やぁ、起きたね」

 目が覚めると真っ白な病室に眠らされていて、傍らに白衣を着た五代くんがいる。僕に対して憐憫の眼差しを向ける、生まれながらに美しい美貌に影を差し、僕のつるりとした額に優しく手を当てる。

「どうした?」

 僕が思わず笑ってしまうと、五代くんは少し眉根をよせて怪訝な表情を作った。とても絵になる顔。こんな顔に初めから生まれたら、どんなに僕の人生は違っていただろう。いいや、父の顔や兄弟たちのような犬系の愛嬌のある顔だったら。

――そう、幼稚園の頃を考えるとちんくしゃより少しマシな、人間の顔のような造作だったら、鼻ぺちゃ系の犬みたいな顔だったのかな。そうなったら、大川くんとは普通に幼稚園で友達になれたのかな。友達もいっぱいいっぱいできて、毎日家でたくさんの友達とゲームやアニメを見てパーティーのように遊ぶんだ。

「あぁ、ごめん。五代くんが医者みたいに見えたから、笑っちゃって」
「なに言っているんだよまったく。君は、火葬場で倒れてしまって大変だったんだよ」

 泣き笑いながらベッドに寝ている僕の頭を撫でる五代くん。彼の背後にエアコンの風で揺れているカーテンが見えて、窓からオレンジに暮れる空とヒグラシの鳴き声が聞こえてきた。

 照明の強さと技術の進化のせいかのかな?
 それとも僕が大人に成長してしまったからかな?
 小さい頃は、学生だった頃は夕焼けになったら、照明をつけていても部屋全体が誰彼たそがれ色に染まったのに、今は違う。時間の流れとともに、目に映る世界が少しずつ変わっていく。

 小さい頃はとても鮮明でカラフルで様々な色で溢れていた世界が、僕が大人になったことで灰色に退色していき、最後に行きつく先は白か黒なのだろう。

 どうせ死ぬのなら。

「ねぇ、五代くん」
「なんだい?」
「僕を殺してくれないかな」
「――っ、なにを言っているんだっ!」

 顔を真っ青にして、まるで恐ろしいものを見るように僕を見る五代くん。僕は今更、自分の浅はかさを恥じた。五代くんも僕も、大川くんを亡くしてばかりだ。しかも五代くんは彼の主治医として、最後まで治療に当たり、そして看取った。僕以上に喪失のダメージが深いのに、僕はさらに五代くんに残酷な仕打ちをしようとしている。
 けれど、吐き出した言葉はなかったことに出来ない。

「お願い、僕を殺して」

 途端に、僕の目の前に天使が現れる。
 マネキンのような体に顔のない天使。背中に様々な生物が蠢いている翼のような集合体に、腰から伸びている触手。

 あぁ、なんて久しぶりなんだ。

 嗅覚を人並に制限していたから、ここ数年、天使の姿を見ることはなかった。自分が正義だと確信すれば、人間はいつでも天使に化ける。そして五代くんは以前にも、僕に対して天使になり、腰に垂れている触手を巻き付けて僕の心を蹂躙しようとしてきた。

 五代くんは僕を殺してくれる?
 恐怖と得体の知れなさからくる緊張で、つばを飲み込むと苦い味が口の中に広がってくる。

「本当に、君は死を望むのかい?」

 問いかける声は、水棲生物が五代くんの言葉を話しているような、くぐもった不自然さがあった。天使になった五代くんから漂う匂いが、腐臭とガソリンを混ぜたようなキモチワルイ匂いになる。息苦しくなって顔をそむけると、生理的に涙が出て、喉のあたりにじわじわとこみ上げてくるものがあった。

「だったら」

 と、天使の手に銃が握られていた。すっと手を伸ばすように、僕の眉間に銃口をつきつけるグロテスクな天使は、その醜悪な姿とは裏腹に労わりに満ちた声音で言う。

「辛いのなら、生きなければいい」

 もう、ヒグラシの鳴き声も聞こえない。
 もう、オレンジ色の空も見えない。
 もう、病院お部屋も見えない。

「苦しいのなら、諦めればいい」

 肉色の壁、不気味な呼吸音、吐き気をもよおす汚臭おしゅう
 むき出しの内臓のような空間に僕たちは閉じこめられて、人間の不幸を望む神様が、良質な蜜を咀嚼しようと、じわりと音をたてて透明な胃酸が分泌されていくのだ。

「医者の立場だから、ロシアンルーレット方式をとらせてもらうよ。君がここで死ななければ、貴子さんはまだ君を必要としているんだ。私は貴子さんに従う、君も貴子さん運命に従え」
「……うわ、久々に聞いたね。君の貴子さん信仰」

 大人になってから鳴りを潜めていたけど、学生時代は中二病ギリギリのラインで君は貴子さんを神格化していたね。
 未来を視た彼女は一体なにを望んでいたのだろうか。
 天使に銃を突きつけられている、現実離れした光景を眺めながら、僕はぽつりと零した。

「そっか、五代くんも死のうとしたんだね」
「……」

 顔のない天使の表面が痛ましげに波打つのを見て、僕は残酷な気持ちと満たされた気持ちの両方をあじわうように目を閉じた。

――どくん。

 心臓が高鳴る。
 銃口に突きつけられた額に汗が浮かんでいくのを感じながら、今か今かと約束のときが来るのをじっと待つ。

 あぁ、僕は死ぬんだ。

 そんなことを考えながら、僕は幼いころを振り返った。
 何度も何度も命の危機があった。その度に事態は悪化して、大人たちの無責任さに嫌悪感を持ち、そして、そして――。

『姉さんの能力は、そんな都合の良いものじゃない。だけどバレたら危険だから、未来視だと周囲に思い込ませてきた。俺も最近になって、ようやく信じるようになったよ』

 これは……。

――チーン。

 仏壇にある仏具を鳴り響き、不気味な写真に囲まれた広い部屋。
 畳に座る幼い僕と両親が、本家の仏壇で手を合わせている光景。
 あぁ、その時、僕の中に入ってきた父の記憶。その記憶は僕の中で封じられたまま、今日まで眠り続けていた。

『姉さんの本当の能力は【《《未来を確定させる》》】力だ。姉さんは杉藤顔になった時、自分の力を確信したみたいだよ。バカバカしい、まるで現人神あらひとがみ――最初の杉藤じゃないか』

 その記憶はいつの記憶?
 父は誰に対して話しているの?

『この世界に残るのは、姉さんが求めたキャストだけ。邪魔な人間は消されていく。そう、いずれ、君も……』

 遠くで銃声が雷鳴のように轟き、僕の意識は闇に溶けた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

【あなたに警告よ。あなたの望みは半分叶って、半分叶わない。それ以前に、望んだ願いを全部を叶えた人間なんて存在しないわ】

 いつかの声が僕に言う。

Death cancels everything but truthデス キャンセル エブリシング バット スルー……【人間、一度しか死ぬことはできない。命は神さまからの借りものだ】という、シェイクスピアの名言だよ。これは、オレの父であり俊雄のおじいさんの趣味なんだ」

 父さん。僕たちの命が神様から借りたものだとするなら、僕たちは一体なんのために生まれてきたの?

――答えなんて、いつもない。

【つづく】

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