【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_86_現世編 04
――緑、頼む。貴子さんを返してくれ!
――うん、ぼくのいうこと聞いてくれたら考えてくれてもいいよ。このリストにある薬を融通してくれないかな?
――これは! 誰を殺す気なんだ!
――うわぁ、やっぱりわかっちゃうんだね。さすがお医者さん! いよっ! 五代病院の医院長先生っ!!!
――茶化すな! 杉藤の望みをかなえるだけでも、結構こっちも危ない橋を渡っているんだ。もし、彼に……。
――あーあー。僕じゃなくて、アイツの肩をもつんだー。そんなことしていいの? あの骨、どうなっても知らないけどぉ?
――くっ。
――そんなに悔しいなら、さっさと良い場所を探して骨壺を埋めてあげればよかったんだ。花がいっぱい咲いている所とか、山奥のひっそりしている場所とか、海が見える高台とか。……高校時代にみんなでバイク旅行したとき、埋めるのに良い場所がいっぱいあったじゃない。しかも遺骨を舐めまわすなんて、杉藤や大川以上に君も変態だよね。見ちゃったときは本当にびっくりしたよ。しかも、しかもだよっ! 骨があんまり残っていないじゃない。もしかしなくても君、杉藤 貴子の骨を食べてたの? というか、食べたんだよね。本当に気持ち悪い。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「おい、起きろ」
乱暴に揺さぶられて無理やり覚醒させられる。杉藤 俊雄の眼前に迫る本田 真人と八幡 国吉の能面からは、怒りと焦燥が滲みだして膨張し、次の瞬間に爆発しようとするほどの緊張をはらんでいた。
二人が焦る理由に思い当たる杉藤は、形の良い唇を滑らかに持ち上げて蠱惑的な微笑を作る。砂糖のように甘く、トリカブトのようにひっそりと毒々しく、状況に応じた美しく感じさせる表情を作り、現実に思考を切り替えて夢の残滓を追い出そうとする。
「あれ、もしかして起爆コードが作動しちゃった?」
声のトーンは嘲笑うような下地の上に、茶目っ気と無邪気さをクリームのように上乗せして。折られた指の痛みを感じさせないように、拘束具を意識しない自然な仕草で肩をすくめる。
「まったく、人の話をただ聞くだけで全部を信用しないでよ。核がタブー視されている教育の影響とはいえ、お粗末すぎて笑えない。性善説というか、平和ボケって本当に恐ろしいよね」
じつは端末を引っぱりだして一定の時間が経過すると、起爆コードが作動するようになっていた。
「余計なことをしなければ、本当にすべてがまるく収まっていたんだ。僕が自白剤を打たれて、解除のパスコードを自白するまで余計なことをしなければ……」
「うるさい。余計なことだと考えるのは、お前だけだ。いつ襲い掛かるか分からない猛獣を相手に、悠長に構えるほどの余裕なんて上層部の老害どもにはない。しかも核だぞ」
吐き捨てるように言う本田は、馬乗りになって杉藤の胸倉をつかんだ。強い意志を秘めた本田の視線は、杉藤の美貌を通り越して彼の内に宿る意思のうねりを見通そうとしているようだ。暗闇の中に差す白い斜光のように容赦なく、生娘に襲い掛かる強姦魔のようにすべてをあばきたてようとする強い意志。濃厚な血の匂いを漂わせながら、本田という名の獣はシリアルキラーの内面に踏み込もうとしている。
「ヒントは言ったよね? 僕の思い出だって」
「けれど、思い出に意味はないんだろう」
日本では目下、杉藤俊雄のヒントのもとでプロファイリングチームがパスコードを探っている最中だが、このプロファイリングチームも、自分たちが相対している相手が核爆弾だと思っていない。
核爆弾を二回も投下されて、核の脅威を知っているからこその非核三原則。周辺国家が中国だろうとも、韓国だろうとも、北朝鮮であろうとも、ロシアであろうとも、ロシアがウクライナに進攻しようとも、日本は非核三原則という藁の楯を掲げてきた。
憲法第九条のもと、友好国であるアメリカが日本を助けに来てくれると信じて。中国や韓国、北朝鮮やロシアの脅威から、わざわざ日本を守るメリットが時代と共に変化する味方のはずの存在を信じて。
日本が国際社会において地位を落としながらも維持されてきた、平和という名のプライドはこの時点で諸刃の刃と化している。
「思い出に意味がないから、お前の過去の出来事、その日付から意味はない、つまり13571を引いて残った数字が解除コードか? それの逆で組み込んで12桁なのかっ! どうなんだっ! えぇっ!!!」
取り乱して杉藤をガクガク揺さぶる本田の姿に、杉藤はおかしくてしかたがなかった。目覚める以前の冷静で威圧的な態度が消えて、核爆発というわかりやすい日本の危機に対して取り乱している本田の姿は、見ていて気持ちがいいものがある。
視界の端でタブレットを操作している、杉藤の指を折った八幡も表情が暗く、焦りで額から汗が垂れているのが見えて愉快で仕方がない。
「小学生の時に山で遭難した日付は……、そこへ中学生の時のミニヒマワリ事件、いや寮の放火か」
呟き、雫のように零れ落ちる言葉に、甘く耳の奥がくすぐられる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
思い出という記憶。友達が生きていた、存在していた、僕が失ってしまった幸せ。
僕は僕の大切なものを自分で壊して、なにもかも台無しにしてしまった。そうせずにはいられなかった。だから、ごめんなさい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あと数分で、山中崎がこの世から無くなるんだ。
本田がなにかを叫んでいる。八幡がなにかを言おうとしている。声が、音が、痛みが、色彩が真っ白く塗りつぶされて、なにもかもが遠ざかっていく感覚。それに比例してドクドクと血を送り出す鼓動の音だけがやけに内側に響いている。
「――っ! ――っ!」
「――」
なんて静かで安らかな世界。山中崎が無くなるというだけで、こんなにも気持ちが落ち着くなんて、だったら早く実行に移せばよかったんだ。
人を殺した時に分かったことじゃないか。
目ざわりで、耳障りで、うざくて、煩わしく、忌まわしくて、おぞましくて、存在するだけでイライラする――けれでもそれが人間なんだ。
僕が殺したいと思う一方で、他の誰かはソイツのことを大切に思っているかもしれない、人間は一面的な存在じゃないからブレーキがかかる。
殺した結果、僕がすっきりする。誰かが泣く。
僕の不幸が減る。誰かの不幸が増える。
僕だけが知る被害者の人生。ソイツだけが知る被害者の人生。
お互いが決して交わらない思い出が確かに存在するからこそ、人間が一人、自立して生きていることが証明される。
生きている、殺せる、だから死ぬ。
それは人間に限ったことじゃないんだ。
北朝鮮から買った小型核爆弾は、普通に考えて冷戦前後に開発されたことを考えると、日本に投下された原爆より改良を加えられているみたいだから、広島長崎の比ではないだろう。
学校の授業や修学旅行の資料館で語られる悲劇が、僕の手で引き起こされることに、妙に感慨深いもの感じてうっとりとした気分になる。
映像で見たそれは、まるで小さい太陽が爆発したような様相だった。4000度に達する温度、強烈な爆風、高熱火災に黒い雨。山中崎の場合はY字の川が最終的には荒川に流れ込むから、放射能の被害は都内にまで及び東京湾どころか近隣の県まで汚染する。
それが杉藤 俊雄が起こされた惨劇だとするば、僕は稀代の殺人鬼どころか、未来永劫語り継がれる伝説の化け物として後世へ名が残るだろう。
僕を生み出した土地を滅茶苦茶にして、世界のすべての人間が僕だけではなく、その土地に住む人間たちに悪感情を抱き、なんとか助かった政治家たちも、あの時死ねばよかったと思うぐらいむごたらしい目にあわされる。
日本どころか世界レベルでひっくり返る事態だ。
国内はコロナのこともあって大規模のパニックと暴動が起こり、関東一帯は放射能に汚染されて生き残った人たちは選択を迫られる。
突然奪われた日常に喘ぎながら、今後何十年にもわたって絶対的な不幸と不安を抱えながら生きていくことになるんだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
責任をとろうとしないからこうなる。
誰かが自分の代りに手を汚すことを願うからこうなる。
自分自身に向き合わなかった結果、楽を求めて無責任に生きてきたツケを払わされるのだ。
怠惰な国民にふさわしい、なんて素晴らしい結末なんだろうか。
お先真っ暗で先を見通すことができない、一つ一つの選択が死に直結する不確かな未来。
大破壊を経由して新世界が誕生し、僕は伝説として名を残す。想像すればするほど心が弾んでしまう。ワクワクしてしまう。
さぁ、早く、早く爆発してよ。
どうせ君たちは、僕の言葉の意味なんて理解しちゃくれない。
そう、この十数年、だれも【僕たちのことなんて】気付く人間なんていなかった。
だからこんな結末になったのは、僕たちだけのせいじゃない。
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――あぁ、これでやっと終わる。
全身から力が抜けて、満足感が胸を満たして目から涙があふれてきた。
これで、やっと、僕は――。
「……やぁ、久しぶりだね」
「――っ」
聞きたくない声に全身の浮遊感が失せて、がくんと全身に重力がのしかかってくる。音が、色彩が、世界が僕の五感を取らめて絡めて、がんじがらめにして、僕の身体をベッドの上に磔る。
視界が揺れている。
足先から全身へ寒気が駆け上ってくる。
頭が痛い。
耳鳴りがする。
吐きそうだ。
全身が震えて嫌な汗が流れて、膀胱が緊張で破裂しそうになる。
「なぜ?」
ようやく絞り出された声は幼子のように頼りなく、戸惑いと怒りが雨水のように滲んでいた。
八幡のタブレットに映される、記憶より年を重ねた葉葉山 甲斐の顔。老いても尚、精悍さを失っていない顔立ちに分厚いレンズの老眼鏡、計算し尽くされた見る者の警戒心を解き解く表情。不気味な輝きを帯びた瞳に射すくめられて、僕の心臓が激しく脈打ち始める。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「なぜって、君の人となりを知る専門家って言ったら、僕しかいないから公安から協力員としてお願いされたんだけどね。まったく、君はたいしたものだよ。関係者たちの心理状態の合間を縫って、ここまでうまく立ちまわったものだ」
感心したように頷く葉山に、杉藤の顔がさっと青くなる。
夢から覚めたどころではなく、天から地獄へ叩き落とされたような絶望の表情。瑞々しい美貌を真っ白に染め上げて、大きな二重の瞳に涙を浮かべる様。まるで怯える雛鳥のように痛々しい姿は、見る者の庇護欲を掻き立てるのかもしれないが、この場にいる人間全員は表面上のことに惑わされたりしない、安易な同情なんてかけはしない。
を断罪できる適切な人材だからこそ、本田も八幡も山中崎の高性能爆弾が核爆弾だと明かされて、杉藤 俊雄確保の任務を任されたのだから。
「さて、君にとってうれしくない報告だ」
――止めろ。
「起爆コードは解除させてもらったよ。まったくもって盲点だったが、あることに気付いた人がいてね、彼女がいてくれなかったら今頃、検討違いな番号を打ち込んでいる所だったよ」
葉山の言葉に、杉藤の瞳から光が消えた。
【つづく】
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