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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_88_現世編 06

 光の差さない真っ暗な空間で、幼い子供と白衣の男性が見つめ合っていた。

「つまり、君は杉藤家の力を使って、自分の中で杉藤 俊雄を再現しようとしたんだね」

 まるで大人のように物分かりの良い口調の幼子は、狆くしゃの顔を悲し気に歪めて白衣の男性を見上げる。白衣の男性の方は答えない、いや、答えようがないというのが適切なのかもしれない。二重の瞳に憂いの影を揺らし、中性的な美しい顔に悲哀の影を落とす。

「それで、君の中にいる僕は誰なんだい?」
「……君は、君たちは私がなんとかひろいあげることに成功した杉藤 俊雄の一部だよ。まさか人の精神構造があんなにも膨大で、あんなにも複雑だとは思わなかったんだ。私の身体に保存できる君のデータには限界があって、私も私の記憶をできるかぎり圧縮したり、君の動画や日記から補完を試みたんだけど……」
「結局、君は君だったんだね。とっしーのチャンネルがバズりはじめて、熱狂的なファンが出来たのは僕に成り代わってからだ」

 その言葉に白衣の男性が目を伏せる。
 どうしようもなかったのだ、彼は彼の記憶と知識を使い、自分の中にいる俊雄を蘇らせるために必死になって、いつのまにか自分が何者であるのか見失ってしまった。

「君が死んだと聞いて、私は……、いや、ぼくはショックをうけた。多くの人間に望まれなかったせいにおいて、貴子さん以外の人間で、ぼくを助けてくれた君と大川に恩を返したかった。ただそれだけなのに、ぼくは結局、大切な友達を見殺しにしてしまったんだ」
「君は五代くん……なんだよね?」

 幼子の問いかけに、五代と呼ばれた男は難しそうな顔をする。頭上を仰ぎ、腕を組み、頭をかきむしり、その場を何往復も行ったり来たりして、自分の考えをまとめようとしているようだった。

「どうしたの? 難しい質問だった?」
「いや。もうこの際、自分自身を定義するのは難しいから、ぼくは自分のことを五代 公博として定義しようと思う」
「もしかして、僕が思っている以上に君の中はややこしいことになっているの?」
「あぁ、ぼくもぼく自身のことを正確に把握していないんだ。これがなんの能力なのかもね」

 呆然と呟く覇気のない声。顔色は幽霊のように白く、存在自体が周囲の闇に溶けそうだった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「君が殺されたのに、ぼくは貴子さんを選んでしまった。それでぼくの心は限界を迎えてしまったんだ。緑の前でぼくの顔面は崩れて、溶けたぼくの顔は君の頭に潜り込んで、脳みそを直接取り込んだんだ。どうしてこんなことを自分が出来たのかは、うまく言えない。説明も出来ない本能的なものかもしれない。ホラ、虫って卵で育つじゃないか。親に教わることなく、食べ物を選別して食べて、交尾をして子孫を残す……多分、杉藤顔に変容したぼくは、自分を守るために君になりきることを願ったんだと思う」

 まるで言い訳をするかのように必死に言葉を紡ぐ五代は、いまにも泣きそうな顔をして、幼い杉藤 俊雄を見る。どこか責めるように表情を険しくさせて、両手で顔をおおい、その場に膝をついて首を垂れる五代は、次に絞り出すような声を出した。

「ねぇ、どうして君はぼくを肯定してくれないの? 君だってずっと優しい夢を願っていたハズさ。なんでわざわざ自分から地獄に足を突っ込もうとするんだ……」

 思い出したくなかったのに。
 本当は全部なかったことにして、何もかも忘れてしまいたかったのに。
 どうして、寝る子を叩き殺す……そんな残酷なことを望むのだろう。

「話を聞く限り、君は僕の本体である杉藤 俊雄に何度も暗示をかけた。そして君も自分を保つために、自分自身を騙し続けた。それってかなり不自然な状況じゃないかな。どうあがこうとも、僕たちは一つの肉体を持つ人間さ。傷口が時間だ経つとふさがるように、不自然な記憶の欠損があったんだから、肉体の方は記憶を修正しようと判断するだろう。僕たち人間の身体は生きるために機能しているものさ。幸せになるために機能することはない。幸せは人生の邪魔になると判断するから、なんどもイヤなことを思い出して、友達を疑わせて、僕たちを本来の現実地獄に引き戻す……そのせいで、君も僕も等しく不幸になった。僕たちの大切な友達もね」

 あとさ。

 と、小さな言葉が空間を震わせる。

「君はまだまだ僕に隠していることがあるんじゃないかい?」

 声の圧が強まり、周囲の空気が変質する。

「やめてくれ、頼む。もう許してくれ」

 かつての友人の懇願に杉藤 俊雄は首を横に振る。

「……それはできない相談だよ。君がどんな理由であれ、僕は真由を愛していた。そんな僕に偽りの記憶を植え付けて、彼女との思い出をなかったことにしようとした君を、彼女の死後ですら、僕を使って真由を貶めて、尊厳を穢し続けた君を許すわけがないじゃないか」

 じっと五代をみつめる瞳には、怒りの炎が黒々と燃え盛っていた。
 狆くしゃの醜い顔を赤く高揚させて、小さな体から圧倒的で絶対的な熱量を発している。

「許さない。絶対に許せないよ。どうして、そんな酷いことができたのさ? ちゃんと話してよ」

 暗闇に木霊する幼い声。
 朝を告げる鐘のごとく響く声には、甘い夢を見続けることを赦すことなく、五代に懺悔を求めている。

「……だって」

 対して短い沈黙を経て、拗ねた子供のような声を出す五代は、二重の瞳を杉藤 俊雄に向けた。

「君があまりにも幸せそうだったから……っ」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

――この女はなにをいっている?
 この男は、杉藤 俊雄でなく、行方不明の五代 公博だって?

 老女の言葉に、煮詰まった沈黙がホテルに充満した。
 本田も八幡も、そして五代 公博だと名指しされた杉藤 俊雄も虚を突かれたように顔をこわばらせて、言語化できない感情の渦に収拾がつかず、眼にどろどろと混沌の泥を横たわらせている。

 前提が崩れてしまった。
 自分たちは杉藤 俊雄を確保したつもりが、とんだババを引いたことになる。刑事二人は顔を伏せて、必死に思考を切り替えようとする。平時の仕事だったら白から黒へ、0から1へ、めいからあんへ瞬時に思考を切り替えることが出来た。

「ふざけんなあああっ」

 それが叶わなかったからこそ、本田はこぶしを振り上げて杉藤 俊雄の顔面に振り下ろそうとする。確信があったわけではないが、老女の言葉が己の中にわだかまっていた違和感を具現化させたからだ。

 タイ向かう道中で、プロファイリングチームから渡された資料と現実の差異。それはいつものことであるのだが、今回は本質が違うように思えたから。

「落ち着いてください! 警部補殿」

 拳が美顔へ打ち下ろされるタイミングで制止する。役職名で本田を呼び羽交い絞めにする八幡は、痩身の体格に似合わない馬力で、強引に窓際まで引きずって籐編とうあみのイスに座らせた。
 困ったように息を吐き、手櫛で髪を整えて気持ちへ落ち着かせる八幡は、協力員ごときがひっくり返した現状に苛立ちが口をついて出る。

「驚きましたし困りましたねぇ。では、杉藤 俊雄は今、どこに潜伏しているのでしょう。核爆弾の解除に貢献していただいたのは、こちらも感謝を申し上げますが、根拠を説明していただきたい」

 テーブルに乗せたタブレットに話しかける八幡は、怖気のするにこやかな表情を浮かべながら、虚ろな瞳をタブレット画面の向こうにいる福田に向けた。燻ぶるような怒りと虚脱、そして腑に落ちてしまった自分自身に腹を立てて、まるで責めるような口調になってしまったことを内心で恥に思いながら、思考を回転させる。

 自分と本田の目的は、あくまで葛西 真由の行方であるのだから。
 この男が五代 公博ならば、杉藤 俊雄に近い人物に違いないし、彼女の行方を知っている可能性だって十分にあり得るのだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「チッ、納得できないねぇ。顔はとにかく、五代 公博と杉藤 俊雄じゃ体格が違いすぎる。身長を杉藤と合わせるために、足の骨を折ったのかぁっ! あぁっ!!!」
「……その可能性もあるかもしれないし、私は貴子から杉藤家の異能をよく聞いていたのよ。自分の顔や体を自在に操れる能力者がいてもおかしくないと思うわ。擬態っていうのかしら? こういうのって」

 花や木の葉に化ける虫。
 自身の模様を変化させて周囲に溶け込むイカ。
 草原に潜み、縞模様を同化させて獲物を借る虎。
 周囲の環境に合わせて進化してきた生き物たち。人間はどうして、いつまでも不自由なままなのだろうか。
 周囲が敵だらけで、国自体が国民を守るために機能していないというのに。

 福田は遠い目をして、ベッドに拘束されている人物を観察する。大切な人の面影と人工的に形作られた美貌、どこか呆けた表情で福田を見つめ返す瞳には冷たい怒りが燃えている。

「あははは……。まったく、ばかばかしいっ!」

 突然、杉藤が叫ぶように言った。瞳の笑ってない笑顔で不敵に口角を持ち上げて、白い歯を見せつけるかのように口を開く。

「僕の能力が擬態だって言うのなら、なんでわざわざタイに行く必要があった? 僕は病院で整形を手術を受けた。病院のカメラだって、町中のカメラだって、僕が僕である証拠はそこら中に残っている。僕が杉藤 俊雄ではない証拠はどこにあるというんだい?」
「そうね。なんで君がわざわざタイまで行ったのか、それはあなた自身にしか分からないし、私はそんなことに最初から興味がないのよ」

 気炎を吐く杉藤に対して、福田は淡々と冷めた声で言う。老女と同期するように動くセーラー服の少女は、まるで何もかも知っているかのような余裕のある態度と、底知れぬ迫力を秘めた見透かすような瞳で、真実をつまびらかに斬り込んでいく。
 恐れることも、迷うことも、臆することも、おののくことすらも――ない。

 今、この瞬間が、重要だといわんばかりに。

 それは長い時間を生きてきたからこその貫禄だろうか、それとも多くの人間と関わってきたゆえの経験則か、福田少女の中に揺るがないものを感じて、杉藤の顔から紙のようにうすっぺらい軽薄な笑顔が消える。

「だったら放っておいてほしかったね。そこまでする理由ってなに? 日本あんな国を救ってみせたり、僕を五代くんだって決めつけたり、一体ぜんたい。あんたは、なに様のつもりなわけ?」

 苛立ちを隠しきれずに、杉藤の声が尖る。しかし、福田少女は気にした様子もなく平然とした態度を崩さない。なぜなら、そんなことはすでに些末なことなのだ。自分たちは杉藤 貴子の敷いたレールを歩き、ここに行きついた。ただそれだけなのだ。

「……そうね、あなたの言いたいことはよく分かるわ。貴子は世界が滅べばいいのにってよく言っていたし、私もこんな国は一旦滅んだ良いんじゃないかと思う。だけどあいにく、あなたにとっては余計なことかもしれないけど、私にとっては必要なことだった」

 そして、それはたぶん、貴子にとっても。

「人間社会って本当にうんざりするわよね。一人一人の独立した意思があるのに、すべての人間に、いつのまにか何かしらのつながりが出来あがっている。自覚するだけでそれは無限に広がっている上に、がっちりと結びついていて息苦しいったらありゃしない。人は一人で生きられないんじゃない。生きられないように出来ている……そういう仕組みなのよ。一切合切いっさいがっさい、滅茶苦茶にして無に還したい気持はよくわかるけど、私はどうしても君に会いたかった。杉藤 貴子の息子である、ただ唯一のあなたにね」
「やめてよ。僕は杉藤 俊雄さ。それ以上でも、それ以外でもないよ」
「いいえ、あなたは五代 公博よ。あなたが気づかないだけで、あなたは自分自身で杉藤 俊雄を否定している」

 それをあなたが気づいていないなんて、最大の不幸ね。

【つづく】

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