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【加筆・修正ver】杉藤 俊雄 は××したい_61_20代編 03

 数時間後。

 早瀬くんと話したいことがあるから。

 そう言って、僕はみんなを帰した。
 もしかしたら、ターゲットにヤクザがいるかもしれないのだ。早瀬くんと僕が相談することは、みんな疑問を持っていないようだった。

 15畳のリビングにコの字型のカウンターキッチンがはまっている。キッチンの鉄板には白地にマーブルの天然石が使われて、リビングに面しているスペースにイスを置くと簡易型カウンターバーの完成だ。

 僕は早瀬くんをイスに座らせて、なにげなさを装いながら尋ねる。

「なに飲む? ビールがいい? それとも、良い焼酎が手に入ったんだけど、それを飲む?」
「うーん、ビールがえぇわ。最近あつーてしかたがない。10月になってもこんなにあつーて、しんどうてしんどうてしゃーないわ。キンキン冷えたビールでいっぱいやりたい気分や」

 しゃーないしゃーないと、歌うように口ずさんで手を扇にして仰ぐ早瀬くん。

「うん、わかった。ビールキンキンに冷えているし、グラスも冷やしてあるよ」
「お、ほんまかっ! おおきに!」
「うん、おおきに、おおきに!」

 僕はなにも気づかない振りをする。
 早瀬くんの匂いが変質していることに。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

『とっしーっ! なんてことをしたんや!!! 自分が何をしたんか、自覚はあるんかっ!!!』

 僕を殴りつけて胸蔵を掴み上げる声は、怒りよりも悲しみで震えていた。葛西 真由を殺したことを、包み隠さず早瀬くんに打ち明けたからだ。

 早瀬くんと葛西 真由は仲が良かった。だから、彼女が姿を消したと知ったら、早瀬くんは何が何でも、ヤクザも警察も巻き込んで、彼女を探し出そうとすることが予想できた。

 彼女が死んでいると分かったら犯人を捜すことも、僕以外の人間だったら凄惨な復讐を遂げることも、彼がとろうとする行動の一つ一つが手に取るように想像できるのだ。付き合いが長い弊害だ。

『自覚はあるよ。仕方なかったんだ。顔が悲惨だと、どれほど惨めな思いをするか、君にはわからないよ。自分はなにも悪くないのに、腫れ物みたいに扱われて、常に周囲から感謝を強要されて自分が人より劣っていることを意識しないといけないんだ。そんな地獄を、自分の子供に強いるわけにはいかない』

『せやから、あのを赤ん坊ごと殺したんか? そんな理不尽、筋が通らへん!』

 ぱっと僕の胸ぐらから早瀬くんの手が離れる。掴んだ部分の服の布地が、ぐしゃぐしゃとした皴になり、その皴の様相がまるで今の早瀬くんそのものに見えた。
 早瀬くんは項垂れて、地面に膝をつき、大きな体を悲しみで震わせている。

『……早瀬くん、僕は』

 悲しい、苦しい、許したい、許したくない……。彼の身体から漂いだす土の匂。匂いから紐解かれえる嵐のような感情は、悲しみが核となって荒れている。

『とっしー、ワテはとっしーが好きや。せやから、嫌いになりとうない。殺しとうない。後生やから、あの娘の死体がどこにあるんか教えて欲しい』
『……それは――』

 声を詰まらせる僕を、早瀬くんは見上げてくる。涙に濡れた垂れ瞳には、怒りよりも哀しみが色濃く浮かんでいて、それがとても痛ましく思えた。

 変質する。冷たい土の香りが。安らかな死の匂いが。弔いのラベンダーの香気が。すべてが腐って死に絶えて、饐えた土の匂いが周囲に溢れ出す。

 この時、ようやく僕は彼女を殺したことに対する嫌悪と罪悪感を覚えた。彼女の死一つで、早瀬くんの世界ががらりと変わり、彼は僕を許した代りに絶対的な味方ではなくなった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 あぁ、そうさ。僕はずるい、矛盾の塊さ。

 大川くんには、大切な友達を殺したことを打ち明けずに、早瀬くんにはあっさりと打ち明ける狡猾さ。早瀬くんは友達を許してくれると、分かっているからこその、浅ましい計算。

 変えようのない僕の失敗は、苦い現実になって僕に迫ってくる。
 キッチンの奥にあるでかい冷蔵庫から、冷えたジョッキグラスを取り出して、ビールの詮を抜いて注ぎ、さっきコンビニで買った缶詰を三つ全て開けて、そのまま簡易バーカウンターにならべた。もちろん、早瀬くんのために来客用の割りばしを出すのも忘れない。

 缶詰の中身はつぶ貝、鮭の中骨に、カニ缶だ。思ったんだけど、缶詰って海産物系が多い気がする。オーソドックスなツナ缶に鯖缶もあるし、牡蠣に貝柱、サンマのかば焼きもなかなかおいしい。鯖の水煮なんかそのまま料理に使えるから、とても便利なんだけど、それを言うと微妙な反応を返されるから、僕は言わないことにしている。

「おぉ、豪勢やな!」
「足りなかったら言ってね。冷蔵庫にまだいっぱいあるから」
「ほんま、おおきに……で、本題はなんや?」

 穏やかながらも低い声に、僕は美貌に笑みを浮かべながら対面よりも、斜め横に座った。早瀬くんから真っ正面に対峙できるほど、僕の神経は図太くもないし、肝も座っていない。カウンターキッチンに遮られて早瀬くんには気づかれていないけど、膝がさっきからガクガク震えていて、足元が冷たくなるほど緊張している。

「ずっと聞きたかったことがあるんだ」

 ビールを飲まずに僕は切り出した。アルコールに頼らないで、自分の気持ちを伝えようとする誠意を、彼に知って欲しかった。

「ほう、なんや? 今回にも関わることか?」
「それはわからないけど、ずっと聞きたくて、だけど聞くのを避けてきたこと」
「ん」と、早瀬くんは興味深そうに片眉をあげた。
 この質問をするには勇気がいるし、僕にとってもとても重大だ。でも、ここで聞かないと、一生尋ねることなく、目を逸らし続けていただろう。だから思い切って口を開いた。

「君が僕と同じ中学に入学したのは、偶然? それとも杉藤家と君の家との間に、なにかしらの事情があったの?」

 こんな質問をする日が来るなんて思わなかった。
 中学校の僕なら早瀬くんの生い立ちも背景もなにもかも、全部受け入れることが出来たのに。
 大人になって杉藤家の影響力を知って、僕自身の立場も理解して……だからこそ、見逃せなくなった。

 組長の娘と恋に落ちて、極道に堕ちた父親を持つ家庭。関西系暴力団【八雲会やくもかい】直系――一次団体【早瀬組はやせぐみ】組長の跡取り息子。八雲会長の愛人が産んだ娘が早瀬くんの母親で、八雲会長に認められるために立ち上げたのが、早瀬くんの父親が組長の早瀬組だ。

 関西大学を目指して、北海道からはるばるやってきた青年のサクセス・ラブコメストーリーは割愛するとして、早瀬くんの家の力を知ってしまえば、僕と同じ中学に入学してきた経緯には、なにかしらの裏や事情が絡んでいるんじゃないかと考える方が自然。僕に疑念を抱かせた君が悪いんだ。

「……」
「ねぇ。早瀬くん、どうなの?」
「…………そうやな」

 僕からの追及に対して、早瀬くんは小さく息を吐いた。そして、意を決したように口を開く。

「ワテも最近、知ったんやけどな」

 そう前置きする早瀬くんは語った。
 関東一帯を支配に置く、武闘派系暴力団【央龍会おうりゅうかい】は山中崎だけは勢力圏に収めなかった。それは戦後に杉藤家当主(つまり、僕の祖父)と央龍会会長とが結んだ密約が理由らしいんだけど、詳しいことはよくわからない。というよりも、当事者がほぼ全員死んだことで真相はやぶの中だ。

 杉藤貴子の呪いだか何だか知らないけど、杉藤家のみならず、央龍会会長の一族と直系構成員が同時期、まるで見えない猛獣に襲われたかのように次々と死亡した。死因は事故死・病死・突然死と後ろ黒いモノがない分、なんともいえない不気味さがあり、呪いを信じさせるほどの本能的に訴えるモノがあったらしい。

 法も暴力も通じない世界を【央龍会】は恐れた。山中崎という土地そのものが禁忌となった。手を出してはいけない土地として、【央龍会】どころか全国のヤクザ組織は、山中崎に手を出さないという暗黙の了解を結んだ。

 事情が変わったのは近年だ。

 中国マフィアを筆頭としたアジア系組織が台頭したことで、山中崎は裏社会から目を付けられることになった。なにも知らない彼らから見たら、ヤクザの支配が及ばない丸裸の土地だ。片田舎とはいえ杉藤家と懇意になれたら、関東に進出するうえで重大な拠点となりうる可能性があった。
 それに、なによりも杉藤家が所有する手つかずの自然が残る山々は、土地を所有できない中国人にとって、とても魅力的に映ったらしい。

 彼らは僕の父に接触したが父は申し出を拒否し、門前払いにしたそうだ。僕は知らなかったけど、父は杉藤家当主として毅然とした立場で山中崎をアジア系の組織の魔の手から守っていたらしい。

 そういえば……、と思い出したのが、僕が幼稚園の頃だ。家にほぼ帰らず、常に顔色の悪い父のことを思い出した。小学校の頃には、僕になにかが起こるんじゃないかって、異様に不安がって遠足のリュックに発信機とかを入れようとした母の姿を思い出した。

 僕は守られていた?
 いや、今はそんな感傷に意味なんてない。

 早瀬くんは、そこで表情を曇らせた。

「つまりや。ワテはていのえぇ、生贄だったんや。行儀のわるぅ外人さんが、山中崎に好き勝手暴れる気配があったさかい。けど、呪いも怖い。そこで【いつ死んでもえぇ】ドラ息子を差し出して、山中崎は【八雲会】の仮の縄張りにすることで、ことを収めたっちゅーことや」

 と、肩を落として、ビールが注がれたグラスに手を伸ばす早瀬くん。せっかくキンキンに冷やしたグラスが、長い語りによってガラスの表面に涙のような水滴を滑らせて、底が持ち上がったことで照明の光で淡く輝く水の輪ができる。

「【央龍会】もこのことについては、黙認しちょるけど、内心は穏やかやないハズや。なんせ、ワテ、ピンピン生きているさかい。ワテには呪いが通じんと、知らんうちにはくがついちょった。いや、うすうす気づいていたんや。呪いなんて結局、ただの迷信やて。今回、関東のもんがちょっかい仕掛けたんは、軽めのジャブをかましてきたんや。タイミング的に考えて、そうにきまっとう……」

 早瀬くんは、言葉尻を濁すように言葉を区切った。
 込みあげてくる感情のせいで、情報が整理できなくなってきたらしい。ビールに口づけて喉仏を嚥下させると、冷たくどんよりとした瞳が僕を見つめた。

 僕になにかを求めているように。
 僕が求めているものが、自分と同じであることを知っているかのように。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「よかった」

 するりと唇から言葉が出た。

「早瀬くんの口から聞けて、よかった」

 これが僕の本音なんだろう。

 正直、もしかしたら僕たちの出会いは偶然で運命的なもので、見えない強い絆が結ばれていると、そう思いたかった。だけど、大人になって分かるんだ。散らばった点と点はちゃんと線で結ばれていて、結ばれる線が見つけられないと、その点が夜空に輝く星に見える。
 うっすらと線が見えても、思い込みで星座を幻視できるのかもしれない。キレイな意味を見出せるのかもしれい。
 それが、大人になった僕には、もう出来ない。

「ありがとう、早瀬くん。これからも、僕の友達でいて」
「とっしー……、えぇのか」
「だって。早瀬くんがいるから、山中崎は危ない連中が手を出してこなかったんでしょう。これから大変かもしれないけど、僕たち、これまでいろんなこと乗り越えてきたよね。だから、今回も乗り越えようよ、一緒に。ずっとずっと」
「とっしー」

 あぁ、なんて弱々しい早瀬くん。
 中学の頃と比べて、君はとても弱くなってしまったね。
 だから、自殺しちゃったの?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 リボルバーの銃身をこめかみに当てて、サングラス越しに君は僕を嘲笑う。
 垂れ目の瞳に冷ややかな光を宿して、静かに指が引き金を引く瞬間、僕の頭の中で残酷な計算が働いて、僕は僕のすべてを台無しにしてしまった。

 爆ぜる火花と赤い血に、ただの物体となった死体に、ぞくぞくとした形容しがたい喜びが背筋を撫で上げる。股間が熱を持って膨らんで、全身に狂おしい血のたぎりが湧き立った時、僕は人間として《《やってはいけない》》ことをした。

 湧き上がる快楽の波にもまれながら、僕は自傷じしょうして、さらなる快楽を得ようと腰を打ちすえる。

「早瀬、く、ん、早、せ、くんんっ!」

 中学の時のように、僕をずっと抱きしめて。
 高校の時のように、僕を優しく受け入れて。

 僕の身体は小学生の時に葉山に汚されちゃったけど、君はそんな僕に優しくしてくれたよね。僕の頭を撫でて、時には恋人のように腰に手をまわして、僕が悲しい時は額にキスを落としてくれたよね。

 葛西 真由と付き合っていてから、君は僕に気安く触れることがなくなって、僕はとても寂しい思いをしたんだよ。大川くんも死んじゃって、寂しくて寂しくて狂いそうだったんだよ。

「あっ……あ、あぁっ!」

 真っ白に塗りつぶされる世界。
 僕だけ一人取り残されて、独りよがりな快楽に酔いしれる。
 用が済んだこの死体を、どう片付けるのかを考えながら。

【つづく】

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