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隠れた真珠〜エルサレム・シリア正教会〜 No.1

エルサレムにはあらゆる宗派のキリスト教会がある。イエスの物語の舞台であるだけに、それは当然のこと。その中でも、ひときわ特別な教会がある。最古のキリスト教会にして、エルサレムでは最小の教会コミュニティ。それはシリア正教会。

シリア正教会は最も古くからある教会で、彼らの典礼語は、イエスが日常で話したと言われるアラム語。ヘブライ語はイエスの時代にはすでに祈りの時のみに用いられる言語となっていて、アラム語は当時は世俗的な、普段の生活で話される言葉だった。アラム語とヘブライ語は近い部分があって、ヘブライ語とかぶるような単語もよく耳にする。

エルサレムでの、ローマ帝国によるキリスト教徒への迫害が激しさを増し、ペテロは弟子たちを引き連れて、現在のトルコにある、アンティオキアへ向かう。そこで彼らは初めて公の場で「クリスチャン」、イエスの教えに従う者、ということを宣言する。そこからさらに東へ向かい、エデッサ(ウル)、ディヤルバクル、トルコ南東部のトゥール・アブディーンという街などに住み、コミュニティを築いていった。

典礼の時に歌われる聖歌は本当に美しい。まるで植物のつるのように連なり、連なる旋律、「”合唱”と呼ばれる以前の形態を残す」と言われる独特の響き。その聖歌集は”ベイト・ガゾー”(宝物の家、という意味)と呼ばれ、現在の正教会の聖歌が使用する”オクトエコス”(8つの音階)の基礎を生み出した。”ベイト・ガゾー”の響き→https://www.youtube.com/watch?v=iNT3-ziosPU

このオクトエコスは後にギリシア正教会の系列である、エルサレム郊外の修道院・マル・サバ修道院で、ダマスコのイオアンという司祭によって8世紀に体系づけられたとされているが、ベイト・ガゾーはもっと古く、すでに5世紀にはその体系が整備されていたという。オクトエコスはグレゴリオ聖歌に用いられる教会旋法よりも古く、さらに中東音楽で使用される音階であるマカームの走り、とも言われ、あらゆる音楽の基盤となっている、と言っても差し支えないくらいのものだ。オクトエコスに関する記事→https://ameblo.jp/dyadyoi777/entry-12449400154.html


最も古くからあるシリア正教会がどうしてマイノリティになってしまったのか。それは451年に開かれたカルケドン公会議が原因となった。世界史でも学ぶ公会議とは、キリスト教神学における教義を論じ合い、正統か異端かを決める場である。現在のトルコのイスタンブールに位置したカルケドンで開催された公会議では、キリストの神性と人性は同時に存在する、と説いたギリシア正教、そしてカトリック教会が正統となり、それを否定したシリア正教会を始め、アルメニア使徒教会、コプト教会などは異端とされてしまった。以来、彼らは”非カルケドン派”と呼ばれ、その歴史の古さとは裏腹にマイノリティ的存在となることを余儀なくされることになる。

オクトエコスに関しても、このこととは切り離せない。もともと体系立てたのはシリア正教会だったが、そのあと、正統派となったカルケドン派であるギリシア正教会が勢力を持ち、オクトエコスは自分たちが体系立てた、としてしまうのだった。かく言う私も、シリア正教会で話を聞き、そのあと自分で調べてみて初めてその事実がわかった。東ローマ帝国、通称ビザンティン帝国はギリシア正教が国教だったので、あらゆることがギリシア正教を中心に行われた。その中でオクトエコスもいつの間にか、ギリシア正教が生み出した、と言うことになってしまったのである。そもそも”オクトエコス”という言葉もすでにギリシア語化されているのである。

ビザンティン帝国内に住んでいたシリア正教徒は、非カルケドン派というマイノリティの立場だった。だから、正統派で、帝国の国教でもあるギリシア正教会からたびたび迫害を受けた。そしてビザンティン帝国が倒れ、オスマン帝国になってからは、”異教徒”となり、その分の税金を納めなければいけない立場、だから常にマイノリティの立場にあったのである。

そして、オスマン帝国時代はしばらく落ち着いて過ごせていたが、オスマン帝国が崩壊の間際になると、帝国側がアルメニア人やシリア正教徒を虐殺し始める。危機を感じた彼らは、長い時代住み慣れたトルコ南東部を後にし、あるグループはドイツ、スウェーデン、またあるグループはアメリカ、オーストラリア、あるいはダマスカス、ベイルート、カイロ、そしてエルサレムをそれぞれが目指し、世界各地に散らばっていった。

オスマン帝国領だったエルサレムはちょうど、新しい支配層となった大英帝国の植民地となり、”オスマン帝国”から”イギリス領パレスティナ”と呼ばれるようになった、まさに時代の変わり目に彼らシリア正教徒はほぼ2000年近くぶりに、彼らの先祖の地、エルサレム・ベツレヘムに戻ってきたのだった。そしてここからさらに、彼らは”新天地”で、生き延びる術を模索し始める。(続きます)

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