2021/05/12 蛙の子は蛙

子どものころに植え付けられた記憶や重いっていうのは,アイデンテティを形成するまで,ずっと自分に取りついたままになる.

僕の一番最古の記憶は,おばあちゃんの家にあったブロックで何かを作っていた時だ.

僕はその時の自分の感情を明確に覚えている.

「僕はこれをしなければいけないんだ.」

多分まだ小学校に入るよりずっと前だと思う.
だって,小学校に入ったような子どもがそんなブロックを組み合わせて,飛行機風のものを作ったってなにもすごくないじゃないか.
僕はそれをすることですごいと言われていたんだ.

そう,ぼくはすごいと言われていた.
「れーじは大きくなったら賢くなるね」そんなことを言われていたことを忘れたことはない.
一番最初はただ,なにもない暇なおばあちゃんの家で時間をつぶしたかったんだと思う.
僕はかなり内向的な人間だった.
だから普段合わないようなおばあちゃんの家にいると萎縮して奥まった部屋にあるブロックでよく遊んでいた.
しかし,そうしているとお母さんやおばあちゃんには楽しそうに何かをつくっているように見えていたようで決まって「れーじは大きくなったら賢くなるね」そんな言葉をかけられた .
幼少の僕はそれが嬉しかった.賢かったらどうなるかなんかはわからなかったけど,褒められているということが嬉しかった.
いつも姉が褒められているのを見ていて,自分だけが褒められる,姉とは違う部分をほめられたのが嬉しかった.

だから僕は,まだ3歳や4歳の頃から,誰かから褒められるためにブロックで遊ぶようになった.

おばあちゃんの家に帰るたびにブロックで遊んだ.
任天堂DSを買ってもらってやることが増えても,夜おばあちゃんたちが話している後ろでわかりやすくブロックで何かを作った.
そして時にはそれを見せびらかしに行った.
「れーじは大きくなったら賢くなるね」その言葉を聞くために.

今思えば僕にとってはこれが始まりだったのかもしれない.
「れーじは大きくなったら賢くなるね」
「れーじはお姉ちゃんよりしっかりしてる」
「れーじは優しいね」
そんな言葉をもらうことが嬉しかった.
その言葉をもらえる行動は何回も行った.
僕は,姉よりも褒められたくて一生懸命親の前でいいかっこをしていた.

僕は物心つく前から,誰かのため自分のキャラクターを作る癖がついていた.

明確に意識はしていなくても
「れーじは大きくなったら賢くなるね」「しっかりしているね」
そんな言葉を浴びせられた僕は,そうならなきゃいけないんだと自分を作り上げて育ってきた.
器量がいいわけじゃない.運動神経だって悪いし記憶力もないし地頭がいいわけでもない.これは大きくなっていろいろな頭のいい友人と接してきたからわかる.
それを感じて父親は「れーじの才能は努力だ.人より努力をできることも立派な才能だ.」そう言ってくれた.
父からすれば,頭がよくないのに頑張れるお前はすごいという思いだったんだろうけど,ぼくはそれが「僕は努力をする人間でないといけない」とさらに楔を打たれた気分だった.

僕には抑えられない優秀思考がある.だれよりも優秀でなければいけないという思いだ.
今思えば,それ幼少期から僕に打ち込まれたくさびだ.
僕は周りの人に打たれたくさびを未だに引きずっているだけなのだ.
もちろん親が悪いわけじゃない.
自分の息子が優秀であることが親の望みだし,しっかりとしていたらそれをほめてあげるのが親の務めだ.
ましてやそんな何の気なしに褒めたその言葉が人生の楔になるかどうかは,言われた本人次第でしかない.

僕の親は父は中卒ヤンキーの農協職員だ.こんな言い方をしてしまったが正直尊敬はしている.優しいし,ぼくたち姉弟の意見を尊重してくれるいい父親だ.母も中学高校を出て看護師の専門学校に行った人だ.本当にいい母親であることに間違いはない.
しかし,頭がいいわけではない.
僕が高校で地元の進学校に進学できた時,周りの人は感嘆した.「トンビが鷹を生んだ」「どこかで取り換えてきたんじゃないか」親と地元の人に会うとそんなことも言われた.

でもそうじゃない.蛙の子は蛙だ.

僕は何か特別な才能を持って生まれたわけではない.
だれかより頭がよく生まれたわけではない.
それは僕自身が一番痛感している.地元にいたころは誰も勉強しないから勉強さえすれば順位は上がったけど,高校にいけば努力では勝てない人はごまんといた.
あの人より勉強時間は長いはずなのに勝てる気がしなかった.

僕は蛙だ.

ただ,楔を打たれたカエルだった.

よく,植物に優しい声やポジティブな声をかけて育てると綺麗な花が咲く.
なんて言われているが僕はこれが比喩表現なんだと思う.
植物は子供だ.人だ.植物が人間の言葉なんかわかるはずはない.
でも,子供は物心つく前から親の言葉をすべて聞いて記憶している.
子どもは純粋だから,親に褒められたくて愛されたくて親の言うとおりにする.
虐待を受けた子供がそれでも親にしがみつくのはそれしか見えないからだ.
虐待を許容することがお親に愛される方法なのだ.
だから,汚い言葉をかけて育てばそれが楔となって一生のものになるし
逆に褒められて育てば,それにこたえるためにいい子に育つ.
鳥が卵から生まれたときに初めて見たものを親だと刷り込まれるように,幼少の私たちは親の一言一句が刷り込まれるのだ.

私は世間一般から見れば優秀に育った.
クラスメイト15人の田舎から,地元の進学校に行き,そこから県の名門大学にまで進学した.
傍から見れば,本当にトンビが鷹を生んだと思えるだろう.

でもそうじゃない.たまたま僕の親の育て方が優秀だったのだ.

でも僕は多分満たされない.

僕は誰に褒められたいわけでもない.
ただ,親に褒めて欲しくて,親に打たれた楔に引っ張られてここに来た.
最終的に欲しいのは親からの誉めの言葉だった.

だから僕は,実家からこっちにくるといつも自慢話をしてしまう.
ああいうことがあった.だから僕はこうした.
SFTでこんなことを頑張ったんだよ
大学生にもなって恥ずかしいからあまり声を大きくしていうことはできないが
僕は親が実家からくる日は前日からウキウキしている.そのためにトイレ掃除なんかもする.
「一人暮らしでもしっかりできているね」そう言われたいからだ.

でもいつからだろう.僕は褒めてもらえなくなった.

高校に行ったぐらいからか,優秀であることが当たり前になった.
優秀であることで褒められた記憶が僕にはない.

僕はただ,刷り込まれた親の誉めの言葉をを欲している.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?