見出し画像

「同性愛に偏見はありませんが、」というあなたへ

このところ、実験中に偶然に異世界から異形の怪物を召喚してしまった錬金術師の気分を疑似体験している。

発端は、セクシャルマイノリティの一人でもある自分が何気なくしてみたこのツイートだった。

この内容自体はずっと前から繰り返し言われてきていることで、特段新しいものではない。もちろん、教えるといっても、別に同性愛者のセックスの仕方を話せというんじゃない。女性と男性のカップルも、女性と女性のカップルも、男性と男性のカップルもいるし、カップルじゃない人もいる、どの人たちも大切にされるべきでしょう、という話だ。

しかし、これがプチバズった結果、様々なリアクションをいただいた。中でも、話題になっていたのがこちら(当事者はメンタル落ち込むリスクあるのでご注意を)。

これには正直気が滅入ったが、ありがたいことにTwitter上で大勢の人たちがツッコミを入れてくれている。召喚してしまった者として、思うことを5つのポイントにまとめてみたい。

1.「偏見はないが、」という枕詞は典型的な偏見のサイン

画像2

おそらく一番多くの人が「はぁ?」と思ったのはこれではないか。偏見が少ないと言いつつ、「同性愛者が増えるような活動に積極的に加担したいとは思わない」というのは、差別意識がダダ漏れだ。この枕詞の意味については、次の森山先生のテキストがわかりやすく説明してくれている。

セクシュアルマイノリティを見下す心が見え隠れする人がよく使う枕詞は「私はセクシュアルマイノリティに対する偏見を持っていませんが…」です。曲者なのは最後の「(逆説の)が」で、当然ながらその後に続くのは質問や疑問の体をとったセクシュアルマイノリティへの否定的な言葉です。それが否定的なニュアンスを持つものだからこそ「偏見ではない」と前置きで宣言するわけですが、宣言すれば「偏見」でなくなるわけでは当然ありません。文句は言いたいが自分が「善人」であることは手放したくないという本音が透けて見えている辺り、むしろ痛々しくすらあります。
-森山至貴(2017)『LGBTを読み解く』ちくま新書、pp.7-8

この枕詞は、セクシュアル・マイノリティに限った話ではない。「黒人を差別するわけではありませんが、」、「女性を差別するわけではありませんが、」「●●の国の人を差別するわけではありませんが、」など、マジョリティや特権をもつ人から、そうではない人に対して使われる。

この枕詞は差別意識のリトマス試験紙と言ってよい。もしも自分自身がうっかり言いそうになったら、そこに差別意識があるのではないかと自問自答したほうがよいだろう。

2.子どもに同性愛のことを教えると、同性愛者が増える?

画像2

この、定番の「寝た子を起こすな」的な「心配」こそ、件のツイートの偏見を象徴している。この問いへの答えは「イエス・アンド・ノー」だと思っている。

まず、同性愛を知ったからといって、異性愛者が同性愛者になるわけではない。

子どもに同性愛のことを教えると同性愛者になるって心配する人がいるみたい。でも私は子どもの頃から学校でもテレビでも何でも、ひたすら異性愛のことを教えられてきたのに、立派な同性愛者になったわ」というツイートを見かけた記憶がある。本当にそのとおりだと思う(誰の言葉だったか、知っている人がいたら教えてほしい。エレン・デジェネレスだっただろうか)。

ただ、性的指向は変わりうるし、「異性愛者だったけど素敵な人と出会って今は両性愛者/同性愛者になった」という人もいるし、その逆もいる。しかし、この場合も、子ども時代に同性愛者の存在を教えられたからそうなる、というものではないと思う。

他方、マジョリティである異性愛者からの視点では、子どもに同性愛のことを教えるようにしたとき、結果として社会の中で同性愛者が増えたように見えることは実際にありうる。

日本のように、同性愛者への偏見が強い社会では、同性愛者は差別を恐れ、自らがそうだと言い出すことは難しい。その結果、同性愛者であることをオープンにする人が少なくなり、見かけ上、異性愛者ばかりになる。異性愛者に比べると、セクシャルマイノリティの自殺未遂率は高い、という話もある(例えば、Hidaka et al, 2008)。であればなおさら同性愛者はほとんど存在しないように見える。

しかし、同性愛者の存在が偏見なく子どもたちに伝えられ、差別がなくなっていけば、同性愛者であることを明らかにするレズビアンやゲイもきっと増えるだろうし、自殺企図も減るだろう(米国で、同性婚が導入された州ではセクシュアル・マイノリティの高校生の自殺率が下がっていたとの調査もある)。

つまり、学校で子どもに同性愛と異性愛を同時に教えて偏見や差別がなくなれば、オープンな同性愛者は増えるかもしれないが、教育それ自体が異性愛者を同性愛者に「変える」ようなことはないだろう、ということだ(同性愛者を異性愛者に矯正しようという人たちもいたが、効果がないばかりか有害であることが明らかになっている)。

3.仮に同性愛者が増えたとして、何がいけないのか?

画像5

むしろ、(オープンにしろクローゼットにしろ)同性愛者がちょっとやそっと増えたとして、何がいけないのか?ということの方がずっと重要だ。マジョリティの自分が、ある属性をもつマイノリティの人々に「増えないでほしい」というのは、自民党杉田水脈議員の「生産性」寄稿ともつながる人権軽視の発想であり、到底受け入れられるものではない。

「ああいう人たちは増えないでほしい」という言葉がささやかれ、次第に大きな声になって広がれば、これが「ああいう人たちはいなくなってほしい」に変化する日もそう遠くはないだろう(ナチスの強制収容所で同性愛者も収容されていたことが思い起こされる)。

多様性は最初から至る所に存在している。それを否定するのはやめてほしい。差別はやめてほしい。そう願うのは、当たり前のことではないのだろうか?

少子化を「心配」の理由にあげる人もいる。しかし、同性婚を導入済みで、子どもに同性愛の絵本の読み聞かせをしている幼稚園があるスウェーデンや、同性婚や同性パートナーシップを導入しているフランス、アメリカ、イギリス、ドイツも、日本より出生率は高いようだ

本気で少子化を心配するのなら、その気持ちの半分でもいいから、差別と偏見に苦しむあまり死を選んでいる同性愛者の子どもや若者のことも心配してほしい。

4.自分の子どもに同性愛者になってほしくない?

画像4

件のツイート主は、「自分の子どもには同性愛者になってほしくない」ということも言っているようだ。

もしも自分が同性愛者に生まれ、親がそんなことを言っていると知ったら?当事者から寄せられる「同性愛者への偏見や差別をやめてほしい」という声をことごとくはねつけていたら?

もしもそんな親のもとに生まれ、そのことを知ったなら、死にたくなるかもしれない。

「寝た子を起こすな」と言う人がいるが、あなたが気づいていないだけで、その子は本当はすでに眠りから覚めているかもしれない。それにもかかわらず、あなたの無理解と偏見のために、寝たふりをしているだけなのかもしれないのだ(個人的な話だが、私の親も差別と偏見にまみれているので、本当のことは言ってやらないし、いわゆる親孝行などする気になれない)。

5.多様性を謳うAmazon社、これを放置する?

画像4

件のツイートをした人は、Amazonシアトル本社のスタッフだと書いている(本当かどうかはわからない)。Amazonといえば、東京レインボープライドにも有志グループが参加している。

このページにはこうある。

「Amazonでは、多様性を受け入れる文化が確立しています。私たちの価値観を世の中に広めていくことが、マイノリティへの意識を変えるきっかけになればと願っています」

この有志グループの性的マイノリティ当事者のAmazon社員さんは本気で多様性を願っている、それは疑いたくない。一方で、Amazon本社のマネージャーを名乗る人物があのようなツイートを公然としているのを把握しながら放置し続けるのなら、Amazonのレインボーはまやかしではないかと思わざるをえない。

あのツイート主は、プロフィールを見る限り、高学歴で、Amazon本社への海外就職を果たした、高い知性のある方なのだと思う。だから、話せばわかってくれるんじゃないかと思いながら、何度も「差別はやめてほしい」と本人にリプライしようと思ったが、結局、しなかった。

あのツイート主は、差別をやめてと言われて反省し、改めるような人じゃない。そのことが、他の人たちとの一連のやり取りで明らかだったからだ。

これまでずっと、知性を磨く目的のひとつは、無知からくる偏見や差別意識を克服することにあると思っていた。でも、逆に自らの古臭い偏見と差別意識を正当化するためにその「知性」を使う人もいるのだということを知らされた。

おわりに

なので、ツイート主本人ではなく、Amazon社に聞きたい。

画像6

この方が本当にAmazon本社のマネージャーか、なりすましかはわかりませんが、御社のダイバーシティの理念と相反するあれを、あのままにしていていいのでしょうか。御社が多様性の文化の確立をめざすのなら、調査ののち、しかるべき対応をとってください。

まさか、「個人の見解です」と注釈がありさえすれば、御社の理念に反する差別的なメッセージを発信し、SNSでマイノリティを傷つけてまわる社員がいてもよいなどとお考えではないと、信じたいと思います。

お目にかかったことはありませんが、御社でダイバーシティの取り組みを進めておられる、glamazon Japanのショーン・チョイさん、國田有華子さん、いかがでしょうか。

また、もしこれをご覧になった記者やジャーナリストの方がおられたら、ぜひAmazon社に、ダイバーシティの文化の確立とはなんなのか、取材をして、記事にしていただければ嬉しいです。

今回のことで私は傷つきましたし、疲れましたが、ようやく、声をあげる心の準備ができました。黙って見過ごすつもりはありません。

HOPE WILL NEVER BE SILENT. 
- H. Milk

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?