日記をつけて起きたことn選w
本屋に寄った。書棚には多くの本が納められている。
派手なポップが書店を覆っている。
やっぱ本を探すの、やめようか。
文具コーナーに目をやると、丁寧な装飾が施された日記帳が売っている。
パラパラとページをめくると、日付と曜日が指定され、すこし窮屈な感じである。
「こういうの、1日書き忘れるとやめちゃうんだよなー」
一般的なことを言うなって?いやたまに“共感”を喚起したくなるんだよ。noteって”そういう”場所な気がする。アイコンも記事のヘッダーも、タイトルも全部……
いま、私の手には日記帳がある。
こんな綺麗に体裁の整えられたノートに、思いの丈をぶつけられるだろうか。謎の怒りがこみ上げてきた。日記にデザイン性なんていらないんだよッ……。日記帳に書かれることなんて、表紙とは似つかわしくないことばかりなんじゃないですかね。
私はおもむろに墨汁とアクリル絵の具を取り出し、日記の表紙を“改良”した。深い黒に暗い赤が混ざった色になった。表紙の文字はほとんど見えない。
最初から汚れているものにインクの染みを落とすのは容易い気がする。気持ちの問題なのかもしれないが、なんとなく私はある種の免罪符として日記帳を塗りつぶした。
一日の終わりに、あるいは書きたくなった時に衝動的につけた記録の集合は私にその時の気持ちを強く喚起するものとなった。その時のクオリアに真に迫るもの、それを作りたかった。
しかしそれは確実にこの世に存在してはならない本であると、毎日意識させられる。”ありのまま”というのがいかに危険で、醜いかを自らに知らしめるべく今日も一人紙と向かい合う。
私はただ雨を待ち望むがごとく罰がこの身に降り注ぐのを、誰にも裁かれることのない空間で呪詛を吐きながら待っているのだった。
思いがけず大学のキャンパスに落ちていた日記を読んでしまった僕は、なにかとんでもないものを拾ってしまったと鼓動が早くなり、足元から突き崩されるような感覚に陥った。僕は、その日記を鞄にしまった。
誰が落としたのか、見当もつかなかった。人の往来が盛んなキャンパス。にぎやかな空間とは対極にある雰囲気を、その日記はまとっていた。日記は標準的な言葉で書かれてはいるものの、ところどころ独特な表現が出てきて読み物として楽しめた。読み進めていくと、字体が変わったり、歌詞の引用があったり筆を用いて出来事が書いてあったりした。
日記帳の一ページまるまる使って”死ねっ!!世界!!!!”と書いてあるのを見たときは、びっくりしてしまったけれど。
それだけのはなし。
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