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「哀れなるものたち」と「彼方のうた」

最近映画を観たい欲求が高まっていて、今週も2本観に行ってしまった。

観たのは、アカデミー賞有力候補のヨルゴス・ランティモス監督の「哀れなるものたち」と、杉田協士監督の最新作「彼方のうた」である。

当然ながら全くタイプの異なる作品なのだけど、映画中、観客側に思想を巡らせる構造が、よく似ているように思った。2作品とも一筋縄ではいかないのだ。


「哀れなるものたち」は、とにかく過剰な作品。

まず、何と言っても性的なシーンの質的・量的のボリュームに圧倒されてしまう。モノクロからカラーへと変換していくビジュアルや魚眼レンズを多用した映像もこれまでお目にかかったことのないもの。

そしてエマ・ストーンの演技が凄すぎる。あれほどの演技をどうやって編み出して、体現していくのか、さっぱり想像もつかないのである。

物語としては、フェミニズムの視点が組み込まれているけれど、安易な女性万歳な映画にもなっていない。そう、安直に批評できない多層的な作品なのだ。

タイトルの「Poor Things」は哀れなる者たち、もしくは可哀そうな者たちという意味。Poor Thingは、冒頭、ベラへ向けた男たちからの哀れみの視点が込められている言葉だが、ある時点からベラから見た男性たちへの視点を表現する言葉に反転する。(この時に複数形Poor Thingsになる)

愚かだと決めつけられたり、社会的弱者に仕立てられがちな女性像を、力強く、下品にそして知的に覆していく。

まあ、トンデモない作品なので、見たことのない映画が見たい人は、絶対に映画館に向かうべきだろう。


「彼方のうた」は、逆に過剰なものを全てそぎ落とした作品と言えるかもしれない。ただし、通常の映画として必要な説明シーンはとことん省かれている一方で、通常の映画ではカットされてしまうシーンが延々流れたりもする。

例えばオムレツを作るシーンが数回登場するが、3度目ではほぼ全部を作り上げてしまう。1度目や2度目ではなく、3度目のほぼラストに近いシーンでのオムレツである。

女性二人でバイクで上田へと向かう。その目的は川探し(手がかりは音のみ)と、美味しいと口コミが広がっているかた焼きそばを食べること。この文章を読んでも、それは一体・・となるだろうが、そういう映画なのだ。


一方は過剰なものを画面いっぱいから供給される作品、一方は説明一切なしの画面いっぱいの余白を提示される作品。

受け取った私たちは、頭の中で物語をこねくり回したり、見えているものを的確に解釈しようと、必死になってかみ砕こうとする。

この送り手と受け手のスクリーン越しの格闘こそが、映画を観るという体験なのであり、それが知的好奇心や感受性を高めてくれるのだ。

見ていて単純に面白いとか、そういうものを求める人は、この2本には近づかない方がいいだろう。




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