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【雑感】「君たちはどう生きるか」を見て

*基本ネタバレありですので、ご注意ください。


意識的に、もしくは無意識的に、それまで宮崎駿監督が描いてきたイマジネーション豊かな映像やキャラクターが、これでもかと刻まれていた作品だった。

例えば、まるで洪水があったかのような水面が四方に広がるビジュアル。宮崎監督は「未来少年コナン」や「千と千尋の神隠し」などで、印象的な大きな広がりを持つ水面を描いてきた。

「紅の豚」では飛行機の亡霊が空に連なっていたが、本作では船の亡霊が連なって航行していた。

「もののけ姫」のこだまのようなキャラクターも出てきた。「千と千尋」の坊が変化したキャラクターにも似ている。

火への慄きと憧憬も、「ナウシカ」「ハウルの動く城」などでお馴染みのモチーフである。

日常がアオサギを通じて非日常へと移行する流れは、明らかに「千と千尋」のトンネルや、「トトロ」でメイが小トロロを追って森に入っていく部分と同じ。

アオサギと言えば、清濁併せのむキャラクターだが、これは「ナウシカ」のクワトロや、「紅の豚」のドナルド・カーティス、「もののけ姫」のエボシ御前など、宮崎監督がいかにも好みそうなキャラの系譜にある。

年代問わない強い女性像だったり、ややひ弱な美しい母親像なども、宮崎アニメではお馴染みとなっている。

指摘すればキリがない程に、宮崎アニメでお馴染みの展開・キャラクターが見て取れる、まさに集大成といった作品と言えるだろう。


本作が描いた時代は「風立ちぬ」を同じで、宮崎監督の幼少時代の思い出が反映されている。宮崎監督は1941年生まれの次男坊なので、主人公は宮崎氏のお兄さんがモデルの可能性がある。二人目の子が後妻に生まれていたが、あれが監督自身なのではないだろうか。

本作では、おそらく意図的に主人公の少年を公明正大ではない設定にしており、冒険を通じて、人を信頼すること、死ぬ気で頑張ることなどを学ぶ。これは「千と千尋」でも同様の手法を取っていたが、今回は監督自身の少年時代の気持ちや経験を反映させている可能性が高そうだ。


今回宣伝を一切しないという方針が徹底的に貫かれた。内容を一切公表せず、試写会はおろかチラシも予告編も作らず、テレビスポットも打っていない。

これはかなり勇気のいる作戦だったと思うが、その一方で宣伝しないという名の宣伝は充実していたように思う。宣伝しないのではなく、中身を隠すこと自体を話題にする宣伝手法であったのだ。

これは宮崎駿ブランドがなせる技である。通常は中身を伝える努力をしていかないと、そもそもの認知度が上がっていかないからだ。特に、オリジナルものの映画化は、膨大なマーケティングコストを掛けて中身を伝えて、認知度を何とか上昇させている。

むしろ、世間一般的には中身を伝えきることができず、あたかも「宣伝をしていない」映画ばかりが公開されている現状がある。


しかしながら、スタジオジブリ、特に宮崎駿監督は絶大なるブランドとなっており、内容がどうであっても見に行く層が分厚い。つまり中身を売る必然性が薄いのである。端的に宮崎駿の新作があるという情報だけでも、一定数の動員は稼げてしまうのである。

なので、仮に今回のマーケティング(=宣伝しないことを宣伝する)を、別の作品でやろうとしても、うまくいかないだろう。中身がどうであっても入る作品以外では、この手法は真似しない方が良いかと思う。


さて、肝心な本作の満足度であるが、僕の中では少し微妙な気持ちが含まれている。理解できないポイントが多すぎるのである。

例えば、後妻となるナツコがなぜ森の中に入っていったのか。彼女が消える理由と、戻ってくる理由もよくわからない。

宇宙から飛来したという塔の正体も不明。

世界の崩壊を食い止める役割を主人公眞人が拒絶するのだが、今私たちがいる世界は、崩壊した世界ということなのだろうか。漫画版「ナウシカ」でも、世界を守る役割をナウシカは放棄し、それでも「生きねば」という結論を導き出したわけだが、本作もそういう理解でよいのだろうか?

わからんことがあまりに多すぎて、絶賛という風にはなれないのが、僕の今の気持ちなのである。

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