見出し画像

藤子Fマニアが見た「パラサイト 半地下の家族」

ベタで申し訳ないが、昨年見た映画では、やはりベストワンは「パラサイト 半地下の家族」であった。

もともとポン・ジュノ監督の大ファンであったこと、期待値を遥かに上回る面白さだったこと、後半に突如襲う事態の暗転とそこでくっきりと浮かび上がる格差問題という構成が秀逸だったこと、ラストまでブラックジョークを挟み込み、後味も何故だか悪くないというバランス感覚など、良い点を上げればキリがない。

今回はダラダラとは感想を書かず、Fマニア的ポイントで作品を語る。

画像2

①Wi-Fiこそが今最も大事なインフラである。
冒頭で半地下の兄弟が、Wi-Fiを求めて部屋の中をうろうろし、部屋の中で最も高い位置にある「便器」のところでやっと電波を拾う。トイレが一番高いところという絵的な面白さと、携帯が繋がることが、最大のインフラなのだという状況を見せつけている。

②半地下には水が流れ込むもの。
「天気の子」も半地下の仕事場が出てくるが、「パラサイト」と共通するのは、半地下には水が流れ込んでいくものだ、ということだった。ちなみに「天気の子」の水害は、ノア箱舟伝説から通じる洪水による世界刷新というテーマを表現している。これは宮崎アニメなどでも良く見られる光景だ。(例:ナウシカの大海嘯、カリオストロの水没など)

③「クサイ」は人間の尊厳を決定的に傷つける。
家族のパラサイト計画は、順調そのものだったが、ボタンの掛け違いが始まるとしたら、臭いへの痛烈な指摘からだった。要は、人はクサイと言われると、傷つくばかりではなく、殺意までも芽生えるものなのだということ。

④「異色短編集」を思わせる、途中からの転調。
藤子F先生の異色短編集は、例えば「定年退食」のような、のんびりと話が始まって、突如として残酷な現実が突き付けられて、「死」のテーマが浮かび上がってくるという話が非常に多い。そのような、作品の入口と、見終わった時の出口が全く異なった世界で繋がっているように思えてくるところに、強い共通性を感じる。

⑤最後までブラックジョーク。
人が生き死にしている場面でも、犬は人に刺さったバーベキューの肉に飛びついていく。何気に見ていると見逃すシーンだが、こういうブラックジョークが含まれている点は見逃せない。僕はたまたま気が付いて一人大笑いしてましたが…。

⑥ポン・ジュノは元オリンピック選手が大好き。
今回家族のお母さんは、元レスリングのオリンピック選手という謎の設定があったが、監督の「グエムル 漢江の怪物」では、ペ・ドゥナ演じる娘役がアーテェリーの元オリンピック選手だった。彼女は、アーチェリーの腕前をきちんと見せている。

画像2

⑦格差社会の現実を、水の上下で表現する巧みさ。
「パラサイト」で最も評価したいのは、格差社会というありがちなテーマを、画的に水の上下の流れで表現している点である。大雨の中、パラサイトしている家庭から、水の流れとともに家族が下方へと降っていく。そして辿り着くのが、自分たちが暮らしている街路であり、さらにその中でも「半地下」というもう一段低い場所にある住まいである。水の流れはそこに溜まり、その水は全く引かない。その一方で富裕層の住居区は水はけも良く、翌日には庭でバーベキューが可能となる。こうした経済的上下関係を、見事に土地としての上下関係で表現した点を大いに評価したい。

ちなみに、ポン・ジュノにとっての格差社会の問題は、ずっと通底しているテーマの一つ。ハリウッドで撮った「スノーピアサー」では、車両の前と後ろ、という表現方法で格差を映していた。「グエムル」では、やや強引な解釈だが、川の近く/遠くで格差社会を描いていると言える。


以上、つらつら書かせていただきました。色々と読み込むことのできる傑作だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?