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藤子F全盛期<1970-85>の豪華ラインナップを俯瞰する。

藤子F先生は、1979年1月号から小学館の学習誌「小学○年生」で「ドラえもん」を連載開始、以後1986年8月号までひと月の中断も無く書き続けた。この間、ドラえもんだけでも1200本以上描いていたが、さらに同時並行して数多くの作品を手掛けられた。

残念ながら、1986年に体調を崩されたF先生は、以後仕事をセーブし、学習誌での連載本数もぐっと減ってしまっている。

この「ドラえもん」の連載が途切れなかった時期、「ドラえもん」以外の作品は何を描いていたのか。1970年度から1985年度までの16年間を藤子F全盛期と位置づけ、「ドラえもん」と並行して連載していた作品を並べてみたい。すると、信じがたい質量の作品を同時に描いていたことが実感できるだろう。
なお、短編については今回は除外するが、こちらの質量もすごく、いずれ検証しておきたい。

1970年度
「ドラえもん」(小四~小一、幼稚園、よいこ)
「モジャ公」(ぼくらマガジン、たのしい幼稚園)

「ドラえもん」は一挙に6誌で連載開始。前年度から引き続き連載中の「モジャ公」も描かれている。

1971年度
「ドラえもん」(小四~小一)
「新オバケのQ太郎」(小六~小一、幼稚園、めばえ、よいこ)
「ドビンソン漂流記」(こどもの光)
「パパは天才」(てづかマガジン・4回)
「仙べえ」(週刊少年サンデー)藤子不二雄Aとの共著

この年度は、「新オバQ」が、「ドラえもん」よりも多く描かれた時期となる。まだまだドラえもんの人気は定着しておらず、オバQのリバイバルが必要とされたのである。A氏との最後の合作「仙べえ」も短い期間だったが週刊連載された。「ドビンソン漂流記」も連載開始。

1972年度
「ドラえもん」(小四~小一)
「新オバケのQ太郎」(小六~小一、幼稚園、めばえ、よいこ)
「ドビンソン漂流記」(こどもの光)

この年度も「新オバQ」がメインとなっている。

1973年度
「ドラえもん」(小六~小一、幼稚園、よいこ)
「ジャングル黒べえ」(小五~小一、幼稚園、よいこ)
「パジャママン」(たのしい幼稚園ほか)

「ドラえもん」が小六まで拡大し、幼稚園とよいこでも連載再開、8誌での連載体制となった。「新オバQ」に代わって「ジャングル黒べえ」が各学年誌で、講談社系4誌で「パジャママン」が連載された。

1974年度
「ドラえもん」(小六~小二、小学館ブック)
「みきおとミキオ」(小五・小四)
「バケルくん」(小三・小二)
「モッコロくん」(小一・幼稚園)
「パジャママン」(たのしい幼稚園ほか)
「つくるくん」(キンダーブック)
「キテレツ大百科」(こどもの光)

この年は、「ジャングル黒べえ」に代わり、「みきおとミキオ」「バケルくん」「モッコロくん」が各学年誌で連載。前年からの「パジャママン」に加えて、「つくるくん」「キテレツ大百科」も連載される。これほどの連載量をこなすF先生の頭脳と体力はどうなっていたのだろうか?

1975年度
「ドラえもん」(小六~小一)
「4じげんぼうPポコ」(小一、幼稚園)
「バケルくん」(小三、小四)
「キテレツ大百科」(こどもの光)
「ポコニャン」(希望の友)

「バケルくん」は学年が繰り上がって連載継続。「ポコニャン」が連載開始。

1976年度
「ドラえもん」(小六~小一、てれびくん)
「キテレツ大百科」(こどもの光)
「ポコニャン」(希望の友)
「きゃぷてんボン」(てれびくん・5回)
「バウバウ大臣」(小二~小四)
「Uボー」(毎日こども新聞)
「エスパー魔美」(マンガくん・6回)

てれびくんの創刊に合わせて「キャプテンぼん」、マンガくんの創刊合わせて「エスパー魔美」が連載開始。低学年誌では「バウバウ大臣」、毎日こども新聞で「Uボー」が連載スタート。

1977年度
「ドラえもん」(小六~小一、てれびくん)
「キテレツ大百科」(こどもの光・4回分)
「ポコニャン」(希望の友)
「Uボー」(毎日こども新聞)
「エスパー魔美」(マンガくん)
「中年スーパーマン佐江内氏」(漫画アクション)

大人向け雑誌で「中年スーパーマン佐江内氏」が連載された。

1978年度
「ドラえもん」(小六~小一)
「ポコニャン」(希望の友・2回)
「Uボー」(毎日こども新聞)
「エスパー魔美」(マンガくん)
「中年スーパーマン佐江内氏」(漫画アクション)
「T・Pぼん」(少年ワールド)

少年ワールドの創刊号から「T・Pぼん」が連載開始、この作品は後にドラえもんに次ぐ連載年数になる。

1979年度
「ドラえもん」(小六~小一)
「Uボー」(毎日こども新聞・5回)
「エスパー魔美」(少年ビックコミック)
「T・Pぼん」(少年ワールド)
「ミラ・クル・1」(コロコロコミック・4回)
「大長編ドラえもん」(コロコロコミック・3回)

「エスパー魔美」が掲載誌を変更。コロコロコミック創刊号から「ミラ・クル・1」を連載。「のび太の恐竜」がコロコロで3号連続で掲載された。

1980年度
「ドラえもん」(小六~小一)
「エスパー魔美」(少年ビックコミック)
「T・Pぼん」(コミックトム)
「大長編ドラえもん」(コロコロコミック・6回)

「T・Pぼん」はコミックトムでの不定期連載に。「大長編」は宇宙開拓史で全6回。以後毎年6回連載での大長編が掲載された。

1981年度
「ドラえもん」(小六~小一)
「エスパー魔美」(少年ビックコミック)
「T・Pぼん」(コミックトム)
「大長編ドラえもん」(コロコロコミック・6回)
1982年度
「ドラえもん」(小六~小一)
「エスパー魔美」(少年ビックコミック)
「T・Pぼん」(コミックトム)
「大長編ドラえもん」(コロコロコミック・6回)

「エスパー魔美」が連載を終了した

1983年度
「ドラえもん」(小六~小一)
「T・Pぼん」(コミックトム)
「大長編ドラえもん」(コロコロコミック・6回)
「宙ぽこ」(別冊コロコロ・3回)
「宙犬トッピ」(別冊コロコロ・4回)
「新パーマン」(コロコロコミック、てれびくん、小三・四)

別コロで「宙ポコ」「宙犬トッピ」を掲載。「パーマン」がリバイバルされ、4誌で一挙連載開始

1984年度
「ドラえもん」(小六~小一)
「T・Pぼん」(コミックトム)
「大長編ドラえもん」(コロコロコミック・6回)
「宙犬トッピ」(別冊コロコロ・3回)
「新バケルくん」(別冊コロコロ・3回)
「新パーマン」(小三・四)

別コロで「バケルくん」が三話新作が描かれた。

1985年度
「ドラえもん」(小六~小一)
「T・Pぼん」(コミックトム)
「大長編ドラえもん」(コロコロコミック・6回)
「新パーマン」(小三・四)
「チンプイ」(藤子不二雄ランド)

藤子不二雄ランドにて「チンプイ」が連載。最後の大型新作となった。


以降、簡単に執筆史を追っていく。

体調を崩された1986年度は「ドラえもん」「チンプイ」「T・Pぼん」「大長編ドラえもん」が連載された。「T・Pぼん」は続編を書くつもりだったが、結局はここで終了となった。

1987年度はほぼ新作の執筆は行われていない。大長編が初めてお休みとなる。「ドラえもん」が10作、「チンプイ」が1作掲載。

1988年度は「ドラえもん」の新作は小学四年生のみ、「チンプイ」数本、大長編ドラえもんが再開。

1989年度は「ドラえもん」が各学年誌で35作、「チンプイ」が多数、「大長編ドラえもん」と、比較的活発な執筆活動だった。

1990年度は「ドラえもん」が学年誌での新作発表最後の年。「チンプイ」も藤子不二雄ランド完結で連載終了。以後「大長編ドラえもん」だけが毎年発表されていく。

1991年度~1995年度は「大長編ドラえもん」のみ。なお、1992年度には最後の短編「未来の思い出」を描いている。

1996年、最後の「大長編ドラえもん」に取り掛かり、絶筆となった。


この著作リストを俯瞰すると、ドラえもん+αのこの時代が、藤子F先生の全盛期と言って間違いないことがわかる。加えてこの間、短編も精力的に執筆されていた。とにかく膨大な傑作を生みだした凄い作家なのである。

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