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「エスパー魔美」初回『エスパーはだれ?』完全解説!

『エスパーはだれ?』
「マンガくん」1777年1号/藤子・F・不二雄大全集1巻収録

ついにこの記事を書ける時が来た。Fマニアの自分にとって非常に重要な作品である「エスパー魔美」を語り尽くすため、これまでこのnoteでその準備を整えてきた。

これまでの記事を振り返っておく。まず、「エスパー魔美」のパイロット版(習作)となる作品について紹介した。

その上で、「エスパー魔美」第一話に繋がる短編についても説明した。

ページ数の多い「エスパー魔美」ならではの、テーマを複数掛け合わせるF先生の作術についても解説した。

また、「エスパー魔美」の連載期間中に描かれた「ドラえもん」のエピソードを取り上げて、超能力を含めたF先生のファンタジー表現は、全てリアリティに根差していることを考察した。


次に、第一話を読んでいく前に、F先生が「エスパー魔美」の創作メモが藤子・F・不二雄大全集1巻に収録されているので、一部要約・抜粋してみたい。(太字は筆者)

「オバケのQ太郎」(中略)以来続いてきた一連の生活ギャグ路線が曲り角に来ていた時期でもあり、このへんでちょっと目先を変えてみたいなと考えました。
〇主人公を女の子にする
〇超能力を持たせる。ただし、ごくささやかな力に限定する
〇活躍の場を大人の世界にする。そのため主人公の年令を中学生に引き上げる。
〇主人公の性格・生活環境を、なるべく平凡なものとする
ぼくとしては、なるべく現実感のある作品にしたいわけです。となれば、物語の始まりは”信じたくない人”の視点から書きおこさねばなりません。主人公と彼女を取りまく環境を、平凡なありふれたものに設定したのもそのためです。
彼女の超能力も並外れたパワーにまでエスカレートしては困るのです。決してドラえもんのポケットみたいに万能ではなく、読者の誰もが「ひょっとしたら自分にも。」と思えるていどの超能力に止めるべきです。
平凡な一人の女の子が、ある日突然自分の異常な力に目ざめる。驚き、喜び、迷い。少しづつその力を身につけ、使いこなしながらエスパーとして成長して行く。
なるべくウソっぽくならないように・・・と念じながら第一回のペンを取りました。

ここで繰り返されているのは、平凡というキーワードと共に、リアリティを持たせることにいかに注力をしたのか、ということである。

平凡な女の子が、ささやかな超能力を武器に、大人の世界に飛び込み、悩みながら一歩前進していく。そういう人間ドラマであることが、連載開始当初から、しっかりと意識されていたのである。


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本作の大筋をまず書き出してみる。

放課後、急いで帰る予定だった魔美が、何かに引かれるように校舎の裏に行くと、高畑くんが3人の男子に囲まれている。高畑はボクシング部の立ち上げと部長就任を頼まれているのだが、それを断ると、ボクシングのトレーニングだと言われて殴られる。その様子を見ていられない、と魔美が手ぶりをすると、高畑はなぜか高い木の上に移動してしまう

魔美は自分の家に高畑を連れて帰り、傷の手当てをする。強く傷口を押してしまい、飛び上がった高畑が本棚にぶつかり、その衝撃で棚の上から絵のカンバスが大量に落ちてくる。と、その瞬間、高畑は本棚の上に移動する

この二回の瞬間移動を体験して、高畑は悟る。これは、瞬間的に物体を移動させる超能力、テレポーテーションではないかと。この話を聞いて、魔美は笑いを堪える。(飼い犬のコンポコは大笑いする)

その力は本物か、実験をすることにする。そこでカンバスを本棚の上に戻そうと高畑は念じるのだが、ピクリとも動かない。すると、そのカンバスの中から、魔美をモデルにしたヌード画が見つかり、高畑はそれを見てのぼせ上る。魔美のパパも帰ってきたことから、実験は中断することになる。

夕食の買い物に出た魔美。そこに知らない声が頭に流れ込んでくる。気味が悪くなり、全速力で走って帰宅するのだが、勢いが付きすぎて止まれないまま、ちょうど仕事から帰ってきたママに後ろからぶつかってしまう。

するとその瞬間、魔美はパパの上に飛び落ちていた。これは早業のレベルではない。魔美は、超能力者は高畑ではなく、自分ではないかと思い始める。

数日後、学校では、辻殴りと名乗る覆面三人組に襲われたという話題で持ち切りとなっている。魔美は高畑を見つけ、その後超能力開発は進んでいるか聞くが、捗々しくはないらしい。高畑は仮説を立てていた。自分をギリギリの状況においてみる、切羽詰まった時でないと超能力は発動しないのではないか

魔美は高畑の表情を見て、高畑が辻殴りに挑むのではないかという気がする。その夜、胸騒ぎがして目を覚ます魔美。居ても立ってもいられなくなり、町はずれの公園らしき場所へ行くと、そこでは辻殴り三人組に、ボコボコにされている高畑の姿が見える。

3人がトドメのパンチを繰り出して高畑に襲いかかるその瞬間、魔美はとっさに手振りをすると、高畑は高い木の上の枝にテレポーテーションする。魔美は帰り道、自分が超能力者(エスパー)であることを確信する。空恐ろしいような、楽しみなような、複雑な気持ちを胸に

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第一話では、魔美が超能力に目覚め、自分がエスパーであることを確信するまでを描いている。F先生の説明通り、超能力を信じていない魔美を主人公にし、少しづつ自分の身の回りで起こる不可思議な現象を体験させて、一足飛びではない、無理のない運びで、自分がエスパーであることを信じさせている。

超能力の全貌やその仕組みは、第二話以降に描かれていくのだが、既に初回の段階で、設定は強固なものであったと思われる。

今回登場した超能力を整理しておこう。

①校舎の裏が気になって足を運んでしまう
②殴られている高畑を木の上にテレポーテーション③落ちてくるカンバスから高畑を本棚の上に移動させる
④道で辻殴りたち声が耳元に聞こえてくる
⑤ママとぶつかりそうになり、パパの上に瞬間移動。
⑥夜中に胸騒ぎがして、高畑が殴られている現場に引き寄せられる。
⑦3人に殴られる直前に高畑を木の上にテレポートさせる。

25ページの中で7つも超能力を出しており、意外と数が多い印象を受ける。

中心となるのは、②③⑤⑦のテレポーテーションである。高畑は危機に陥ると超能力が発動されると仮定を立てているが、登場する4回の場面では一応全てその仮説が当てはまっている。もちろん、実際はもう少し厳密な設定を用意しているが、これは第2話で明らかにされる。

①⑥の何かの気配を察知する能力は、第9話で焦点が当たる。「エスパー魔美」は、身近な事件を解決する物語だが、事件を察知する能力をきちんと設定しておかないと、偶然に事件に遭遇するエピソードを繰り返してしまうことになる。そうなるとリアリティが失われていくので、うまく嘘っぽくならないように物語を組み立てたいF先生の、苦心の超能力と言えそうだ。

④のテレパシーについては、手を繋ぐか、電気を通すものを介して伝わってくる、という設定がこの先で出てくるが、本作のように不意に飛び込んでくるケースは少ない。テレパシーこそ超能力の真骨頂だが、人の気持ちが安易にわかってしまうのは、ドラマ作りにとって邪魔だし、何より主人公の心が休まらない。なので、テレパシーは、かなり慎重な扱いとなっているのである。

F作品では超能力がたびたび登場するが、特にテレパシーについては、それほど愉快な能力とはして描かれない。それがよくわかるエピソードについては、稿を改めて紹介する。

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超能力以外の、今後の物語への伏線も紹介しておこう。

1ページ目に、ベートーベンの第九を買ったので遊びに来ないかという男が出てくる。名前はその後富山と判明するが、彼は初期の魔美で何度か登場してくるサブキャラクターだ。

魔美の家に行くと、コンポコがフャンフャンと現れる。高畑はどうみてもキツネかタヌキだと感想を述べて、コンポコの自尊心を傷つけ噛まれてしまう。このコンポコと高畑の関係もいずれきちんと描かれる。

魔美は高畑にパパの絵が売れないと愚痴をこぼす。パパの芸術性を高く評価していて、売れないのは世間のせいだと言っている。パパの絵の才能はいかほどなのか、これは「魔美」全話を通じてのテーマとなっている。

パパは帰宅後、鼻歌を歌いながら絵を描いているが、魔美にオンチと言われている。パパのオンチや、絵に乗ってくると歌いだすという設定を生かした作品も今後登場する。ちなみに本作で歌っているのは、都はるみの「北の宿から」の替え歌。「着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます♪」というところを、「編んでもらえぬセーターを 寒さこらえて待ってます♪」と歌い、編む側(女性)と編むのを待つ側(男性)の主客逆転した凝った歌詞となっている。

パパは忙しく絵を描いているのだが、これは個展の準備のためだという。実際に第4話で佐倉十郎展は開かれ、第6話では個展を論評した評論家とのやりとりがテーマとなっている。

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第一話からとんでもない情報量が組み込まれていることがわかる。日常のエスパー・魔美の活躍は始まったばかりである。

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