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アイディア無きものは去れ。←座右の銘

過激な表題で失礼します。

これは僕自身の座右の銘というか、いつも自分に課している言葉です。
本日は、「アイディア」について語りたいと思います。


藤子不二雄研究に没頭しているとき、もっとも嬉しくなる瞬間は、F先生の抜群のアイディアに触れたときです。

F先生は、よく「アイディアのタネ」という言い方をしていました。これはストーリーを組み立てていく際に、日頃から収集しているアイディアのタネを複数結びつけることで物語を生み出しているというのです。

F先生が良く用いる「アイディアのタネ」は、恐竜だったり、宇宙だったり、UMAだったり、シャーロック・ホームズだったりします。ここに、それまでF先生が見てきた西部劇・ミュージカルなどなどの映画、SF小説や、身の回りに起こった事件などを掛け合わせて、新しいストーリーを作り出していきます。

特にF先生の15ページ以上の作品は、必ず2つ以上のアイディアのタネが組み合わさっていることがわかっています。

例えば「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」では、西部劇と宇宙SFを掛け合わせています。「ドラえもん のび太の魔界大冒険」では、もしも科学ではなく魔法が発達した世界だったらという思考実験と、RPGゲームのような大ボスを倒しに行くというエクスカリバーの物語を掛け合わせています。

藤子作品を考察する中で、F先生のアイディアの掛け合わせを見つけ、タネを分解できたときに大いなる喜びを得ることになります。そして思うのです。自分もこのようなアイディアの掛け合わせをできる人間になりたいと。


「アイディア無きものは去れ」
この言葉は、自分自身へのエールとしていつも近くに置いてあるものです。

もっとも、日頃の仕事の中で、アイディアが必要な場面はどれほどあるのか、という疑問も出てくるところです。

僕自身、これまでの会社員生活のほとんどを営業職に費やしてきました。モノを売る仕事において、クリエイターでもない自分に新しいアイディアなど必要なのか。

ところが、やっぱりアイディアがないと、モノは売れないのです。先輩方が作り上げたレール上で商売を引き継ぐことは可能です。けれど、自分なりの言葉だったり、伝え方だったり、顧客視点からの捉えなおしだったりに、創意工夫を凝らしていかないと、あっという間にそれまでのスタイルが陳腐化してしまうのです。

僕は長い営業職の経験の中で、それを嫌というほど痛感していました。


例えば、会社で旗艦店を持っていて、そこをマーケティングの中心として商品を卸していくやり方をしていた場合に、その旗艦店を取り上げられてしまったらどうするか?

自社のコントロール下にある旗艦店中心の営業活動は、販売スケジュールを自分たちの都合に合わせていけるという強みがあります。この強みを手放してしまうのは、最もタイミングの良い時期での販売開始や販促キャンペーンの展開など、こちらの思うような営業活動が制約される恐れが出てきます。

ピンチですが、こういう時こそアイディアの出番です。例えば、逆に旗艦店を持つことの弱みを捉えなおして、その弱みと強みを比較してみたらどうなるのか?

その旗艦店は、立地として一等地とはいえず、製造部門からは、最初の販路として弱いという意見が出ていたことを思い出してみます。そこで立地の良い他社の店舗をメインの販路として確保したと仮定して、リリース時期のコントロールと販売店の立地というトレードオフを考えてみるのです。

まあどっちもどっちだな、と、そういう結論が出たら、そこでもう一押し。

他社の店舗に対して、今後は自分たちの商品を優先的に卸していくので、販売スケジュールについては、基本言うことを聞いてほしいと交渉してみるのです。

その場合、狙う店舗の周辺環境にも目を配ります。どうやらその店舗は、競合店との差別化に苦労しているようだな、という事実でも見つかればしめたもの。

「競合店に勝つために僕らの商品を利用してみませんか」と提案を加えて、その担当者が上層に説明しやすいようにしてあげるのです。

このような営業的やりとりは、どの業界でも頻出するケースです。
強みと弱みの比較。他社の周辺状況のチェック。取引先の担当者目線で、上司に説得しやすくさせるロジック作り。こうした至極当たり前のことを掛け合わせることで、アイディアの効果が発揮されるのです。


仕事をしていて、アイディアのない人とのやりとりほど退屈なものはありません。そうだとすれば、他人から見た自分も、アイディアが無ければ退屈な人間だと見られてしまう危険性があります。そこで思い出すのも、この座右の銘です。

アイディア無きものは去れ。

アイディアを生み出す人となるべく、僕は今日も藤子F作品を読み続けるのです。

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