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藤子F 原点して、いきなりの大傑作! 徹底考察「UTOPIA 最後の世界大戦」

藤子不二雄最初の大長編を全力で徹底考察します。その結果見えてきたことは、F作品の原点は本作なのだということ、10代にして既に深く鋭い先進性を備えていたこと、そして本作がマンガで時代を切り開いていくのだという高らかな宣言となっていること、でした。原稿用紙10枚超の大ボリュームですが、損はさせませんので、ぜひ、最後まで読んでいただければと思います。

本稿を書くにあたり、ネットで本作の評論などを探したのだが、ほとんど見つけることができなかった。藤子不二雄(足塚不二雄)の最初にして最後の書き下ろし単行本ということで、本の希少性についての論考は数多く見つかるが、肝心の中身についてはあまり語られていないように思える。

そんな作品をどこまで踏み込んで考察できるか、Fマニアの名に懸けてチャレンジしてみたいと思う。


本作は、タイトル通り「UTOPIAとは何か」というテーマの、ユートピアを求める人間の物語となっている。

聖書に代表される考え方ではあるが、人間は楽園を追われて、自分たち自身で理想郷を作らねばならない宿命を背負っている。人間の歴史は、理想郷を追い求める人々の歩みそのものとも言える。

しかし、人間は3人集まれば二つのグループができると言われているほど、分裂しやすい性質(タチ)なので、集団を作り、壊して、また作るという離合集散の繰り返しで、一つの固まった理想郷を形成するのはとても困難なことだ。

それでも少しずつ、宗教や人種や国家という枠組みで共同体を形成して、それぞれの理想郷を作り上げてきたのである。

そうした理想郷の追求の果てに、国家間ののっぴきならない対立が生まれ、果ては世界中を巻き込んだ戦争を人類は経験することになる。一方の理想=正義は、他方から見れば間違った理想=悪となる。戦争の根幹には、そうした理想の認識の大きな断絶がある。

ドラえもんの中で、戦争している双方とも自分たちが正しいと思っているよ、というようなセリフが出てくるが、これがF先生の考える戦争の本質だ。

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本作は、第三次世界大戦の終結からスタートする。氷爆という、高熱ではなく冷却させる核爆弾によって、世界の半分が凍りつき、戦いは終結を迎える。主人公の少年は、シェルターの中で父親と共に被曝する。そして気がつくと、父親は死に、年月は百年を経過しているのだった。

第三次世界大戦から100年後の世界。地球国の首都・ユートピアが、本作の主たる舞台となる。大きな数度の世界大戦を経て、国家が地球全体で統一され、首都の名前には、今度こそ理想郷を作り上げたいという人間の強い願いが込められているのだろうと推測される。

人間の寿命は200歳まで伸び、人口は470億人を突破、科学技術は驚くべき発展を遂げた。しかし、ついに人類は理想郷を得たのかというと、そこには暗雲が立ち込めている。人間ではなく科学技術を信頼する大統領は、人間の仕事をロボットへと置き換え、不要となった人間をゼロの空間に送り込んで、存在を消してしまうという強硬策を取り始める。

人間が不要だとするこの物語は、AIに人間の職を取って代わられようとしている現代にも通じるテーマだ。科学至上主義の果てには、人間の存在が邪魔となる。効率的なロボット技術やAIに対して、情緒的で非効率な人間は必要とされないのである。

科学技術が発展すればするほど世の中は便利となるが、その「科学技術」という大きな歯車自体には人間は加わることができない。人間は傍観者となり、結果、ある種の為政者からすれば、非効率な石潰し(ごくつぶし)としか思えなくなってくる。

そういう科学技術第一主義に則った政策が実行されつつある、そんな世界観となっている。

ちなみに、ゼロの空間のアイディアは、後年「21エモン」でも登場しているが、おそらくナチスのホロコーストからイメージが取られているように思われる。

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大統領政府に対して、人類連盟という地下組織が抗戦している。彼らの目的は、「人間らしい人間の世の中を作ること」だ。少年は連盟の人間に、自分たちにとって一番大切な場所として、美術室を案内される。そこには前時代の彫刻や絵画、仏像などが無数収められている。

「今の世界は科学科学科学! 芸術なんかすっかり亡んでしまったよ」

人類連盟の目的は、人間らしさを取り戻すことにある。そして人間らしさを形成しているものは芸術であり、効率性とは全く別の尺度にあるものである。

芸術=人間らしさという考え方は、先の太平洋戦争における、漫画や小説や映画が不要とされたことへのアンチテーゼと読み取ることができる。娯楽や文化・芸術の支えがあって、豊饒な人間の暮らしが保障されるのだ。

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物語は一通りの世界観の説明を終えたのちに、次なるテーマへと踏み込んでいく。それが、ロボットとは何か、という問いである。

本作のアイディアは1951年に、藤子F先生がオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」のあらすじから着想を得たとされる。この前年、1950年に手塚治虫が「鉄腕アトム」を、アイザック・アシモフが「アイ・アム・ア・ロボット」を発表している。

ロボットを物語に組み込むことがようやく現出してきた時代、まだ高校生だったF先生たちがこのテーマへと踏み込んでいったことについては、もう驚異でしかない。

放射線によって、ロボットが「自分の考え」を持つようになる。考える力を身につけたロボットは、頭脳で劣る人間に対して、議会・裁判所・研究所・マスコミと、社会機能全てにおいてその地位を取って代わろうとする。

ロボットは人間の指示を受けて動くことが絶対的な行動原理だが、自力で考える能力を得た時、どのような振る舞いをするのか? もし自力で考えて行動を始めた時、それは果たしてロボットと言えるのか? そんなロボット社会において人間の存在価値とは何か?

AI脳を獲得した現代のコンピューター社会を彷彿とさせる、とても現代的なテーマだが、これが70年前の高校生によって提起されているのである。そしてロボットと人間の関係は、この後F先生の作家人生で、幾度も首をもたげてくる主たるテーマとなる。

SF短編の『マイロボット』と言った硬派な作品から、「パーマン」の『コピーロボットの反乱』のようなギャグまで、何度もパターンを変えては同様のテーマを掘り下げている。つまりそれは、すぐに答えが導き出せないことの裏返しでもある。

それでも若き藤子不二雄は、知能を持ったロボットについて、作中のセリフを借りて以下のように定義する。

彼らは科学が生んだ新しい人種だ。人間の作った人間以上の生命だ。

これも一つの慧眼だろう。


知能を持ったロボットに対して、地球国軍と人類連盟が手を結び対峙する。初めて世界の人間が一つとなった瞬間だった。しかし、ロボットが絶対的に勝利を収める。人間を超えた生命体に、人間は勝ち目はない。

機械対人間の戦いは、人間が一歩的に敗れる。よって以後人間同士の戦争が起きることはない。これが「最後の世界大戦」という意味であることが明かされるのである。


作中、破滅を覚悟した人間たちが、防空壕の中で語り出す。

「人間は何千年もかかって世の中を進歩させた・・・。ところがね、人間自身はほとんど進歩しなかったんだ!」

絶望的とも言えるこのセリフは、太平洋戦争での空襲禍で思いついたのではないかと僕は思っている。進歩してきたはずの人間が、自らを滅ぼそうとしている事態の中で。

続けて作中で、男たちは言う。

「もしも人間が助かったら、今度こそ素晴らしい社会になるんだがな」

これも戦火の藤子不二雄が、心から望んだことではなかったか。

このように見ていくと、本作は未来の戦争を描きつつ、直近の大戦での経験が色濃く反映されていることがわかる。

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必敗の情勢にあって、突然奇跡が起こる。溶け出した氷土の中から、前世界の音楽が鳴り出すのである。すると、ロボットたちはメロディーを聞いて、狂いだしお互いを攻撃しあう。たった一晩で、ロボットは壊滅し、人間たちにとって平和な朝がやってくる。

ロボットはひとりでに全滅する。これをご都合主義と読むのか、大風呂敷を広げてうまく畳めなかったと見るべきか。

もちろん、そうではない。ロボットは、人間さえも長年忘れていた「音楽」を聴くことで、その意味を理解できなかったのだ。論理的思考で動くロボットには、感覚でしか受け止められない「音楽」を、ただの混乱する命令と聞き取ったのである。つまり、論理的ではない芸術の力によって、狂わされたのである。

F先生は戦争という最中に、漫画を描いてはそれを否定されるような言動にあっていたのだと想像される。国家の勝利に役立たない芸術が認められなかった時代に、鬱屈とした気持ちを持っていたのではあるまいか。

本作は、考える力を持ったロボットに対して、人間とは何か、という問いにもきちんと答えを出している。最終的に「芸術」の力こそが、人間の力なのだと雄弁に語っているのである。


ラスト二コマ目のところで、重要な台詞が出てくる。

壊れた古い世界を復興するんじゃない。新しい世界が作り出されるんだ。

戦後復興という言葉が示す、過去への郷愁への強い違和感。
本作が執筆された1951~2年は、まさしく復興が国是として掲げられた世の中だった。けれど、そうした元に戻す、ごとく意味の使われ方をする「復興」という言葉に、藤子不二雄両先生は拒否感に近い感情を抱いたのだと思われる。

戦争の前に戻っても、それは平和の世界となったことにはならない。言論・思想統制の世界に戻ったとしても、それは望むところではない。復興ではなく、前へ進むべきだという強い思想が込められたセリフなのである。

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そしてそのセリフを受けて、ラストの一コマに、全ての思いが詰まったメッセージが発せられる。

そうだ!それこそ本当の理想境(ユートピア)なのだ!

復興ではなく、新しい世界へ。それは芸術を始めとする人間らしさが重要視される時代であるべきだという、果てしなく崇高なメッセージなのである。そして藤子先生たちは、そうした芸術 ー自分たちにとっては漫画ー という武器を持って、新世界の荒波に飛び込もうとしている。本作はその最初の名刺代わりだ。

俺たちは、マンガで新しい時代を切り開く。

そういう強い強い思いが、本作には込められているのである。

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