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コンテンツは「発信」ではなく「置いていく」感覚で

世の中に情報が充満して、窒息しそうな時代となっています。

僕ら(40代)の若い頃は「情報は取りに行け」ということで教わってきましたが、今や「情報は適当にスルーせよ」ということになったと聞きます。

情報を発信する側としては、なるべく多くの人に届けたいので、一生懸命に宣伝するのですが、情報スルーの人々にはいつまで経っても届きません。

受け取ってもらえない情報をいかに届けるか。一休さんにでも教わらないと答えの出ない禅問答のような世の中となってしましました。


この禅問答に対する一つの答えが、あくまで仮説ですが、情報は積極的に発信して届けるものではなく、そっとどこかに置いておくものではないか、ということです。

昔と違って、欲しいと思った情報を収集するのは容易になっています。それであれば、無理やりこちらから届けなくても、しかるべき所に情報を置いておけば、勝手にどこかのキュレーターが求めている人に届けてくれたり、個人レベルで自主的に情報を集めにきてくれるのではないかと考えています。


自分の話で恐縮ですが、例えばこのnoteでは、コンテンツを「発信」するのではなく「置いていく」感覚で記事を書き溜めています。ツイッターで連動して宣伝したり、のべつ巻くなしにスキを付けたり、フォローをしまくったりということは避けてきました。(面倒くさがりという点も要因の一つですが・・・)

書いている内容が一般的でもないので、敢えて積極的に発信せずに、コツコツと書き続けたときに、どのようなことが起こるのか興味深く見守っている感じです。


noteの投稿を始めて8ヶ月。想像通り(?)に、そっと置いてきた記事を読んでもらえるようになってきました。例えば、現在公開中の記事が237本ありますが、その中で直近二日間でPVが増えた記事が140本あります。約6割の記事がこの2日間でどなたかに触れてもらったことになります。

もちろん僕としても、記事を書きっぱなしにしているのではなく、例えばINDEX記事を作って、新しい記事には必ずリンクを張り付けるようにするなど、コンテンツの「置き方」には工夫をしています。また、noteではおすすめ機能が充実しているようなので、その力も借りているかと思います。

ただ、そうした上でも、やはりコツコツと記事を「置いていった」効果は出ているのではないかと分析しています。


さて、このことを実生活にも生かそうと思った時に、どのようなことが考えられるでしょうか。

コンテンツ業界で働く身としては、ゴリ押しは効かない世の中であるという認識に立って、ユーザーに「多面接触」してもらえるような配置で、情報をしかるべき場所に置いて回る施策が有効ではないかと考えています。ユーザーの方から、自主的に情報を集めてもらうような形が理想です。

なお、「多面接触」については、また別の記事で詳しく考察する予定です。

SNSの使い方としても、ガツガツと発信していくやり方ではなく、必要十分な情報を淡々と置いていく。TVスポットをしつこく打つのではなく、キュレーターやインフルエンサーの近くに情報を置いて回る。

ゴリ押しせずに、興味関心がある人に自然と届けるやり方が、今の時代ではベターであると考えています。


もっとも、このやり方が正しいとして、そもそものコンテンツが魅力的でないと、元も子もありません。情報を発信する、置いていくという方策以前に、欲しいと思ってもらえるコンテンツを用意できているかどうかが、絶対的なカギを握っているのは変わりありません。

かつては、コンテンツ力と発信力が勝負の決め手でした。けれど今は、コンテンツ力と、ユーザーの方々に受け取ってもらえるように情報を配荷する力が求められているのだと考えています。

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