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49歳、男性、誕生日。僕にはまだ、やるべきことがある!

6月はワタクシの誕生日月ということで、過去にこんな記事を書きました。

noteを開始して早2年半が経過し、誕生日記事もこれで3本目となりました。まさかこんなにnoteが続くことになるとは思っていませんでしたし、一年、二年があっと言う間に過ぎ去っていく時の流れの早さに驚愕します。

そりゃ、いつの間にか子供も大きくなるってものですね。


さて、ついに「人生50年」の大台まであと一年というところまでやってきました。客観的に見れば全く若くない年齢ではありますが、不思議なもので、いざ50歳を目前にしても、まだ若い時の気持ちのままです。

現実を受け止められていないというよりは、まだまだ余力がたっぷりと残されている感じがするのです。

具体的にやり残していることも多くありますし、新しい挑戦もしています。もう自分は若くないと、老け込む年齢でもないなと思う訳です。


しかしながら、若い時と同じように行動していては駄目だなと思います。特に思うのは、行動の全てを自分の頭で考えていかねばならないということでしょうか。

これまではある種、流れに身を任せてきたところもありました。流れと言っては失礼ですが、今の奥さんと出会い、結婚し、家庭を作るということだったり、仕事においても目の前に与えられたものをこなしていくうちに、ある程度の出世をしていくということが、それに当たります。

これまでも当然、ポイントごとに立ち止まっては、次に動くべきことを考えて、選択してきたわけですが、今となっては、それも大きな流れの一部だったのでは、と思うようになりました。


僕の場合は、と限定する話ではありますが、大きな流れに乗っているだけで心地よい時代はもう終わったんだなという感覚があります。

家庭のことで言えば、子供もどんどんと大きくなり、強い個性が芽生え始めています。自分が経験してきたことや本などから学んだことを育児に生かすだけではダメだと思うようになりました。

子供の個性に合わせて、伸びそうな部分はしっかりサポートし、落ちこぼれそうな部分もきちんとフォローアップする必要があります。それにはマニュアルみたいなものに当てはめるようなことはご法度で、子供の顔を見ながらひとつひとつ答えを探さないと駄目なんだと思っています。


仕事においては、これまでは人脈やテクニック、ノウハウをどんどんと吸収し、周囲から信頼されるようになり、その結果とある事業のリーダーを任されて、出世街道を進む、みたいな流れに乗っていたと思います。

会社が用意していた流れに沿った行動をしていれば、ある程度のところまではたどり着けたという訳です。

けれど、50歳の社員に積極的に次はどうしろとか指示を出してくるような組織はほとんどありません。自分のスキルは自分で見極めて、何らかに貢献できるように、次に取るべきアクションを考えなくてはなりません。


これまで培ってきたこと、身につけてきたこと、逆にやれなかったこと、不十分なこと、それらがまぜこぜになって、今の自分が形成されています。これを生かすも殺すも、自分次第だと思うのです。

それには、まずは自分の頭を使って現状を把握し、自分の頭で次なる行動を考える。そして自分の能力と良く相談しながら、きちんと行動し、結果を出す。そういうことが求められる年齢なんだと強く感じます。


そこで、思うんですよね。

年齢を重ねると将来性がないという意味合いで時間が非常に限られてくるので、どうしても守りに入りがちになるということ。

まだ流れに乗ったつもりで、フラフラと年齢を重ねていると、本当に時間が無くなってしまう(=死)ということ。

だから僕はまだまだ挑戦したいって。


この春から仕事場が変わることになり、最初はかなりの戸惑いを覚えた訳なのですが、逆にこれが自分自身のことを見つめるチャンスとなり、先ほど来語っている挑戦心がもたげてきたのです。

これまで得たことを十二分に活用し、新しいチャレンジをして、新しい場所への貢献度を高めたいと思うようになりました。

昨年の記事では、僕は何者にもなれないのではないかと、後ろ向きになりそうなところを堪えることを書きました。今年はなぜか前向きです。開き直ったということもあるかもですが、ジリジリと悩むような段階ではないように思っています。


この記事も、また来年読めば、甘ちゃんだなあなんて思うかも知れません。けれど、今は今の自分の気持ちを、こうして書き留めて置きたいのです。



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