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48歳、男性、誕生日。僕はもう、何者にもなれないのか?

約一年前に、以下の記事を書いた。

人生の大台が近づいている中、若い頃から考えていた仕事人生のプランを振り返る記事でした。思いの外「スキ」をいただいた印象深い記事です。

そして、あれからもう一年経ったかと思うと、時の流れの早さに身じろぎます。


仕事だけで考えると、この一年、自分としては満足のいかない一年でした。46歳から55歳を「リーダーシップを発揮する」時期と捉えていますが、実際にはチーム戦から個人戦に主軸を移しています。

どうしてもアドバイザー的なポジションに据えられるケースが多くて、チームを率いていく、という理想的な働き方からは遠ざかっています。


これにはいくつかの理由がありますが、そもそもエンタメコンテンツ業界では、メインで実働する年齢がどんどんと下がっているという事情があります。

これは僕のいる組織でも同傾向で、エンタメ消費者に近い年齢の働き手が、すぐに力を発揮するケースが多いように思います。上層からすれば、若手の感性を信じて仕事を任せる方が、組織の将来を考えた場合でも、その方が良いという判断も働いています。


そういう若返りの流れは、そう簡単には変わりませんし、変わってはいけないと思います。組織としては間違っていない。

けれど、若返って残された年寄りはどうなるのか?

そのまま消えろということなのか。


でも、何か爪痕が残せる人材でなければ、消えるしかないかも知れません。


若い頃は、何者かになるために、目の前の仕事に全力投球してきました。少しずつできることを増やしながら、人脈を広げて、知識を蓄えて、交渉やプレゼン、レポート、メールなどの技術を磨いてきました。

ある程度の範囲内では、何者かになったのは間違いありません。けれど、それはあくまでインナーな世界。


同じような仕事ができるのならば、若い方がいい。これは誰もが思いつく当たり前の、でも割と残酷な結論です。

業界内の狭い世界で「何者」になったとして、それもあっさりと代替わりをしてしまうものなのです。


僕はこの一年で、これまでのやり方を続けていく限界を感じました。もちろん技を駆使して延命はできます。でも、根本的に変えないと、いずれはただの年寄りになってしまう。

自分が若い頃に、勝手に見下げていた人たちのようになってしまう。


この危機感を切実に感じた一年でした。

でも、と思います。ここからが、本当の勝負になるんではないかと。


これまで築き上げてきたキャリアは、確固たる実績として残されています。そこで胡坐をかくのではなく、この土壌を活かして、また別の場所に旅立てるのか。そこがポイントと感じています。

あと一回りで、定年となります。雇用延長の時代ですが、そこからは本当の意味で、若者を支えるポジションで精いっぱい働けるものと思います。


でも、今はその時じゃない。

もう一回り=12年間を、自分が何者かになることを諦めずに、勝負を続けなくてはならないのではないか。そんな風に思います。


今までの仕事のやり方の延長上には、もう何者かになる可能性は無いように思います。全く別のやり方、方法論、考え方を導入して、もう一回何者かを目指そう。

今年はそんな決意を込めて、誕生日の文章としたいと思います。



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