【執着】禅とスナップ写真
執着。
皆さんの中にも、多かれ少なかれ執着していることがあるのではないでしょうか?
例えば、お金、地位や名誉、パートナーなどへの執着です。
禅によれば、その執着が、問題、苦しみ、悩みを引き起こすのだと言う。
写真も、上手に写真を撮りたい撮りたいと執着すればするほど、いい写真が撮れないのではないかと考えている。
特に、スナップ写真では、例えば、ここに人がいればいい写真になるから、人が来るのを待とうといった行為はしない。
人を待つ行為が執着なのだ。
ここで、1枚の写真を見てください。
これは、大阪駅で撮った写真です。
大阪駅に差し込む西日が綺麗だったので撮りました。
ここに、人が歩いている方が、写真としてはいい写真のように感じるのではないでしょうか?
しかし、ここに人が来るのを待って写真を撮っても、どうもそれは写真ではない気がする。
勿論、これは、私の個人的な見解でありルールである。
#今後変わるかも
何か、人を待つという行為が、写真を計算された人為的なものにするように思うからだ。
だから、私は、そこに人がいようといよまいが、すぐに、シャッターを切るようにしている。
できることなら、構図や画角も考えたくないくらいだ。
意図的なものが入った瞬間、写真は写真でなくなるように感じるからだ。
できるだけ写真には、自分の考えを入れたくない。
勿論、物体としては写真なのだが、心境的には計算して作ったアートのように感じる。
勿論、アート全てが計算されていると言いたいわけではない。
計算されていないアートもあるだろう。
そして、計算自体が悪いと言いたいわけではない。
ここで言いたいのは、自分はそう思うから、そうしたくないということだ
どちらが、いいとか悪いとかの話ではない。
特に、結論があるわけではないのですが、ふとこういうことを思ったわけです。
皆様の中にも、私の言っていることが、わかるわかるという方もおられるでしょうか?
ほんじつも写真びよりなり。
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