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厳しい管理職ではなく寛容な管理職に

こんちは!副業社労士まさゆきです。

50歳の時、アキレス腱を切り3週間入院しました。当時、私は某大手化学メーカーで製造・販売・研究を統括するチームリーダー、病室に携帯は持ち込めずメールだけが連絡手段(当時はWebは普及してません)です。最初の1週間は数多くのメールが来、指示を出していましたが、徐々に数が減ります。「自分がいなくても仕事は廻る」ことを痛感しました。

それまでの私は「自分がチームを引張らければいけない」と部下に細かく報告させ指示をする“進捗管理重視のリーダー”でした。自分のやり方が正しいと信じ、部下の考えを受け入れるという考えはあまりなかった。当時の管理職はこんな人が多かったと思います。

退院後もしばらく動けず、部下の仕事を見守る時間が続きました。各々が責任感を持って仕事を前に進めています。「私が色々言わなくてもこんなに仕事が出来るのなら、もっと信用して任せればよかった」と思いました。

それから、自分のやり方を押し付ける事は控えるようになりました。
全般的な指示だけに留め、部下が違う意見がある場合には「何故そうしようと思うのか」意見を聞き、余程の事がなければ見守るようにしました。ただ、聞くことには時間を使いました。「聞く8割、話す2割」、話す時間はもっと少なかったかも知れません。
自分の意見を受け入れられた部下は必死で頑張ります。成果が出るようになり、その後予算を達成し続けました。

部下からは「以前に比べ話しやすくなった、今までは意見を聞いてくれないので話す気がしなかった」と言われました。こちらの指示も得心して動いてくれるようになりました。納得できければ「こうした方がいい」と意見が出るようになり、話し合った上で課題に取り組むようになりました。

1980年代までの製造業中心社会であれば、進捗管理中心の厳しい管理職が良かったのでしょう。情報産業中心社会となり、多様性が求めらる今、厳しさで部下を押さえ付けては業績が伸びない、変わってきたと思います。
「アキレス腱を切ってよかった」と思う自分がいます。「よかったな」と言う仲間もいます。

[会社部長との関係]
そうなると、「寛容だけで上司(ここでは便宜上“部長”とします)が納得してくれるのか?」が問題になります。部門成績が悪い時の部長の定番「部下をちゃんと管理出来ているのか??」言った本人は意識せずとも、言われた方はその後部下の管理を厳しくして部下が反発して悪循環に入る、よく見るケースです。
部下に寛容に接するのであれば、部長に対する報告は“頻繁に、数字で具体的に論理的”でなければなりません。上手く行かない時の代替案も必要です。部下への接し方を変えた当初、不安だった私は部長に対する対応に気を使いました。

ただ、部長は、私が部下とどう接しているかは、“結果”さえ出していればどうでも良かったようです。むしろ厳しい態度がパワハラにならないか、部下が辞めると困ると心配だったようです。つまり、「私が寛容で結果を出してくれる方がいい、ましてや状況を逐一報告するなら“理想的な管理職”」となります。暫くして気付きました。要領が判れば気が楽になります。

「そんなに上手く行くはずない」と思われる方、一度試してみては如何でしょうか?

[家康、本多忠勝の部下への接し方]
NHK大河ドラマ「どうする家康」が放送中ですが、家康を支えた徳川四天王に本多忠勝がいます。秀吉に「東の本多忠勝、西の立花宗成、天下無双」と言われ、武田信玄に「家康に過ぎたる者」と言われた猛将です

本多忠勝が立花宗成に語った、部下に対する接し方です。
「若いころ私は家康様がはっきりした意見を言わないことに頼りなく思っていた。
 ところが自分が上に立ってみると、部下に厳しくしすぎると、部下は委縮して力を発揮できないことが分かった。だから家康様は部下に寛容だったのだと思う」
「私も家康様に倣い、部下を『雀の子を飼い育てるようにやさしく優しく育て使うように』しています」

では次回

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