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[考察的小説]魔女は嘘をつけない・前編


「準備できたよ」
レジャーシートの上にお弁当を並べ終えた梨奈(りな)が、水筒から温かいスープを紙コップに注いで渡してくれた。
「なんか一年前よりもこの桜、ピンク色が濃いような気がする」
 梨奈がお弁当箱に落ちた桜の花弁を拾いあげて呟いた。
「生きている証拠だよ、桜も」
 本当は気候変動や土壌の養分の影響があるからだろうけど、そんな実直な答えよりも、今は叙情的な答えを選びたい気分だった。

「じゃぁ私たちもこの人生、しっかり生きないとね」と言って梨奈がおにぎりを頬張った。その姿が愛らしく、僕はこの人と結婚して必ず幸せになると誓った。
「そうだ、来週ね、お姉ちゃんが遊びに来たいって。いいかな? 」   
「お姉さんって、梨奈の双子の? 」
「そう、双子の姉」

 ふと、数日前に梨奈が僕に見せてくれた写真を思い出した。それは梨奈が姉と肩を並べて自撮りしたものだった。二人は一卵性双生児という事もあり、見た目は酷似していたけれど、姉の方がどちらかと言えばクールな情調を纏っていた。

「なんか緊張するな」
「確かに顔はそっくりだけど、性格は全然違うの。姉の方がインパクト強いと思うわ」
「余計に緊張するよ」
「大丈夫、その日は桜久(さく)の大好きなミートローフを作るつもりだから」
 つい一週間前、梨奈が作った丸焦げになったミートローフを思い出した。
「あ、あのミートローフを思い出したんでしょ」梨奈が僕の脇をつついてくる。互いから自然と笑みがこぼれた。

「なぁ、写真撮らないか」
 一瞬、驚いた顔をした梨奈が「うん」と言って僕の携帯に視線を合わした。無機質な機械音が耳に届き、早速画像を確認する。
「うん、いい写真」
 早速梨奈にも画像を送った。
 僕たちの後ろには桜の木がある。その上には青空が広がっている、見事なコントラストだ。
 帰ったら母さんにも報告だ。そしてこの花びらを渡そう。
「僕たちは結婚する」という報告と共に。



「桜久、今どこ? 」
「今、ちょうどマンションの前」
「分かった。待ってるね。ミートローフもあるからねー」
 梨奈の声が弾んでいる。姉の麗奈がもう来ているだろう。
 家のドアの前に着くと何となく形容しがたい緊張が体を覆っている気がした。それは初めて麗奈に会う緊張感からか、それとも写真で見えた麗奈が纏うあの独特な雰囲気のせいからなのか。軽く頭を左右に振り、目の前のドアにカギを差し込んだ。

 ドアを開けると、成功したであろう香ばしいミートローフの香りが鼻を燻った。それに加え、リビングに通じるドアの奥からは、楽しそうな声が聞こえてくる。その二人の声色はほぼ同じで不思議な感覚に陥った。
『人とのつながりを大事にしなさい』
 急に母に言われてきた言葉が耳に届いたような気がした。
「なんでこのタイミングで」
 もう一度深呼吸をし「ただいま」とリビングに向かった。

「こんにちは。初めまして、姉の坂下麗奈(さかしたれな)です」
 そう言って麗奈が深々と一礼すると、綺麗なストレートの長い髪が肩から流れ落ちた。そこからゆっくりと顔を上げ、僕にほほ笑んだのは、麗奈、ではなくて
「魔女……」
 Vネックの黒のワンピースを身に纏い、微笑を零している。
「あはははは」
 突如、甲高く麗奈が笑った。梨奈も横でクスクスと笑っている。
「ほら、私も言ったじゃない。今日の麗奈の服、魔女みたいだって」
「やっぱり」と麗奈は右の口角を少し上げて悪戯っぽく笑った。

 写真で見たクールな印象と違い過ぎて自分の頭が混乱しているのが分かる。
「桜久、止まってるよ」と梨奈に言われ、初めて自分の口から「魔女」という言葉が漏れ出た事に気づき、慌てて謝罪をした。
「いいのよ。今日はお招き戴きましてありがとうございます」と麗奈がほほ笑んで右手を差し出した。
「僕の方こそ、お会いできて嬉しいです」と言い、自分も右手をそっと差し出す。握手をする、と思いきや麗奈の右手はすっと彼女の顔の高さに移動し、くるりと手の平を僕に向けた。僕も反射的に真似をする。  

 次の瞬間「イェイ」と麗奈がハイタッチをしてきた。パチンと弾く音が部屋に響き渡る。
 目の前には悪戯な笑みを浮かべる麗奈がいた。その瞬間、僕の麗奈に対する印象は、
 冷徹な魔女から奇妙奇天烈な魔女へと変わったのだった。

 食事はと言うと、想像以上に楽しいものになった。最近見た映画の話や、趣味の話など他愛ない話も退屈せずに続き、お題は、僕の名前に変わった。
「桜久って名前、格好いいね」そう言って麗奈が僕の名前を宙に書いている。
 「ありがとうございます。祖母は八重(やえ)。母は佳乃(よしの)。そして僕が桜久。ここに共通項があるんですけど……」と言うや否や、「桜だ! 」と麗奈が大きな声をあげた。
「さすが、麗奈。名前に敏感だよね」梨奈が言えば「名は体を表すからね―」なんて答えている。そして「私も名の如く、麗しいでしょ」とわざとらしく髪をかきあげる仕草に、僕は思わず噴き出してしまった。 
 
「ちょっと桜久くん、投げられたい? 」
「あ、麗奈はずっと柔道してるから気を付けて」梨奈が笑いながら耳打ちしてくる。
「え、それは敵わないです」いや、正直どこをとっても敵うなんて一ミリも思っていない。
「でもさ、正直、最初キツそうだなって思ったでしょ、私の事」

 そう尋ねる麗奈はまた悪戯な笑みをこぼした。ほんの一瞬、答えに窮した僕だったが「はい」と素直に言えば「正直でいいよ」と、麗奈は怒るどころかむしろ喜んだ。
「あ、でもそう思ったのはほんの一瞬だけですよ。母がね、昔から僕に言うんです。『見性成仏(けんしょうじょうぶつ)、何事も曇った目で見たらいけません』って」
「素晴らしいわね、お母さま」麗奈が手を叩く。梨奈も隣で頷いている。 

「なんでしょうね、僕が小さな頃から母は『愛ある言葉を蒔きなさい』とか、あと『如是我聞の心をもちなさい』『人は縁でつながっている』ってずっと言っていました」
「にょぜがもん、ってなに? 」梨奈が聞く。
「あれよ、お経の始まりの言葉よ」さらっと言った麗奈に梨奈が「どうしてそんな事知ってるの? 」と訊ねている。「麗奈さん、お詳しいんですね」と言えば「まぁそこそこにね」と返事が返ってきた。

「如是我聞はお釈迦様の弟子の言葉で、これを読み解くと『私はお釈迦様よりこのようにお聞きしました』って意味らしいよ」麗奈が答えた。
 「じゃぁお経って、お釈迦さまが言われた事をお弟子さんが書いた後世への手紙なんだね」梨奈が自分で言った事に納得したのか、一人で「なるほど」と呟いている。

「端的に言うとそうよね。でもここの解釈は人によって分かれるわね。単にお釈迦様の教えだけを綴っているわけではない、私はそう思うの」
「と言うと? 」僕は麗奈の考え方が気になり、自然と続きを促す言葉が口から洩れていた。麗奈は「聞きたい?」とも言いたげに僕と梨奈を交互に見て話し始めた。

「この如是我聞ってね、弟子の謙虚さや慎ましさが表れていると思うの。『私はこのように聞きました』を最初に言う事で、これは私の言葉ではございませんが、という前置きに聞こえるのよね。もし弟子が我の強い人なら「如是我聞」をすっ飛ばしてさ、お釈迦様から聞いた事をさも自分が悟った事のように言うと思わない? つまりあれよ、人から聞いた話を誰かに伝える時は、あくまで聞いた事実だけを伝える、そこに自分の感情を加味しない。そんな気取らない姿勢が大事だって言われていると私は思ってるの」

「確かに」と僕は小さく唸った。「麗奈が言うとなんか説得力あるわ」と梨奈が言えば「職業柄ね」と麗奈が答えた。
 一体どんな職業なのかが気になった僕は訊ねてみたくて、「あの」と発っするや否や「桜久くんは、どう捉えていたの。この『如是我聞』って言葉」と興味深そうに麗奈が被さって聞いてきた。
「僕は……」と言って、昔から母が僕に言っていた事をなんとなく思い出していた。

「ある意味、麗奈さんと対極かも知れません」
「ほう? 」と麗奈が唸る。梨奈も体ごと僕の方に向き直し聞く姿勢に入っている。それを確認して、僕はゆっくりと話を始めた。
「麗奈さんはこの如是我聞を、人に話を伝える際の自分の心の姿勢と説いてくれました。僕は、人の話を聞く際の自分の心の姿勢、そう教わったんです。言葉の表面的な意味をそのまま捉えるのではなく、その本質を聞きなさい、つまり心で傾聴しなさい、っていう意味だと聞いて納得したのを覚えています」

「なるほど」隣の梨奈が大きく相槌を打った。
「そうか、伝える姿勢と聞く姿勢の両方の事を問われているのか、如是我聞って」麗奈が呟き「納得」と言ってワインを一口飲んだ。

「でも、『教わった』って事は、もしかしてそれもお母さまが教えてくれたって事? 」
「そうですね、母は禅語が好きな人で。僕が少しでも落ち込んでいたりすると、よく禅問答してきたんです。正直うるさいなって思っていたんですけど」
「けど? 」麗奈が訊ねる。

「大学二年の時、僕、単位を落としそうになったんです、ちょっとバイトをし過ぎてしまって。でも一人の友人が授業のポイントを整理してノートを貸してくれたんです」
「いいぞ、学生」麗奈が合いの手を打つ。

「でも、どうしてそんな事を僕にしてくれたのか気になるじゃないですか。そいつとは知り合ったばかりと思っていたんで。それで聞いてみたら『同じ大学に通う縁だから』って言ったんです。母みたいな事を言うな、と思っていたら、入学式の時に僕がそいつに同じ事を言ったらしいんです」

「らしいんです、って事は覚えていなかったの? 」梨奈に聞かれて「うん」と頷く。
「入学式の日は何かと覚える事がいっぱいだったから」
「でも、どうして桜久くんは入学式の時に『同じ大学に通う縁』ってその友人に言ったの?なんかそんなシチュエーションがあったって事でしょ」麗奈の疑問は尤もで隣の梨奈も「そうだよね」と言っている。

「それが友人いわく『大阪から上京したばかりで東京の事がさっぱり分からへんかった俺に、お前がおすすめのスーパーやドラッグストア、それに病院とかをリストアップしたメモを渡してくれたんや。お前、覚えてないんか』と笑ったんです。そこで思い出したんです。そのメモは、東京生まれの母が上京する僕の為に書いてくれたものだったんですけど、上京って言っても僕は横浜生まれ横浜育ちだからちょくちょく東京に遊びに行ってたんで、正直必要なかったんですよ。まして携帯で何でも調べられる時代ですからね。だけど入学式の時にたまたま隣に座ったそいつは『東京はよく分からへん』なんて言ったもんだから、それならとそのメモを渡したんです。でもそいつからしたら僕がした行為がかなり嬉しかったらしくって。ただメモを渡しただけなんですけどね。おかげでそいつと今でもよく飲みに行く間柄です」

「良い出会いよね。それに、本当に自分の良心でした行為は忘れるもんじゃない?それが善行ってもんよね」麗奈が頷きながら言う。そして 「お母さまに話したら喜ばれたんじゃない? 」と聞いてきた。
「はい、話にはまだ続きがあるんですけど」と言えば「ほうほう」と麗奈が改めて聞く姿勢に入り、梨奈も視線をずっと僕に向けてくれている。

「ある日、母が『面白い出会いってあるもんだ』と言って帰って来た日があったんです。それで僕も友人との話をしたんですよね。そしたら母が『それが人のつながり、縁ってものなの』って言って。『母さんがあなたに伝えた言葉はあなたの一部になるの。そしてあなたが誰かに伝えた言葉は誰かの一部になる。だから愛ある言葉を蒔きなさい、如是我聞の心でいなさい、人は縁で繋がっていると思いなさい』って改めて言われたんです。そこで今まで母が言ってきた事が全部繋がって、スコンと落ちたんですよね」

あの日の母はいつもより明るかった。そしてテーブルに置いてあったチラシに〇(まる)と書いた。きっと〇(よくできた)と言いたかったのだろう。 
「深いな、実に深い。素敵なお母さまね」麗奈が自分の経験と照らし合わせているかのような面持ちで大きく唸った。梨奈は少し遠慮がちに頷いた。それは梨奈が母の事を知っているからだと思う。

「でも、母はもうこの世にいなくて」僕が言えば、少し間を置いてから「さっきね」と麗奈が話し始めた。
「廊下を通った時、お仏壇が見えたのよ。だからもしかしてって思ったんだけど」少し遠慮がちに麗奈が言った。
「はい、その通りで。でもこうやって母の話をさせて貰えて、きっと天国の母も喜んでいます」

「そうよ、お母さまのご意思、ちゃんと受け継ぎなさいよ、桜久くん」と麗奈がまた右手を上げた。またハイタッチかと思って僕も右手を上げれば、今度は握手だった。この麗奈の独特なテンションが有難かった。梨奈も横で笑ってくれている。僕はどうしても辛気臭いのが苦手なのだ。

「あれ、でも、なんでこんな素敵な話になったんだっけ? 」と麗奈に言われ、僕たちはしばし考えた。「あ、あれだ。桜久くんが思った、私に対する最悪の印象の話からだったよね」
「いや、僕、一言も最悪な印象だなんて言っていませんから」
「大丈夫、如是我聞。ちゃんと言葉を心で聴いてるから」と右手で左胸を数回叩いている。
 釈迦の弟子にでもなったつもりだろうか。僕は麗奈の振る舞いに久しぶりに大きな声で笑った。それを見た梨奈も、もらい笑いしている

「でもね、印象の話で言えば、私と梨奈は双子だから顔は似てるんだけど、印象が違うのよ。梨奈はおっとり系だから、冷徹には見られないの。私は母にて頑固な所があるからか、その頑なさが顔に出ているらしいわ」
「誰かにそう言われているんですか?」と返せば「そういちに」と零した。麗奈さんには手厳しい彼がいるんだなと思った。

「僕、ファッションには全く疎いですが」と前置きして話を続けた。
「今日の麗奈さんの服、全身黒でしょ」
 麗奈が視線を自分の服に落として「そうね、真っ黒ね」と言った。
「あの、どうしても黒って保守的に見えてしまうと言うか、印象もダークに見えてしまうんですよ。今度はいっその事、明るめの色の服を着てみたらどうです? 」
「それなら私が得意だからコーデしてあげる」と梨奈が、任せてとでも言いたげに胸を張った。

「まぁ確かに私の服は黒が多いわ。自然とこうなっちゃうのよ。だからかな、昔さ、小学生の子に『あそこには魔女がいる』って私の住んでいるマンションが噂された事があるのよ。題して、魔女騒ぎ」
「うわっ、納得です」
「なにが納得なのよ、いい話しようと思ってんのに。お酌しろ」と麗奈が空のワイングラスを僕に向けてきた。
「喜んで」とワインを注げば麗奈は豪快に笑った。
「っでどうしたんですか? 」僕はその話が気になって仕方がなかった。

「小学生の子たちが騒ぐのを何とかしなきゃ、と思ってある日ね、黒のとんがり帽子が家にあったからそれを被って出てやったの、その子たちの前に」
「え、本当に? 」梨奈も初めて聞く話なのか、身を乗り出して聞いている。
「なんでそんな帽子が家にあったんですか」
「それは会社の忘年会で使ったの。ってかそんな話はいいの」自分的にはそっちの話の方が気になったが今は魔女騒ぎの話が優先だ。麗奈が再び話を始める。

「それでね、リアリティを醸し出そうと一応スティックなんかも持って外に出たのよ」
「え、そこまでしたんですか? 」僕が一驚して聞けば「実際は菜箸だったんだけどね」と麗奈が言うや否や、我慢し切れなくなった梨奈が噴出した。
「それでね『君たち、マンションは遊ぶところじゃありません。でも私は君たちが悪い子ではないと信じています。だからこれを持って、今すぐこのマンションから出ていきなさい。悪戯はいけませんよ』と伝えて、ポケットから飴玉を取り出して渡したわ」

「ハロウィンだよ、それ」梨奈が言えば「でも真夏だったから、中は汗だくよ」その状況を思い出したのか麗奈が嫌気をさした表情で言う。
「凄いですね、麗奈さん」
「そりゃあね、放っておけば良かったんだろうけど、何とかしなきゃ、子供たちに魔女なんていないって事教えてあげなきゃ、っていう自分の気持ちに嘘はつけなくてね」

「でも、わざわざ魔女を装って出て行かなくても良かったんじゃないですか? 」梨奈もうんうんと頷いている。
「甘いな、桜久くん。相手は子供だよ。インパクトがなきゃ言葉って伝わらないんだって」
「なるほど」
「でもさ、よく泣かなかったわね、子供たち」梨奈が少し心配そうな声で聞いた。
「半泣きだったわね。特に一番体の大きい男の子」
「可哀そう、トラウマにならなきゃいいけど」
「何言ってんの、教育をしてあげたの。ルールを守ろうね、って」
「確かに」と僕が唸れば、「でしょ」と言わんばかりに麗奈がウインクをしてきた。

「あ、でもね」と僕たち二人を見て、麗奈がまた語り出す。どうやら、話しには続きがあるようだ。
「その私たちの様子を、マンションの前で見ていた女性がいたの」
「それで? もしかして何か言われた? だって魔女の格好をしてたんだもんね、麗奈」梨奈が訊ねる。
「それがさ、その女性、『あなた、これね』と言ってきたの」そう言って右手の人差し指と親指でOKサインを作った。
「きっとあなたはそれでOKって言ってくれたんだと思うんだけど」麗奈がほほ笑む。

「励まされたんだね、その女性に」と梨奈が小さく笑った。
「多分ね。まぁ、マンションの魔女騒ぎは終わっても、未だ職場では同期に魔女だ、なんて言われたりするから蹴りを入れるけど」麗奈が笑った。
「今度さ、敢えて白を着てみなよ、職場に行く時も」と梨奈がアドバイスをした。
「えー、膨張色じゃん」と麗奈が言えば「そこ気にするかな」と梨奈が笑った。
 僕はどことなく、この魔女騒ぎの話に引っかかる何かを感じていた。それは、磁石のように点と点が音を立てて引っ付いていくような不思議な感覚だった。

 梨奈が「トップは白でボトムは紺で……」と言いながら、麗奈の採寸を手で測り、頭でコーディネートしている。麗奈はあまり興味がないらしく、首を回したりしている。すると「ん? 」と言って何かを見つけたのか、麗奈がテレビの横に歩いて行った。

 その麗奈の視線の先には写真があった。それは、先日桜を見ながらお弁当を食べた日に梨奈と一緒に撮ったものだった。そう、桜の花と青空の見事なコントラストを綺麗に映し出した写真。梨奈が携帯から画像をプリントアウトし、写真立てに入れたのだった。その横には桜の花びらが入った大切な小瓶がある。中に入っている海岸の砂のようなサラサラとした粉は、桜の花びらに絡み付いている。

「ねえ桜久くん」きっと写真の事を言うのだろう。
「さっきから聞こうと思っていたんだけど、桜久くんって本が好きなんだね」麗奈の口からでた言葉は予測したそれと違ったので、一瞬何の事を言っているのか分からなかった。  
 麗奈がくるりと体をこちらに反転させる。その手には、写真ではなく、卓上カレンダーが乗っていた。

「ほらここの十五日のところ。ここに『魔女嘘』って書いてある。これって、草野吉(くさのよし)の新刊だよね」
 僕は「えっ」と驚いて目を見張った。
「麗奈さん、『魔女嘘』をご存じなんですか? 」
「もちろん、知っているわよ。『魔女は嘘をつけない』でしょ。私さ、草野吉の小説が好きなのよ。この人の小説、水平思考というか、読む度に物事の前提をいつも覆されるっていうか。それに彼女も随所に禅師の言葉を散りばめているのよ」

 僕は麗奈の説明に少々面食らってしまった。それに「なぜそれを知っているのだろう」という疑念も浮かんだ。僕は自分の鞄からその本を取り出す。 「この主人公の葛藤に同情するのよね。自分を隠して生きた方が楽ってすごく共感できるから」麗奈が本に視線を向けながら言う。

「同感ですね。この話って一種の犯罪ミステリーじゃないですか。特にあの山に向かうシーンなんかジーンと来ましたから。魔女と言われた登場人物が空に向かって嗚咽するあの場面って、なんかこっちまで苦しくなりました。魔女はやっぱり嘘をつけなかったんです」麗奈は僕の話を黙って聞いていた。

「それから、『あの桜の木に私の一部を蒔いて』だなんて。僕、読んでいてパニックになりました」
「なんで桜久くんがパニックになるよ」麗奈が問いかける。僕は「そうですよね」と一笑した。
「ところでさ」と梨奈が僕が手からそっと本を取りあげ「草野吉って変わった名前だね」と言った。
「作家は大体ペンネームを使うの。所縁のある人や物、場所から名前をつけたりする事が多いように思うわ」

「草野吉……」梨奈が何度か呟く。
 一方の麗奈は……その梨奈の様子を見て、止まっていた。そして眉間に人差し指を突きつけて何かを考えている。まるで探偵気分に陥っているようだ。その時間は至極長く感じられたが実際には数秒の事だったと思う。
「ねぇ、桜久くんに聞きたい事があるんだけど……」
 麗奈が落ち着いた声で前置きをし、意を決したように言葉を紡いだ。

『どうして桜久くんが草野吉の遺灰を持っているの? 』 

 麗奈の視線は、写真立て横に置いてある、小さな小瓶に向けられていた。

後編につづく。

あとがき;魔女は嘘をつけない(前編)、いかがでしたでしょうか。 
ショートだと物足りなく、長編だと読み辛い、そこそこに考察を楽しめて、知識を得る事も出来る、
そんな小説を書きたいと思って書き始めたら、
このように仕上がりました。
ぜひ、お読みいただけましたら幸いです。
参考書籍:「禅 心の大掃除」(三笠書房)
      著 枡野俊明

再編日:2023年2月15日

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