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【エッセイ】甘さとほろ苦さのポジションこそ「友チョコ」だと思ふ。。。

 幼稚園のころ、バレンタインデーは日本の国家儀式だと私は思っていた。
 なぜなら、バレンタインデーの時期になると、お迎えに来た母親たちが小さなチョコをみんなに配り回っていたからだ。

 配ってはもらって。配ってはもらって。
 それらが毎年の通過儀礼のように見えた。
 だから私は、2月14日こそチョコを配り回らないといけない日、だと思い込んでいた。

 でも小学生になり、バレンタインデーが近づいた頃、それが間違いだと知った。
 別にチョコを配りまくらなくてもいい、と知ったのだ。

 それは、クラスの女の子たちが好きな男の子限定でチョコを渡す話を始めたからだった。
 そして、仲の良かった恵子ちゃんが「わたしは山下君にホンメイチョコをあげるわ」と言い出した。

 その際に、ホンメイ以外のチョコは「ギリ」と呼ばれる事も初めて知った。
 私は一人っ子だったので、そういう情報にはいつも出遅れていた。

 その点、恵子ちゃんはトレンドに敏感だった。それは、五歳上のお姉ちゃんがいたからだったと思う。
 ただ、私には疑問が残った。
 どうして男の子だけにあげるのか。どうしてホンメイとギリに分かれるのか。そしてどうして2月14日なのか。

 とはいえ、一つだけ早々に解決したことがあった。
 夕飯を食べていた時、偶然チョコレートのCMが目に飛び込んできた。「バレンタインデー♪」と謳いながら。

「どうして2月14日がバレンタインデーなん? 」と目の前で新聞を読んでいた父に反射的に問うた。

 すると「お菓子の会社がお菓子を売りたくて勝手決めた日なんや」と返ってきた。
 小さな私に分かりやすいように「お菓子の会社」と可愛い表現をしながらも、後半は父の私情をまるっと飲み込んだものであったことに今更ながら苦笑する。

 そこから十年ほど経ったころには既に本命チョコと義理チョコ以外に「友チョコ」も加わっていた。
 私はこの「友チョコ」のポジションが好きだった。

 恋は成就するまでが楽しい。
 この期間を楽しませてくれるのが、この友チョコのポジションだと思っていた。

 時を経て十九歳になった私は、学校の合間を縫ってカフェでアルバイトをしていた。
 そしてやって来たバレンタインデー。
 その日はスタッフメンバーが少なく、通常は最低でも五人で午前の時間帯を回さないといけないところを、私含めた三人で回すしかなかった。
 ただ他の二人が、私が憧れるメンズ先輩という事に救われた。

 そして私は一つのことを試みた。
「お疲れ様です。今日は一緒に頑張りましょうね」とだけ書いて、休憩室のテーブルの上に先輩の名前を書いて二人分のチョコを置いてみたのだ。

 下心なんてない。ただ私はこの忙しいシフトを労いたかった。
 いや、嘘だ。本音を言えばミラクルを期待していた。

 いよいよ先輩が交代で休憩室に向かう時間となった時、自分の胸の鼓動が鳴り止まなくなった。

 それまではルンルンでいたのに急に自分のした事に恥ずかしくなって「先輩よ戻ってくるな」とレジカウンターの中心で後悔を叫んだこと二十分。。。。

「お疲れ様です」と声のする方を見れば、休憩室から出て来た先輩の姿があった。
 そして表情をチラ見すると…笑っていない。

「あ、終わったな」と、私の脳内にカーンと終了のゴングが鳴り響いた。
 すると先輩が再び「お疲れ様」と言ってこちらをチラリ。

「あれさ、うれしかったわ」

 え、今何て言いました? 
 思わぬ一言にグサリ。

 もう一人の先輩も「あれ、良かったわ」とニコリ。

「惚れてまうやろー」と当時まだなかったフレーズを心で叫んだか否かは別にして、その日の接客は最高中の最高に満点だったのではないかと今思う。

 そしてその憧れは恋へと成就する事もなく。。。。
 結局、友チョコのポジションに甘えて夢を見させてもらっていた、いやそれで満足だった。

 だって当時の私にとって、恋は成就するまでが楽しかったから。

 バレンタインデーは、いつの日か父が言った「お菓子の会社が勝手に決めた日」かも知れないけど、在りし日の自分は結構そのイベントを楽しませてもらっていたな、と日本から届いたチョコのお菓子に、甘くてほろ苦い遠い日の記憶を重ねている今日の昼下がり。。。

 Happy Valentine♡

しゃろん;

実際の経験談です。
名前は仮名ですが、正直なところ名前の記憶が曖昧でした 笑
皆さまにとって素敵な一日となりますように。
そしてチョコには、愛や恋や幸のチカラが宿りますように。。。

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