見出し画像

エンゼルケアの時、看護師の宗教観は?


これは同僚とも話すことなく
これまで言語化したことがなかったこと


看護師だって自分の宗教観がある。


日本では少数派なのかもしれないが
私はそうだ

その中で感じたことを書いてみようと思う


合掌


医者の死亡確認が行われた後、
看護師はエンゼルケアに入る

私は1年目の頃にこのエンゼルケアを先輩に教わったのだが
その時「私の真似をして。」と言われた。

先輩は部屋に入り、まず最初に
ご遺体に手を合わせ、合掌した

私は初めて担当患者が
亡くなったというショックもあって
あまり深く考えず
同じように遺体に向かって合掌した

その後も患者さんが亡くなるたび
スタッフはみんな当たり前のように合掌するのだが
私はだんだんそれに違和感を覚えるようになった



私は亡くなった瞬間に
その方はここに居ないと考えている
体だけがそこに残っていると思っている

だからこの合掌に対して
たとえ形式だけでも結構きついものがあった

清拭

亡くなられた方の体を綺麗にするため
綺麗な浴衣へ衣服を交換し、交換時に体を拭く。
「Aさん、横向きしますねえ。」
と先輩は亡くなった方に向かって声をかける
私も声をかけなければならないのだと思い
「袖通しますね。」と言ってしまった。


それはある意味では、看護師らしい、
人間の尊厳を慮った行為なのかもしれないが
私にはこれも違和感があった。

そこには居ないのに、まだ声をかけるの?
という疑問が私の頭の中を回っていた。
優しく話しかける先輩の行為もよく理解できたのだが
やっぱり違和感が残った。


末期の水

「口みず、用意した?」
全く何のことかわからないでいたら
先輩が「お盆に水とガーゼを乗せて
ベッドサイドに置いて」という。

調べてみたところ「末期の水」ともいうらしい、それは
亡くなった方の口を濡らすために、家族が使うのだという。

「旅立った後に乾きや飢えで苦しまず、気持ち良くあの世へ行ってもらいたい」という遺族の思いを叶えるためにおこなわれる。
だそうだが
これは完全に私の中には無い考え方である。


私の中でこれを用意することに
ザワザワする気持ちがあった。

これはもうエンゼルケアの業務の中に含まれていて
毎回これを用意しなければいけなかったが
正直嫌だった。

看護師の宗教観

患者さんに対して、その人の宗教観を重んじるように。
と看護学校では習う
「看護師の倫理綱領」にも書いてある。

同じように看護師にだって宗教観があってもおかしくないのだが
看護師の宗教観はあまり重んじられていない気がする。

手を合わせることも
声をかけることも
末期の水を準備することも

「礼儀なのよ。」
と言われるかもしれないが
それはその人の考えだと私は思う。

私は礼儀よりも信じているものが上だと思う。

「家族やその人に対する慈しみだったり、故人の死を悲しむ家族に寄り添う行為として、宗教観とかでは無くやっている。」
ということもよくわかる。
しかし、これだって他の方法で表現することもできるし、
そこは自由で良いと思う。

考えること

私はこれらの行為に対して
自分は「やらない」という選択をした。

手を合わせることはしないけれども
家族がいれば労いの声をかけること、
その悲しみを共有すること、
患者さんに対しては愛を持ってその人に思いを馳せること
ご遺体は丁寧に綺麗にすることを心がけている。

末期の水に関しては病院を変わったら
無くなったのでホッとした。



特に死というものに対する時
「宗教観が大きく影響する」ということは
必要な認識なのではないかと思う。


病院側が「末期の水」を準備するという
宗教的思想に基づいたものを
用意するということも
「必要ない」と考えている。



死というものに向き合う病院という現場で
宗教観と日々の業務について
考えてみることは必要なのだと思った。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?