見出し画像

新宿▶︎横浜の帰宅録

筆が乗るような不幸が、私に訪れると、Slackは静けさを纏い、noteの更新通知だけが増えるタイプの女の備忘録(校閲修正してない🥺)
電車乗りながら殴り書きがシリーズ化できそうです。
メンバーシップにいるお友達は勿論タダで読めますよ。(高校生には無料配布してますので、インスタでお声がけください)


MONOPOLYを聞いたぐらいで。

生理前なのか知らないが、不必要に感傷的になって涙腺が力む感覚が、本当に億劫だ。目を細めて、上を向いて、マスカラには滲まない角度で自然発生的に溢れてくる水分を処理する方法をそろそろ学ぶ必要がある。そういう専門学校も、どこぞの情報商材屋が開業してくれればいいのに。

目尻の筋肉の収縮を感じながら、酸味に似た鼻への生理的な嫌悪感を受け流し、平気な顔で車内に居座る。加えて、朝から5度の今日の風は最悪だ。何度書いたかわからない「頬を冷たい風がさす感覚」とやらに、私の厚塗りのファンデーションによって貼られた表皮の膜は打ち負けそうである。本当だったら8分後に乗り換えて湘南新宿ラインで乗り継ぎを最小限にして帰る予定だったのに、今の私は自分がその8分間の間さえマトモな精神状態にいられる自信がない。人工的で、異様に温かい準急の座席のヒーターで、仮想的にも温もりと安心を摂取しないと、凍死しそうだった。仕方なくYahooで再検索して急いで2分後にくる横須賀線に乗った。こんなにもYahooのUIの良さに感謝したことはない。こういう時のための、利便性である。

居ても立っても居られずに、急いでPCを取り出し、データ共有する時間すら惜しいと思い、メモ帳を開いた。極度のASDとADHDで、触覚に関する異常な拘りがあり、お気に入りのPC以外ではタイピングする気にもなれない。
どれだけ書くべき感情が昂っても、スマホには書けない。このPCをタイピングする音と、爪に伝わる若干体温よりは冷たい感触が、私が言葉を搾り出すにはぜったいに必要で。

ああもう大崎だ、新宿から12分しかたっていない。ここまで何文字だろう、後でカウントしてみよう。筆が乗るってこういうことか、と久しぶりに思い出した。それは、同時に幸福について私はやっぱり書けず、憂いや鬱屈や号哭、悔恨、哀愁しか、文字にできないことも意味する。それよりも誰かに真っ先に伝えたい温かく、安堵と心臓の体感温度の昂揚を教えてくれる美しい感情を沢山知ったのに、知ったばかりなのに、それらを言葉にすると、まあ陳腐で、そこらへんの学生起業家崩れがツイッターで発信している大衆向けの好感度マーケティングの施策にも満たない安い言葉になってしまう。

私は、愛情を、美しく書けないのか。まだ、書けないのか。
やっと、重苦しい復讐じみた感情以外に、人を愛し、奉仕することを知ったのに。もったいない。こういう躁鬱に似た状態に陥った私が聞く曲は、いつも乃木坂46と決まっている。今日は偶々それが新曲の『MONOPOLY』だった。

繭期的偽造恋愛

高校3年生の夏までの私の居住地こと、6 Drysdale Closeにつくまでの道なりには、Forget-me-not Laneというおとぎの国の地図にでも記されていそうな路地がある。良くわからないけれど海外の街並みを“映える”と適当に知覚し、ひけらかしたがる当時の私は、ここぞとばかりに写真を撮りそうだが、その隙もなく路地を抜け、Richmond Roadを歩いて、欧米的なロータリーを迂回する。「全部夢の中」を聞きながら、道なりにただ進んで、高台の上にある自宅までの坂を登った。

自分は醜い馬鹿で無力な女だと噛み締めながら、海外の冬の路地裏を歩き、哀愁に浸るには、感情の乗らない乃木坂の“若干通な”カップリング曲はちょうど良いBGMだ。今でも同曲が再生される度に想起するのは、冬のForget-me-not Lane。少女純潔歌劇LILIUMを見たばかりの当時の私には、タイムリーすぎる名称で、余計に誰かに共有する気を失せさせた。(私は、後から新約になって浜浦ちゃんがあやちょの代わりにスノーになっていたと最近知った懐古厨のハロオタである。もっともお気に入りは太陽とシスコムーンという昭和ハロの亡霊なわけだが、、)

秋元康よりつんく派の私には、乃木坂の曲を歌う機会も、聴く機会も、私にとっては限定的だ。おおよそ、「意外BREAK」を嫌いな男の前で歌い、“あんな男別れたぐらいで”とオチサビの歌詞に自身の強権性を代弁させるか、勝気な女であるという滑稽なセルフブランディングの投影として、同曲の本人映像のMVを利用する以外には用途がない。ことさら、正直、失恋ソング以外は聞く気になれないからだ。七頭身で小顔の美女が、弱者男性の恋心を勝ち取るために歌う曲に生憎興味は湧かない。そして、美人の歌う“幸せ”とやらには、もっと共感できない。不幸そうな女が歌う不幸を世間は好むんじゃないのか。幸の薄く、クラスで4番目ぐらいに美麗な女の行き着く場所は、いつしかテレビの中と失恋ソング界隈から、歌舞伎町と新大久保に移り変わった。皮肉なことに、可愛い女は昔よりも飽和している。眉目秀麗がスタンダート、ヒアルロン酸とボトックスはみんなの御用達。しかし、美容医療の原価も知らずに“あるべき美”を求め、求めることを強要される女たちで溢れたこの世界でも、「意外BREAK」はやっぱり輝く。だって、“男なんか”と歌う女が、カラオケボックスで一人で泣くとか、写真を見返すとか、そういうつまらない“男の欲望”を体現した描写(別れた女とわんちゃんあると思っている多くの勘違いのメタファーを私は毛嫌いしている)を有する曲ばかりの界隈に颯爽と現れ、“私は一人で車に乗る”と歌っている。そんな曲を「セーラー服を脱がさないで」と過去に書いた男が言っているのだ。時代の変化を感じるとともに、そういう歌詞を書かせた乃木坂46に恐れ、跪きたい。

新宿から帰路につく私が、一人。Airpods Max越しで聴く音楽に対して、瞬間的に張り巡らせる思考はこのようなもので。

相当に捻くれていて、一貫性を欠いていることだけは、私でも分かる。でも、そういう乱気流みたいな感情を、恋かもしれないと定義づけて、揶揄ってみる瞬間が一番楽しい。この最低な性分を変える気は、当分ない。

end.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?