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脆いオタクの生まれ方(かいしゃくこわい)-2023年7月23日

・ 情熱大陸を観た。FF16プロデューサー・吉田さんの回。

・自分は、吉田さんのことは16関連でしか知らないんだけど、生放送とかインタビューで見た印象そのままだなと思った。徹底的なこだわりと、ゲーム開発への愛と情熱。そして茶目っ気。

・ただ、以外な点もあった。それは、「自分はただの臆病」だと言っていたこと。

・私は彼のことを、負けず嫌いだと思っていた。近年の作品が期待に応えられていないということを真摯に受け止め、そこに立ち向かっていこうとする姿勢や、生放送で投げかけられたネガティブなコメントに対して食い気味に反応する姿から、そういう印象を受けた。

・しかしそれらも、突き詰めれば臆病さの裏返しと言えるのかもなあ。

・番組の中で、吉田さんがFF16に対するSNSの反応をチェックしているシーンがあった。主にネガティブな反応がクローズアップされていて、彼自身への誹謗中傷も多いという。

・しんどいよなあ、本当に。人気の裏返しとはいえ、知らん人たちに名指しで攻撃されたり、命を懸けて作ったものをボコスカ言われたりするのはまさに「うんざり」だろう。ただのファンでしかない私ですら、観ていて気分が悪くなるのだから。

・自分が必要以上に脆いオタクであるということもあるが。


・私は、自分が好きなものに対する他人の評価や反応を見るのが嫌いだ。好意的・批判的問わず。

・その理由は、まさにFFにある。

・小学生のころ、私はFF10を遊んでいた。当時の私には難しくて、ネットで攻略情報を調べようとしていた。「ファイナルファンタジー10 攻略」みたいな検索ワードを打ち込んで、求める情報を探していたところ。

・私は生まれて初めて、自分が好きなものに対する誹謗中傷の言葉を目にした。それもかなりの数の。

・幼心に大きなショックを覚えると同時に、自分が好きなものが必ずしも他人に好かれるわけではないという、至極当然の事実を知った。

・そうして、他人の評価や反応を忌避する脆いオタクが生まれることになった。

・自分が好きなもの=自分を形作るもの=自分の一部という感覚があるので、他人の意見に必要以上に打ちのめされるのかもしれない。好きなものを否定されると、自分自身を否定されたような気分になるのだ。

・だから、好きなものについては公式からの情報以外は目に入れないようにしている。絶賛の意見や素敵な二次創作なんかがあるのも知ってはいるけど、それらを知って幸せになる可能性よりも傷つくリスクのほうが高いと感じてしまう。

・それと、他人の解釈を目にすることに対する恐れもある。自分にとって都合のいい解釈を「素晴らしい解釈!」と思ってしまうことへの後ろ暗さ。これでは自分が好きなものに批判を浴びせている人と同じではないのか?

・また、自分の解釈と他人の解釈の境目があやふやになってしまうことへの危惧も感じる。他人の解釈を目にしているうちに、自分も同じ解釈をしていて共感しているのか、それとも他人の解釈を見て自分もそう思うようになったのかがわからなくなってしまう。本当は、自分は意見も解釈も持っていなくて、ただ他人が言っているから自分もそう思っている気がしているだけなのではないかと。

・面倒くさいな。自分の好きに、思っていることに、自信がない。結局のところ、そういうことだ。だから解釈も揺らいで、他人に左右される。他人の考えが絶対で、正しいのではないかと錯覚してしまう。これこそ「臆病」だろう。

・これをはねのけるには、考えて考えて、自分の考察・解釈をこれ以上ないところまで突き詰めるしかない。自分を納得させられるのは自分だけだ。


・他人の解釈は、自分の魂を愛撫するためにあるのではない。



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