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相手のため・・・

人に喜んでもらいたい
他者の期待に応えたい
人の役に立てる価値ある人でありたい

誰もが少しは思う事だろう

人の役に立てる人 = 価値ある人

こんな風に思えてしまう・・・

相手の期待に応えている→喜ばれている/貢献できている
→役に立っている→価値があること

仕事の場でも
相手の期待を超えるサービスを!仕事を!
などと目標に掲げられている事も多い

期待に応えられる
そりゃ
応えられるものなら応えたい

でも

相手の期待は相手次第だから
とてもむずかしい

仕事の場合のようにその期待が
定量的な数値等に表されていると
目安が分かる

でも人間関係において
基準のつかめない相手の期待に応える
ってむずかしいのだ

なのに、期待に応えたい
と思ってしまう

そして
疲れてしまう

期待って何だろう・・・・

相手を喜ばせようと頑張っているのに
相手は気が付かなかったり
やろうとしている事を邪魔されたり

私はこんなに貴方の為に頑張ってるのに!
どうして!?

って
悲しくなったり
腹立たしくなったり

とても疲れる

そんな時は少し相手から目を離して
自分に目を向けてみる

相手の期待に応えたいと
頑張っているはずなのに
ただただ、疲れを感じたら

それは
相手を喜ばせるための行為
自分を喜ばせるための行為になっているかもしれない

その頑張り
相手が喜ぶことなのだろうか・・・

〇〇できれば役に立つだろう
■■してあげれば喜ぶだろう

それって
自分のこだわりだったり
独りよがりの思い込みかも知れない

相手に喜んでもらうより
役に立ってる「自分」
が大事になっているのかもしれない

そこに相手は居なくて、相手をみていなくて
自分としての「理想」「期待」をみているだけかも知れない

相手の為のはずなのに
していて「幸せ」を感じない行為
がんばっていても「喜び」を感じない行為
なら

それは相手を喜ばせたいという
本来の想いではなく
自分が作り上げた理想や思い込みを実現する為の
行為かもしれない

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