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事始め

何か始めようとすると、まず他の人はどんな風にやっているんだろうかとか、どのプラットホームがいいんだろうかとか調べる。で、大抵が調べてお腹いっぱいになってしまって、終わる。で、またやろうかな。って波がやってくるんだけど、また調べて終わる。そんなことを繰り返してきた。

そんなことやらずに、ぱぱっと始めてしまった方がいいってことは、頭ではわかっているけど、それでも調べちゃって、進まない。

それが何だか良くないことのように思っていたけど、それでいいのだ。と肯定してみることにした。

そこを超えて前に進む時がちゃんとやってくる。今みたいに。

文章を綴ることをやりたいと思ってかれこれ何年?結構経っている。絵を描くことよりもやりたい氣持ちはある。それって、インプットが左脳だからかもしれない。文章読むのが好きだから、自分も文章で表現したい。みたいな氣持ちになるのかも。がしかし、アウトプットは右脳っていうチグハグ感。文章組み立てようとすると、左脳を使うので結局上手く表現できずに挫折する。そんなんを繰り返してきた。だから、考えることなく、浮かんでくるままに打ち込むスタイルがわたしには向いていると思うのだけど、こうして打ち込んでいるとどうも、堅くなってくるのよね。堅苦しい文章は面白くない。面白い文章を書きたい。けど、”面白い”ってどういう文章?わたしがおもしろいって思う文章。かんそうさんの文章はおもしろい。よね。坂爪さんも面白い。あと、フヅクエの阿久津さんの文章も。だいたいが無駄なんじゃなかろうかってことも含めた心の声を細かく拾っている文章が面白いと思っている氣がする。辻さんの文章は、スッキリまとまっている感じがする。ばななさんは、人間味が溢れる正直な感じを感じる。そう。そういうのも好き。それもおもしろいと感じるポイントだ。わたしが言うところのおもしろいって、笑えるってことじゃないからね。面白いってのは、興味深いって表現の方が近い。わたしは面白い人生を生きたい。自分が面白いと思える人生。ってことは?わたしの人生どうなっちゃうんだろう?と興味津々で観ていたってことなのかな。のわりに臆病だから、冒険は好きなのに、恐れが優って冒険できずに立ち往生。みたいなのが、何でも調べないと始められない性なのかもしれない。

段落も改行も考えずに、浮かんでくるままに打ち込んでいるとスラスラと言葉が出てくる。段落やら改行やらが、左脳処理なのかもね。だからとりあえず、そこは考えずに、そう、考えないとできないのよ。改行って。こんな風に途中で出てくるままに打ち込んで脱線してしまうと読んでる側は、なんのこっちゃい?ってなりそうな氣がしてしまう。が、それもひとまず氣にせず、進めてみよう。それを氣にして手が止まってしまうくらいなら、何も考えずに書き出してみることの方が、上達する氣がするから。

と言うわけで、浮かんでくるままに打ち込むスタイルでまた始めてみようと思う。文章で表現することを。

1000文字は案外簡単に超えんるんだね。

さて、どうなることやら。

読みにくいかもしれないけど、よろしくどうぞ。


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