一人で出産、ワンオペ育児の始まり〜マイストーリー②

長男誕生!しかし旦那はいません。

中国に電話をして出産を報告。

中国に帰った次の日に生まれてビックリしていた様子。

当時の社長の計らいで、「初めての子だから」と言って10日休暇をいただいた。

妊娠期間をあまり知らず、旦那からしたら急に出てきた赤ちゃんに愛情は湧くのか!?

赤ちゃんとのはじめての対面は、「無」。

とくに喜んでいる風にも見れず、よそよそしい感じ。

「抱っこする?」と聞いても「いや、いいわ」と断れたのを12年経った今でも覚えてる嫁。笑笑

なんでやねん!?

旦那が帰国している時間は長男と一緒に過ごす、親子にとってめちゃくちゃ貴重な時間。

でも、旦那は自分の実家に帰ってお兄さんの引っ越しの手伝いをしたり、中々病院に戻らず。

赤ちゃんのお風呂の練習にも間に合わず、1人で看護師さんと練習したのを覚えている。

産後だし、10日しかない親子の貴重な時間は私しか感じていないんだなぁとベッドで赤ちゃんを抱きながら号泣した。

旦那が病院に戻り息子とご対面。

やっと、親子の時間〜と思ったら引っ越しの手伝いでギックリ腰になって帰ってきた💦

腰が痛いと言って赤ちゃん抱けず、、、。

退院して、私の実家へ。

旦那が中国へ帰るまで、2日間しかなかった。

たくさん、たくさん抱っこしてほしかった。

写真もたくさん撮った。

次はいつ会えるかな?

転勤族の悩みで帯同するか単身かはすごく悩む。

どちらを選んでも違った大変さがある。

私たちが中国に赤ちゃんを連れていかなかったのは、旦那が中国に住んで、「ここで子育てはしたくない」と言ったから。

文化の違い、マナーの違い。

三つ子の魂百までとあるように、信号無視や唾をどこでも吐くなど、見て育てたくないと言ったから。

10日の休暇を終え、いよいよ旦那は異国へ戻り、私は1人で育てる道が始まった。

産後はしばらく実家で過ごそうと思っていた。

社宅に帰っても友達もいないし、一人で子育ては不安だ。

出産して3ヶ月経った頃、夫から連絡があった。

なんと社宅の役人の婦人部に抽選で当たったらしい・・・。

辞退の選択肢はないらしく婦人部は毎週日曜日に社宅内の清掃があるので、

赤ちゃんを連れて社宅に帰ることになり、私の完全ワンオペ育児が始まった。

社宅の役員に選ばれて最悪だと思ったが、これをきっかけに私の存在を知る人が増えた。

社宅で一年寂しく暮らしていたが、息子の同級生がいると判明しママ友ができた。

なんでも話せる友達ができて、私の生活は一気に楽しくなった。

母子生活の寂しさも紛れた。

子育てで悩みがあっても、夫不在で寂しい想いをしていても、昼間に大笑いしたり、ママ友と喋ったりすることで、乗り越えられる。

この経験の原点が、人と人の繋がりが大切だって伝えたいって今の活動につながるんだと思う。

私のワンオペ育児は5年半続いた。

その間に二人の子供を授かった。

よく離れているのになぜ❓と言われるが夫に激似の息子たちは正真正銘の夫の子供だ。笑

5年半のワンオペ育児の経験は私を強くした。

もし、子供がバカに育ったら私のせいだし、わがままに育っても私のせい。

病気になったら私のせい。

今から思うと「ちゃんと育てなきゃ」があったかもしれない。

とにかく、私はもっとがんばらなきゃ。甘えられない自分を作ってしまった。

子供が病気のときは大変だった。

二人が順番に嘔吐し、始末に追われ、洗濯に追われ、順番に抱っこし、クタクタだった。

買い物にも行けないし、夫もいない。

でもママ友が買い物に行ってくれたり、ご飯の差し入れを持ってきてくれたり。

とにかく人に助けられた5年半だった。ありがたい。。。

そして帰任。夢見ていた普通の暮らし。

家族4人の生活が始まった。

ラスト③に続く。

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