医療経営コンサルから病院に入職した4年間をつらつらと振り返る
明けましておめでとうございます(遅い)
早いもので、病院に入職して4年という月日が経ちました。
自分には何ができているだろう。自分は何が変わっただろう。
思い返せば、自分の未熟さにトホホと思うことばかりだったきもしますが、せっかくなので、この4年間を振り返りつつ、つらつらと書いてみたいと思います。
自分自身について
お前誰やねんって感じだと思うので、まずは簡単に自己紹介をします。
いや、させてください。
病院で何をやっているのか
肩書きは地域医療部副部長、人事課長、経営企画室室長です。いわゆるHRBP的な立ち位置です。肩書きが若干強めなのが気になりますが、まぁ肩書きがないとできないこともあるよなと自分を言い聞かせています。
業務内容は人事業務全般、経営企画業務全般、在宅領域業務全般を行っています。小さい病院なので正直何でも屋みたいな形になりがちです。
なぜ病院に入職をしようと思ったのか
大きく2つ理由があります。一つ目の理由は、医療系人材紹介、経営コンサルティングの経験を経て、医療機関で起きている問題の多くは、ヒトの問題であると感じたからです。この課題の一つの仮説として、病院の人事が機能していない、もしくは人事がないことが原因だと思っています。だからこそ、自分自身で人事部門を一から立上げ、人事から病院という組織を良くしていくアプローチしていきたいと思いました。
というのは表向きの理由で、コンサル時代に自分が発していた言葉にどこか軽さを感じていたからというのが正直なところです。世の中にいる多くのコンサルタントもそう思っている人は多いんじゃないかな。「理解する」と「できる」と「やっている」の間には大きな壁があります。その差分を現場で埋めていくことで、自分の言葉に重みを付けたいと思いました。
なぜ今の病院を選んだのか
当時は事業承継をした直後で、組織を1から作っていくフェーズでした。組織の代表、院長ともに懐広く、裁量権を持って自由に色々とやらせてもらえる環境であったことが一番の理由です。僕は得意と苦手がはっきりしているので、懐の深いお2人のおかげで本当に助かりました。
病院という特殊な環境。やっぱり組織づくりは難しい
4年間を振り返ると、「色々やったな」とほめてあげたい自分よりも、「もっとこうしたらよかった」と反省する自分の方が多いです。
特に、組織づくりにおいては、コンサル時代に描いていた物とは程遠く、現場運用の難しさを痛感しました。コンサル時代に偉そうに語っていた自分をグーパンしてやりたいです。
総じて、病院という環境の面白さと面倒くささを身にしみて感じました。これまで大手企業、メガベンチャー、スタートアップを渡り歩いてきましたが、そのどことも違う独特な文化があります。
最初は単純に遅れている業界なんだと、正直少し馬鹿にしていました。もちろん遅れている部分もたくさんありますが、それ以上に病院の独自の文化がある様に思います。そして、その独自の文化を理解しないままでは現場からの共感は得られないなとも感じました。
専門職としての誇り
命を扱う失敗できない環境
答えがないことの探求
それらが良い方にも悪い方にも働き、独自の文化ができているように思います。
そこでは論理的アプローチだけでは上手くいきませんし、自分のこれまでの当たり前が通用しないことが多々ありました。
「加納さん。病院は企業じゃないんです」と職員から何度言われたことでしょうか。
「いや、企業じゃなくても同じ組織でしょうよ。ダメなものはだめよ」と幾度となく話し合いつつも、少しずつ自分の思考を病院文化にチューニングさせていったように思います。これが良いのか悪いのかはわかりません。
「組織づくりに正解はない」
僕は転職回数が多いので、組織に馴染むのが比較的得意な方です。自分のこれまでのやり方と組織のやり方の振り子が何度も行き来して、その中でその組織における自分のスタイルを探していく
一番怖いのは、他者の顔色を伺い、何もアクションせず、振り子が一方にとどまり、もう片方に触れなくなることです。
組織改革と自己防衛と
入職後1-2年目は組織の立上げ、崩壊、変革を経験し、目まぐるしく日々が過ぎていきました。
自分自身が精神的に追い込まれることも多々ありました。そこでは自分自身のメンタルを保つために、自分の気持ちに蓋をしました。「自分が間違っているかもしれない」と自分を一度疑ってしまうと、心が折れてしまい、足が止まってしまいそうな気がしたんです。
何かを変えるには厳しい決断が必要で、誰かの反対意見を聞いて、迷っているようでは前に進むことができません。反対が多い中でも、自分は間違っていないと自分にはっぽをかけながら、突き進みました。
その時に、ある人から「加納さんはきれいな川を作りたいんだね。でも、きれいな川だと住めない魚もいるよ」と言われました。
その言葉に胸がちくっとしました。「そうだよ。綺麗な川を作ろうとして何が悪い」とも思いましたが、それよりも僕は自分が傷つくのを恐れて、自分の行動を正当化したかっただけなのかもしれないなと感じました。自己防衛本能ですね。
その後の経験で、人や組織は淀み(グラデーション)の中で生きていることを知りました。良い悪いの単純な2項対立では説明できないものや価値観がたくさんあること、今ではとても良く分かります。
当時の自分はその淀み(グラデーション)を許容できませんでした。結果として、それがエネルギーとなり様々な改革を進めましたが、もっと良いやり方はきっとあったはずだと、振り返えると、自分の未熟さと器の小ささに土下座をしたくなります。
剛のアプローチと柔のアプローチ
入職して3年目は組織が比較的安定したこともあり、自分自身が現場に関わることが減りました。これまでの経験から、組織開発には剛のアプローチに加えて、対話による柔のアプローチも必要だと感じるようになりました。そこでコーチングとシステムコーチングを学びに行くことを決めました。
問題解決思考だけでは解決しえない問題、フィードバックだけでは届かない声がたくさんあることに気づいたからです。
そこから約2年間かけて、コーチングとシステムコーチングの全てのコースを修了しました。お金は吹き飛びましたが、自分にとっては非常に大きな気づきの機会でした。
そこでは、「自分がこれまでいかに人の話を聞けていなかったか」ということに気づかされました。
コンサルの経験からか、人の話を聞く際に、「つまりこの人は何がいいたんだろう」と、頭の中で話を解釈するクセが知らないうちについていました。
「話している相手がどんな表情をしているか」
「どんな声で話しているか」なんて、気にしたこともありませんでした。
コーチングを学んで、自分のこれまでの偏った傾聴スタイルに愕然としました。
「頭で思っていることと心で思っていることは全然違う」
本当に思っていることを話してもらうことがどれだけ難しいか。
そうなんですよ。人は自然と変わっていくんですよ。
変わることを強要されて、変わるわけではないんです。
変容が起きるのを待つんです(ドヤッ)
自分がこれまで行ってきたアプローチの危うさに気づかされました。
当時の僕は仏みたいな顔をしていた気がします。
上手くこなす自分への違和感
コーチングとシステムコーチングを学んでからは、それまでとアプローチ方法が大きく変わりました。一方的に自分の意見を主張することも減り、物事が比較的上手く進む様になったと思います。
ここ数年の学びや経験でいい感じに大人になっていると感じます。ここでいう大人とは、判断基準(物差し)が複数あることを指します。
まずは相手の話を聞ききること。対話をすることを徹底的に心掛けました。
一方で、最近の自分はどこか置きにいっているようにも思います。昔のようなエネルギーがなく、どこか安全策を探している自分がいるように感じるからです。
・ただこなすだけになっていないか
・自分が傷つかないように安全地帯から話しているだけではないか
・本質的な課題から目を背けていないか
「それでいいのか」とリトル加納が問いかけてきます。
冷静と情熱の間で
組織を良くしたいと、幼くもガムシャラに頑張った2年間。真正面にぶつかるだけではだめだと気づいて、大人になってアプローチを変えた2年間。
どちらのアプローチも間違っていないし、どちらも自分自身です。
でも、これまでの経験上、痛いほどわかっていることは、組織を変化させていくのは、いつだってめんどくさいぐらいの熱量だということです。
色々経験をして、失敗して人は大人になっていきます。その大人になる過程で、上手くこなすことを覚えてしまい、熱を帯びれなくなっていきます。そういう人が増えていくと、組織は変われなくなってしまいます。
だからこそ、組織開発には面倒くさいぐらいの熱量とどこか一歩引いた冷静な自分の両方が必要だと思うんです。
堀江さんが小利口が一番だめだと言ってましたが、自分の胸に突き刺さると同時に、とてもよく解るなとも思いました。
自分自身と組織人としての自分の葛藤
コーチングを学んでから、自分自身の気持ちと組織人としての役割を全うする自分の気持ちに乖離が生まれることが多くなりました。
組織である程度の役職につくと、「自分としてはこうしてあげたい」でも「組織の今の状態ではそれができない」という場面に多々遭遇するからです。
この乖離に苦しむ人は本当に多いように思います。
もちろんどちらも自分自身であり、良い悪いではありません。全体性の話な訳ですが、それを小利口っぽく頭で理解するよりも、たくさん葛藤することにこそ価値がある様に思います。
いくつかの仮面をかぶったり、外したりする過程でたくさんの葛藤がうまれます。
相反する感情の葛藤との末、自分の在り方を見つけていく。それがスタンスに変わっていく。これが成人発達理論で言うところの垂直的成長に近い様に感じます。
これは決して、上手くこなすことと同義ではないように思います。
プロセス(過程)は大事。でも結果も大事。
人材紹介、医療経営コンサル、病院での経験を踏まえて、酸いも甘いも知ったと呼べるほどの経験値はまだないですが、その経験の中では誰よりも葛藤をしてきた自信があります。反省する素直さを持ち続けて生きていきたいですね(キリッ)
その中で自分自身の在り方(スタンス)をずっと問いながら生きています。
PIVOTの佐々木さんがyoutube社長改造の中で、「自分が思う良いリーダーとは勝つリーダーだ」とはっきり言いきっていました。
正直めちゃくちゃかっこいいと思いました。僕にはここまで言い切れる強さはないので。一方で、「結果よりも過程が何よりも大事だ。仲間を信じて結果を手放す」と言えるほど、器の大きい人でもありません。様は中途半端なわけです。
過程が大事だという今の自分の言葉が「結果を追求しきれない自分への言い訳ではないか」に感じ、どこか薄っぺらさを感じます。
何度も思考を繰り返したけど、やっぱり僕はコミットできる人でありたい。
多少面倒くさいと思われても熱を帯びた人で自分はありたいと思う。
結果と過程(プロセス)の両方と逃げずに向き合っていける人でありたいと思う。結果にコミットしないサーバントリーダーシップは簡単だから。
その過程で生まれる葛藤の先に、「優しさ」があると信じています。
今を許すことだけが優しさじゃないですから。
結局、何が書きたいかよくわからなくなってしまった。
でも一つだけ言えることは、2024年はまた思考マッチョな年になりそうだということです(笑)
2024年もよろしくお願いいたします
(ばいばい)
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