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「頑張らないといけない」という罠

 私が最近捨てたもの。「頑張る」ということを今のうちに言葉で残しておきたいと思ったので、ここに吐いていく。

 「頑張る」を身につけたのは、新卒の頃だった。学生をやっている時にはあまり何も考えていない生活を送っていた。就職と同時に一人暮らしを始めたこともあり、全ての新たなスタートであった。仕事や生活において新しいことばかりでついていくのも精一杯だったため、慌ただしい記憶しかない程だ。新しいことは大好きだったが、自分でこなせない事が多くてすごくしんどい気持ちを持っていた。自分にこの職は向いていないのかな、と自信は皆無だった。そんな時に見つけたのが「頑張る」ということだった。出来ることはやる、出来ないことは頑張るという信念でやっていると、失敗しても頑張っているのだからしょうがないと許されている気になっていた。「頑張る」ということが唯一の自分で認めてあげられることだった。「頑張る」を身につけたのはそこからで、頑張らないということが出来なくなりそれこそ罠にハマりにいっている状態だった。

 「頑張る」に疑問を持ったのは、それから7年程経ってからだった。その頃には仕事も少しずつ出来る事が増え、後輩がいたりリーダーをしていたり自信を持てる部分も増えていた。相変わらず出来ないことも頑張る自分であったが、周りのことも考えていくような立場をしていたため人との温度差を感じるようになっていた。何でこの人はテキトーなんだろう?この人は仕事をなんだと思っているんだろう?と思いその人のことを探っていくと、ただただ価値観の違いという結果に辿り着くだけだった。その人にはその人の大事な事があり、それが仕事とは限らない。ただそれだけだった。それを知ったときにやっと「頑張れない」と思う自分を認める事が出来た気がした。

 「頑張る」ってなんだろうか?この世界には「頑張る」を続けている人が山ほどいる。それは仕事だったり恋愛だったり生活だったり、人それぞれだ。私は「頑張る」ことは素敵だと思う。真剣な眼差しや膨大なエネルギーに救われることも沢山ある。今後「頑張る」という選択が必要な時も来るかもしれない。ただ、もしその中で「苦しい」「辛い」という感情があるとするならば、「頑張らない自分」=何も出来ない自分でもいいんだな、ということも少しだけ頭に入れて生きていきたいと思う。何も出来ない自分を認めてほしい、という自分の気持ちを無視し続けてきた自分に、「ごめんね。」と「頑張ったね。」と声をかけてあげたい。仕事を通して、8年間出来る自分を追い求めて頑張って走り続けてきた。そんな私がたどり着いたのが、「頑張らない」ことだった。

 こんな記録を残すことで、これもまた認めてほしいという気持ちの続きなのかもしれない、とも思った。「頑張らない」のいいところは、また気が向いたら書くことにする。

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