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直感型人間の苦悩

『あの時、もし別の道を選んでいたら今頃どうなっていたのだろうか?』
誰もが人生の中で一度はこのように考えた経験があると思う。
自分自身のこれまでの歩みをふと振り返った時、果たして自分の選んできた道が正しい選択だったのか?もっと良いやり方があったのではないか?『歴史にifはない』と言うが、殊に一度きりの人生となると、あり得たかもしれないifストーリーを想像せずにはいられない。
私の場合、自分の選択に多少の迷いこそあれど後悔はしてこなかったのだが、最近になってあまり思い悩まないタチ故の悩みが生じてきた。誰の役に立つでも無いが、人生における選択について、最近考えている事を徒然なるままに記してみたいと思う。


志望理由『直感です』???

振り返ると、私は重要な節目節目に於いてほぼ直感でものを決めてきた。もっと率直に言うと、その判断基準は「心惹かれる」か、そして「なんかかっこいい」と思えるかどうか。堂々と言う事ではないかもしれないが、高校も、部活も、大学も、専攻も、研究室も、はたまた留学に至る迄、そうやって決めてきた。
ただ現実問題として、それを選んだ理由を問われた際に『なんとなく良いと思いました!』では通じない。本気度を示す為には、それなりに説得力のある理由が求められる。

という訳で、普通は順番が逆だと思うのだが、
➀直観的に良いと感じる
②良いと感じた理由を探索し、言語化する

具体的な説明が必要な時は、このような過程で乗り越えてきた。

しかし、最近になってこれでは間に合わなくなってきた。というのも、高校→大学→大学院と進むにつれ、だんだん選択自体が専門的になり、より詳細かつ首尾一貫した理由付けが求められるようになってきたからである。
また、大学~大学院では専門分野に於ける具体的な「問い」を探求する研究活動が行われるが、直観に頼った、悪く言えばパッケージ買い的選択を続けてきた私にとって、このような非常に狭い範囲に絞ったテーマ選択をするのは中々に『やおいかん(23.6.25の記事参照)』のだ。

Kei的『3の法則』

この問題は未だ解決していないのだが、ここ1年ほど生活環境を何回か変えて(福岡→東京→オランダ→福岡)試行錯誤し、またその過程でこれまでの歩みについて振り返った結果、自分が本当にやりたい事を探索する上で念頭に置くべき法則的なものが見えてきた。それが私的『3の法則』である。

①3日間→継続

初めての事は、とりあえず何でも3日(または3回)続けてみてから本格的に取り組むかどうか決める。

②3週間→体感

3週間くらい取り組み続けると、その物事や環境の合う/合わないの肌感覚が体感できる。
*台湾短期留学(2018年春)が該当

③3か月→実践

3か月同じ事に取り組み続ける、または同じ環境にいると一通りの事は大体体験でき、更に自分なりの工夫を凝らし始めるなど、試行錯誤の過程も含めた実践を行う事が可能となる。
*東京滞在(2022年秋冬)が該当

④3年間→経験

3年間実践を続けると、自分の中での位置付けが確立した経験となる。
*準備期間を含めたトビタテ留学(2020~2023年)が該当

⑤30年→而立(?)

まだ30年生きていないので真偽の程は分からないが、孔子曰く『30にして立つ(三十而立)』、つまり齢30歳でそれまでの真っ当な努力が実り、ある程度社会的に認められる。

この3という数字は「プレゼンでは3つのポイントに絞って伝えると良い」「サバイバルに於ける3の法則(3分→空気、3時間→体温、3日→水、3週間→食料)」などなど色々な場面で出てくる。
きっと、何かを判断する時の数字として区切りが良いということなのだろう。 

解像度無限アップデート

一人の人間がこの世の全てを知る事は不可能である。
一生のうちに習得できる限られた数の物事、出会う人々を通じて見える世界は不完全であるが、全知全能の神になれない以上はその不完全さを受け入れて生きていくしかない。ただ、生きている限り、世界の見え方の『解像度』を上げていく事はできる。

幼少期、私は「大人になれば、今は分からない全ての物事が理解できるようになる」と信じていた。しかし、実際に大人と呼ばれる年齢になってみるとどうだろう。知れば知る程、この世には自分がまだ知らない世界があるということに気付かされ、またそもそも「知る」という行為そのものにも理解度の深浅があることを知った。

知る事により知識の絶対量が増えるのは勿論だが、それ以上に世界の見え方が変わってくるのだ。例えば、子供の頃は純粋に「個性的なキャラクターや不思議な世界観にワクワク」するだけだったスタジオジブリの映画を大人になってもう一度観てみたら、実は社会風刺やメッセージ性に富んでいる事に気付いた、などという経験をした事がある人は多いだろう。同じものを見ていても、文字通り見る目が変われば解釈は全く違ったものになるのである。

この意味に於いて、学ぶという行為に終わりは無いし、それによって自分がアップデートしていく過程を楽しめれば、学ぶ喜びが尽きる事もきっと一生無いのだと思う。そして、見える世界の解像度を上げていく事は『直感力』の向上に繋がり、人生の岐路に於いてより良い選択を行う事を可能にするはずだ。

無為自然

直感で決めがちな性格自体は変えられないし、変えるつもりも毛頭無い。なので、好き嫌いせずに様々な物事に触れる事で世界の『解像度』を上げていく努力を惜しまず、常に『3の法則』を念頭に置いてトライ&エラーを繰り返していくことで、いざ大事な選択をするという段階になった時に「自分の直感を言語化できる状態」を保てればと考えている。
(書きながら本当に出来るのか?と思っている自分がいるが、まずは言葉にするのが大事だと思うので敢えてここに残しておく)

人生万事塞翁が馬、何が吉と出るか凶と出るかは結局誰にも分からない。人事を尽くした後は無為自然にあるがまま、天の神様の言う通りである。



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