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ガザ戦争と古居みずえ監督作品「ぼくたちは見た」―パレスチナはいま何を私たちに問うているのか?《Dr.本田徹のひとりごと(87)2023.11.20》

古居みずえ「ぼくたちは見た」のポスター 

1. ヨシュア記とイスラエル人入植者

 旧約聖書 「ヨシュア記」 を書いたとされる、英雄ヨシュアは、モーゼから「嗣業」(しぎょう)を委ねられ、「出エジプト」の後、ヨルダン川を渡ってパレスチナの地に入り、ユダヤ人にとって建国の父となりました。旧約聖書6番目のヨシュア記は、現代イスラエルの極右勢力が、そこはすべて自分たちユダヤ国家のものだと主張する、地中海からヨルダン川西岸に至るすべての、「乳と蜜の流れる地」の征服記です。この豊かな土地は、神からユダヤ人に与えられたもので、パレスチナ人など異民族を放逐して、独占することの許可をもらったとする、重要な典拠になっています。ヨシュア記には、残虐な記述が各所にあります。唯一の神の 「促しと命」 に従って、ヨシュアは当時の、エリコ、アイなどの町を破壊し尽くし、人と名のつく者は、ごく少数の協力者を除き、女子どもを含めて皆殺しにします。

 現代のイスラエル政権の一端をになう極右政党と、彼らが後押しする西岸の入植者、つまり土地簒奪(Land grab)をおおっぴらに進める人たちもまた、ヨシュアに倣(なら)い、西岸での自分たちの侵略行動は、神によって許され、求められているものだと信じ込んでいると思い
ます。こうした狂信的教義によって行われてきた西岸での入植活動は、将来のパレスチナ国家の領土として、オスロ合意でも従来の国連決議でも国際社会から認められきた土地を、虫食い状態にし、西岸での入植者による暴力行為を激化させ、パレスチナ社会の反発を招き、ガザ戦争の導火線となった、すくなくともその一因となった、と言えます。

2.「キャッチ=22」状況とは?

 「キャッチ=22」という、1961年にジョセフ・ケラーという退役後のアメリカ人が発表し、ベストセラーとなった破天荒の小説があります。この作品のタイトルは、そのまま、自己撞着、二律背反、ジレンマの状況を示す言葉として、英語圏の辞書ではすでに定着しています。物語の中で、イタリア戦線に派遣された米軍パイロットたちは、狂人を装い、非人間的な空爆軍務から逃れようとします。しかし任務忌避を認めてもらうためには、まず申請書類を上官に提出しなければならず、書類を提出できるほどの兵士は狂気とは認定されない、よって任務に就くことを強いられるという、自縄自縛状況に陥るわけです。
 
 ガザ戦争で、イスラエル政府や軍のトップが主張する通り、ガザの病院の下に、ハマスの地下トンネル基地と武器・弾薬・兵員が隠され潜んでいるとして、「あなたは病院を貫いてまでも、爆撃しますか?」、という問いは、すぐれて 「キャッチ=22」 的な設問となっています。イスラエル軍の答えは、「イエス」 ということになります。ハマスを懲らしめ、せん滅させるための 「正義の戦争」 に伴う、パレスチナ市民の死は、痛ましいがやむを得ない、「コラテラルな損害」 ということになります。11月11日、ガザ市最大のシファ病院が直接の攻撃の対象となり、女性子どもを含む多数の死傷者が出たことについて問われた 、ネタニヤフ首相は、「こうした犠牲の責任はあげてハマスの側にある」 と臆面もなく答えています。
 

アトファルナろう学校の子どもたち

3.アトファルナろう(聾)学校の子どもたち

 私が最初にパレスチナを訪れたのは、1991年のことで、湾岸戦争直後の中東の問題の核心であり続けているこの地を訪れ、パレスチナ西岸やガザのパレスチナ人社会をよく知り、イスラエル市民、とくに平和団体、Gush Shalom(平和のブロック)やPHR(Physicians for Human Rights, Israel)や B’Tselem(The Israeli Information Center for Human Rights in the Occupied Territories)の活動者らとも意見交換をしたい、という希望があったからです。
 幸い、NGOパレスチナ子どものキャンペーン(CCP)の田中好子事務局長が案内役を買ってくださり、この訪問の2年後に発足した仏教系NGOアーユスの理事長となる、故・茂田真澄和尚、江戸川区・文京区の住職で、いまは、CCPの代表にもなってる大河内秀人さんも同行され、啓発されることの多い旅行となりました。
 私はもともと、青年海外協力隊員としてチュニジアにいた1977-79年に、クウエートなどの湾岸諸国に難民として逃れ、保護国の医学校を卒業し、さらにチュニジアに出稼ぎに来ていた若いパレスチナ人医師2-3人と仲良くなり、一緒に安ワインを飲んだり、共通の患者さんについて意見を交したり、パレスチナ難民が置かれていた出口のない状況を説明され共感し、関心を持ち続けていました。当時、チュニジアはブルギバ大統領のもと、パレスチナ問題でも2カ国共存などの合理的・親欧米的な路線を提唱し、アラブ連盟から総スカンを食い、孤立していました。
 
 ガザで訪問したアトファルナ聾学校は、当時まだ設立されたばかりの小さな施設でしたが、聴覚に障害を持つ子どもたちが、手話を交え明るく、活発に教室で学んでいる姿を見て、大きな感銘を受けました。その後、アトファルナは順調に発展し、聴覚障害者のための手話を含む教育施設、先進的な聴覚検査ラボ、クリニックの設置、種々の補聴器具の生産・提供、さらには何万人もいるとされるガザ地域の聴覚障害者コミュニティへのアウトリーチ活動などを積極的に展開していきます。
 過去のガザへのイスラエルの武力侵攻でも、アメリカやEUから認められ、支援も受けているこの学校はほぼ無傷でしたが、今回はさすがに大きな被害も受けたと思われ、また聴覚障害などの子どもたちや家族が殺されたり、たいへんな不自由を強いられていることに、心が痛みます。
 確か、アトファルナで見せてもらい、忘れがたい記憶があるのは、ガザのビーチキャンプの子どもが描いた、鉄条網で囲われ、「青空監獄」 のような状況で暮らす難民家族の絵でした。これは、まだガザがイスラエル軍に直接占領をされていた時代のことですが、こうした屈辱的な暮らしを数十年間にわたって強いられ、外の世界に通じる 「窓」 すら持てない若者たちが、どのような怨嗟をイスラエル国家に対して抱くようになるのか、占領・封鎖・破壊する側が、すこしでも想像力と共感力を働かせてほしいと切に思います。
 

ガザの難民キャンプの子どもの絵

4.イスラエル人の良心 ― 平和運動家アヴ・ネリさんが教えてくれたこと、パレスチナ占領地での兵役を拒む 「沈黙を破る」 若者たちの勇気

2国家共存を訴えるデモに参加するアヴ・ネリさん(2000年ころ)

 「イスラエル独立戦争」(第一次中東戦争。アラブ人にとっては「ナクバ」=大惨害)のイスラエル側の勇士で、その後、クネセット(イスラエル国会)の議員を経て、活発な言論活動、平和運動に献身し、2018年に急逝した、ウリ・アヴネリ(Uri Avnery)さんと最初に会ったのは、2000年ころテルアビブで行われた、2国家共存を求める平和行進のときでした。そのころは、既にラビン首相が暗殺され、和平への機運がしぼみ、第二次インティファーダが始まったところでしたが、両民族の間にまだ決定的な敵対・亀裂は生じておらず、危機感を募らせたイスラエルの平和勢力がなんとか交渉を軌道に戻そうと、イスラエル政府に迫っていたのでした。しかし、その後の展開を見ると、両者の間で、失望と不信感がさらに膨らみ、戻り道のない暴力の袋小路に入っていきます。
 それでもウリさんは諦めず、活発な言論活動を通じて平和を希求しますが、イスラエル国内での政治的影響力は徐々に失っていきます。
2014年のガザ戦争の終了後に、私はもう一度ウリさんのテルアビブの質素なアパートを、田中好子さんらと訪問します。その時の対話で、ウリさんはこんなことをおっしゃっていたことが、今も鮮やかに記憶に残っています。
 「他の国々では、多分日本でもそうだと思うが、右翼と左翼を分ける線は、憲法や防衛政策、外交などをめぐる違いだが、ここイスラエルでは、パレスチナへの軍事占領政策、入植・領土拡張政策を是とするか非とするかで、争われる。私たちのように、完全非暴力の立場だが、占領・入植を絶対に非とする者たちは、イスラエル政治の色分けの中では、『極左』 とされてしまうのさ」 と、ウリさんはいたずらっぽい笑顔を浮かべて説明してくれました。
 
  古居さんと並んで私が敬服するもう一人日本人映像ジャーナリストが、土井敏邦さんで、 1-2度は東エルサレムでお会いし、一緒にパレスチナ側の病院を訪ねたりしてきました。また彼は、2011年以降、積極的に飯舘村に入り、住民のつらい全村避難への道のりと、地域の復興のために彼らが諦めずたたかう姿を描き続けてきました。
 彼の長年にわたるパレスチナや中東取材活動でも特筆すべき仕事の一つが、「沈黙を破る」(“Breaking the Silence”。第二部は「愛国の告白」)という仕事です。占領地での兵役によって、パレスチナ人を人として扱わない、非人道的行為・倫理にみずからが落ちていくことに、耐えられなくなった心ある若者たちが、社会的に孤立し、投獄されることも覚悟の上で、パレスチナ占領地での兵役を拒否する心底からの告白と、彼らの優れた反戦活動を追ったドキュメンタリーです。 
 
 建国以来、イスラエルは憲法を持たない国として、深刻な矛盾を抱えてきました。その弱点を補うため、この国では司法、とくに最高裁が、不在の憲法に代わって、行政の行き過ぎに抑制をかける権限と制度を担ってきました。今年に入ってから、三権分立を弱め、司法による行政府へのチェック機能を廃止する法案がクネセットにおいて、ネタニヤフ首相の率いる極右政権のもとでかろうじて成立し、広範なイスラエル市民の反対運動が沸き起こっていました。また、ネタニヤフ自身が、巨額の賄賂疑惑で訴追されていて、首相の職を失ったら、投獄されるという、一種の 「トランプ的状況」 にありました。そして、西岸では多数の入植者による組織的暴力で、パレスチナ住民が殺傷され、オリーブ畑などが破壊されていました。こうした、イスラエル国内や西岸で増える一方の、殺伐として希望のない状況が、ガザ戦争の背景にあったことも忘れないようにしたいと思います。

土井敏邦監督作品 映画「沈黙を破る」 題字画面

5.最後に、古居みずえさんのこと

 さて前置きが長くなりすみません。長くパレスチナに取材し、優れたドキュメンタリー作品をいくつも発表してきた、映像ジャーナリストの古居みずえさんが今、緊急に日本人に観てほしいと願い、上映・鑑賞会を勧めているのが、「ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち」です。2008年にガザで起きた、何度目かのイスラエルによる軍事侵攻の後に制作されていますが、ガザ市南部地区で親兄弟姉妹を殺された子どもたちの眼を通して、どういう悲劇が起きていたのかを、丁寧に、淡々と描き、それだけ心に深く刻まれる作品となっています。
私は2010年ころに一度観ていたはずですが、今回の桁外れの戦争の最中に再度鑑賞して、改めてこの映画のインパクトの大きさに揺さぶられ、涙が止まりませんでした。
 この映画の上映会や、自主上映の仕方については、「古居みずえドキュメンタリー映画支援の会」 のホームページからご覧ください。2023年内の上映は、支援の会に申し込めば無料だそうです。

  飯舘村でも12月3日(日)に上映会の予定となっています。ご存知の方もおられるでしょうが、古居さんは、原発震災の後、苦難を乗り越え、土に根差した生活を再建しようとする、根性のすわった村の女性たちの姿を、2つの作品にまとめています。
「飯舘村の母ちゃんたち ― 土とともに」(2016年)と「べこやの母ちゃん - それぞれの選択」(2023年)です。これらも併せてご覧ください。

古居みずえ監督 「飯舘村 べこやの母ちゃん それぞれの選択」ポスター

 パレスチナ問題をめぐる長い長い説明と、古居さんの映画のご紹介となりました。ここまでお付き合いして読んでくださった皆さんに、心から感謝申し上げます。

 (2023.11.20)

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