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「女の平和」とウクライナ戦争 ― ペロポネソス戦争を鏡として ー 《Dr.本田徹のひとりごと(82)2022.4.20》

「女の平和」とウクライナ戦争
      ― ペロポネソス戦争を鏡として 

1.不幸で、不当な戦争の始まり

 プーチン大統領の声明により、ウクライナ戦争(彼は「特別軍事作戦」と呼び、「戦争」という表現をロシア国内で禁じています)が始まった2月24日から、この文章を書き始めた4月12日時点で、すでに一カ月半以上が経過し、戦争は国外避難民だけで、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)よると430万人以上を生み、第二次大戦後のヨーロッパで起きた最大級の悲劇となりました。これに、推定することの難しい国内の避難民を加えると、国民の半数近くが、故郷を追われて命からがら、シェルターを求めて移動している可能性もあります。単に失われた人の命の数だけでなく、国土や資産、自然環境、生物界に与えた甚大な被害を思うと、本当に悲しく、暗澹たる気持ちとなります。
もちろん、非は一義的には、明白な証拠提示や外部からの独立調査や検証のないまま、東部の自称およびロシア承認の独立「国家」、ウクライナ領内ドンバス地方の2州の住民が、ウクライナ軍によって多数殺傷されている、という理由を振りかざして、従属国とも言うべき、独裁国家ベラルーシュ側から一方的に軍事侵攻に踏み切った、プーチン大統領とロシア軍側にあることは間違いありません。また、陸上戦で苦戦を強いられ、北部戦線から撤退したロシアの残虐な破壊の跡、ジェノサイド的行為も次々と明らかになるにつれ、この戦争がもともと無理筋で、まったく道義を有しないものだったことが、立証されてきています。

2.ソ連邦崩壊後のNATO(北大西洋条約機構)のレゾンデートル(存在理由)

 ただ、ロシアだけを責めれば済む話なのかというと、私はそうではないと思います。第二次世界大戦の惨禍に学び、また東西冷戦終結後の、ヨーロッパの新秩序形成の過程で、軍事同盟的なものだけで、世界の平和を維持・管理していくやり方を改めるべきだという流れ、つまりゴルバチョフの言う「新思考」も働いていたはずでした。なによりも、ゴルバチョフは、核戦争を絶対に防がなければならないということを、イデオロギーの対立を超えて重視していました。東西融和の流れの中で、1998年から2013年までは、G8という形で、ロシアが、日本を含む西側の「先進国」による、年1回持ち回り開催のサミットに招かれていた時期もあったのです。1991年のソ連邦の終焉とともに、ワルシャワ条機構が崩壊し、NATO(北大西洋条約機構)のみが力を増すという、著しい力の不均衡を生んだことは、不幸のはじまりでした。

ゴルバチョフ氏は2018年出版の『変わりゆく世界の中で』(副島英樹訳・朝日新聞出版)と題する回想録の中で、1990年当時の米国外交の最高責任者、ベーカー国務長官との会談における彼の発言を引用しています。
「もし米国がNATOの枠組みでドイツでのプレゼンスを維持するなら、NATOの 管轄権もしくは軍事的プレゼンスは1インチたりとも東方に拡大しない、との保証を (ソ連が)得ることは、ソ連にとってだけでなく他のヨーロッパ諸国にとっても重要なことだと、我々は理解しています」

当時ベーカー氏も、東西冷戦の終結という果実を大切にしていくため、これ以上のNATOの拡大はしないことが、互いの信義を守るために必要だと考えていたのです。しかし、こうした良識的な意見は、その後ほとんど西側で顧みられず、ロシアを仮想敵とした、軍事的なBuild-upは着実に進められていきます。NATOが軍事同盟として生き延びていくためには、だれに対して同盟するのか、という敵対者、「かたき役」の存在がどうしても必要でした。それがソ連の後継国家ロシアだったのです。もちろん、ロシア国内での民主化の停滞や逆流も、西側の警戒心を搔き立てたことでしょう。いずれにしても、ソ連邦崩壊時16カ国だった、NATOは徐々に拡大し、今や30カ国になり、ウクライナの加入も将来的には約束されていました。バルト三国にとどまらず、ウクライナまでNATOに加盟することになれば、ロシアは直接国境を挟んでNATO諸国と軍事的に対峙することとなり、著しい緊張と不信をロシア側に与えることになるのは、十分予想されることでした。結果、ベーカー氏が東西両ドイツの統一の対価として、ソ連に約束していたことを裏切る状況を、米国とNATOは創りだしてしまったわけです。

NATOの東方への拡大(出典:東京新聞2022年4月9日記事)

 ゴルバチョフは同じ回想録の中で、「もしソ連邦が維持され、すでにソ連と西側の間にできていた関係が保たれていたら、NATOの拡大は起きなかっただろうし、双方は別の形で欧州安全保障システムの創設にアプローチしていただろう」という、口惜しさをにじませる言葉も残しています。
軍事同盟の本来の目的は、敵陣営との間の一種の「恐怖の均衡」、相互抑止力によって、リアルの戦争に進まないようにしておくことのはずです。それができなかったことは、核が兵器として使われ得る21世紀の現代においては、軍事同盟の失敗を意味します。ウクライナ戦争を見ていて強く思うのは、「寸止め」の自制が、対立する両者の間で効かなくなっていることです。

アリストパネース「女の平和」(高津春繁訳・岩波文庫)カバー

3.現代への啓示としてのペロポネソス戦争とアリストパネース「女の平和」

 そこで、歴史の教訓として想起したいのは、古代ギリシャ世界を2分する大戦争となったペロポネソス戦争(BC431-404年)です。抜群の海軍力を駆使してペルシャ戦争の天王山となったサラミスの海戦(BC480年)を勝利に導き、新興覇権都市国家となったアテナイは、その後海外への植民や侵略を重ねて、領地、属国を増やし、次第にこれまでのギリシャ全体の指導者だったスパルタの地位を脅かすようになります。  
スパルタ率いるペロポネソス同盟と、アテナイ率いるデロス同盟との、熾烈な戦闘と交渉の軌跡は、トゥーキュディデースの『戦史』(久保正彰訳・岩波文庫)に詳細かつ迫真の筆致で描かれています。とくにアテナイの軍事同盟が従属国に課した船舶建造の分担金や上納金は重く、従わなければ、厳しい制裁を受け、ときにはアテナイからの侵略の結果、住民は奴隷として売り払われ、アテナイの息のかかった新しい植民者によって、領土が奪取されてしまうといったことがしばしば起きました。また、両大国のご機嫌をうかがいながら、どちらの陣営に属するか決めかねたり、勝ち馬に乗り換えたりと言った悲喜劇が、あちこちの小都市国家で起きました。
 結局、アテナイがBC415年に始めた二次にわたるシシリア遠征が大失敗に終わり、自慢の海軍も壊滅的な打撃を受け、ペロポネソス戦争の帰趨を決することになります。これ以降、アテナイは往年の輝きを失い、徐々に没落していきます。それとともに、デロス同盟の加盟国が次々とアテナイを見限って脱退していくことになります。

 アリストパネースの最高傑作『女の平和』(リューシストラテー)は、BC411年、つまりアテネにとっての絶望的とも言うべき、シシリア遠征大敗北後の時代背景の中で初演されたのでした。この劇作の原題、リューシストラテーは、主人公の女性の名であるとともに、リューシス(解体)とストラス(軍隊)の合成語で、「軍隊を解散させた女」、の意味になります。
 夫である人を含め、アテナイの男たちがいつまで経っても泥沼のような戦争を止めようとしないことに腹を立てた、リューシストラテーは一計を案じ、仲間の女性たち、さらにはスパルタの女性たち、とくにスパルタ(ラコーニア)の女性リーダー、ラムピトーにも連絡を取り、あることを実行に移します。

ラムピトー 私はね、平和が見えるというのなら、ターユゲトス(スパルタ一の高い山)の頂上にだって行くわよ。
リューシストラテー 話すわ、これはかくしておくべきではありませんからね。皆さん、わたしたちは、もし男たちに平和をどうしても結ばせようと思うなら、清浄に保たれなくてはなりません。
カロニーケー 何から? 言ってよ。
リューシストラテー あなたがたやる?
カロニーケー やりますってさ、たとえ死ななくっちゃならないったって。
リューシストラテー それじゃ言いますよ、わたしたちは身を清浄に保たなくてはなりません、男から。

つまりリューシストラテーは、アテナイとスパルタの完全な停戦まで、すべての男との同衾(ひとつ寝)を拒むように女たちに提案するのです。その後もアクロポリスの丘に保管された戦費を、通せんぼして、役人に渡さないなどの秘策を弄して、男どもを途方に暮れさせます。役人の怒りの発言に、女主人公リューシストラテーは、なんとしてでも、軍隊解散者の「名にし負う」ように、役人に倍する怒りの言葉をぶつけます。

リューシストラテー どういたしまして、この不浄者め、あたしたちは戦争の二倍以上の被害者ですよ。第一に子供を生んで、これを兵士として送り出した。
役人 しっ! 過ぎたことをとやかく言うな。
リューシストラテー 第二に歓喜にみちた青春を享楽すべきそのときに、軍旅のために空閨を守っています。それからあなた方は、わたしどもの、ほら、あのことを気にもかけない。わたしどもは、乙女らが閨(ねや)のなかで未婚のまま老いてゆくのがたまらない。

結局、仲たがいした両国の男どもに逆らって、女たちはアテナイでもスパルタでも、セックス・ストライキの共同ピケラインを布き、断固譲りません。そして、見事に女たちは戦争を終わらせ、リューシストラテーは無血闘争終了の言葉を皆に贈り、「床入り」を勧めます。

リューシストラテー さあ、すっかりうまくゆきましたから、ラコーニアの方、この方たちを(と人質を指し)お連れ遊ばせ、そして(アテーナイ人に)あなた方はこの方々。(と仲間の女たちを指す) 男の方と女の方と、女の方と男の方とが連れ合って、私どもの幸運に感謝して、神々さまに踊りを奉納。これから後は、二度とふたたび過ちを重ねぬように用心いたしましょう。

現実の歴史は、このように展開しなかったのはもちろんですが、絶対平和主義者だった、アリストパネースの真骨頂は、この作品で遺憾なく発揮されています。

4.結びとして

ペロポネソス戦争から2500年経った今、人類は当時よりすこしは聡明になったのでしょうか? 残念ながら、進歩したのは核兵器を始め、大量破壊的な殺傷能力を有する武器の開発という面ばかりで、理性や他者への共感能力の面では、まったく進歩していない私たち自身は、それこそ途方に暮れるしかありません。
 しかし、真剣にペロポネソス戦争から教訓を引き出し(A.トインビーが勧めてくれたように)、なにより核戦争を防ぎ、互いの価値観や人のいのちを尊重する世界を目指して、微力でも傾けていくしかありません。そのためにも、市民社会のエンパワメントが、一層求められているのだと思います。

 (2022年4月14日)

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