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ブルートレインに乗って

小学校5年生の夏休み。母から寝台列車に乗ってひとりで宇都宮の叔母の家に行ってみないかと言われました。突然の母の提案にびっくりしつつも、乗ってみたかったブルートレインに乗れるとあって迷わず「行く!」と言っていました。しかし、出発の日が近づくにつれて改めて、ひとりで寝台列車に乗って東京まで行く、ということに不安の方が大きくなってきました。小学5年生。ひとりではまだ隣町にさえ行ったことのない頃です。

期待と不安でドキドキしながら寝台特急「富士」のB寝台に乗ります。両親がホームまで見送りに来てくれました。出発間際に父が何か言いながら窓に指で字を書いています。でも何を書いていたのかその時はわかりませんでした。やがて列車はゆっくりと宮崎駅を出発しました。

初めてのブルートレインが嬉しくてまだ明るいうちはA寝台を見に行ったり、飽きることなく車窓を眺めたりしていました。B寝台は向かい合わせに上下4つのベッドがあって、昼間は下の席に向かい合わせに座ります。乗り合わせたのはひとつ前の駅から乗ってこられた年配のご夫婦でした。「何年生?」、「どこまで行くの?」、「ひとりで東京まで行くなんて偉いねえ」。このご夫妻とはこの後何年か年賀状のやりとりをしました。「あなたもひとりで東京まで行かれたのは偉かったけど、ご両親もご立派ですね」と書かれてありました。

列車が九州を出る頃には暗くなってきて、そうすると急に心細くなってきます。暗くなったおかげで父が車窓に書いた文字が浮かび上がってきました。「食堂車」と書かれてありました。しかも器用だった父はちゃんと読めるように文字を反対にして書いてくれていました。でもよく考えると”堂”も”車”も左右対称なので気をつければいいのは”食”だけですね(笑)。出発の時に書いてくれたその字を見ながら泣きそうになったことを今でも覚えています。「気晴らしに食堂車に行って何か食べてきてもいいんだよ」ということだったのだろうと思います。母が弁当を持たせてくれていたのですが、さすがにひとりで食堂車まで行って注文してひとりで食べてお金を払うなどということが小学生の子どもにはできるはずもなく、寂しさを押し殺して夜は眠くなるまで車窓の夜景を見ていました。

無事に東京駅に着いて宇都宮から迎えに来てくれた叔母の顔を見た瞬間にホッとして急にお腹が痛くなったのは懐かしい思い出です。あれから45年余りが経ち父も鬼籍に入り、ブルートレインもなくなってしまいました。上京して早30年以上が経ち、今や飛行機で何十回となく手軽に故郷と東京とを行き来していますが、ブルートレインがあれば、今度こそ父の勧め通り食堂車に行って、可愛い子には旅をさせようと思ってくれた両親のことを想いながら、ひとりでゆっくりとビールを飲んでみるのになあと、あの夏を懐かしく思い出します。


#夏の思い出

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