お生まれになった日【遅日記】
子が生まれた日のこと。まだまだ掛かりそう、ということで家に帰ったら途端に“本格的に陣痛が始まりそう”と連絡があり、湯引き程度の入浴ですぐさま産院へ再び向かった。時刻は0:00ちょうど。いよいよお生まれになるのか、と身構えた。
日中もずっと妻の付き添っていたが、陣痛の痛みを紛らすためにワイキャイ盛り立てるぐらいしか役には立たない。それも次第に強まる陣痛においては意味を為さなくなる。常々思っていたことだが、妊娠中から身体を共有している妻と子に比べると圧倒的に“外”の存在なのが父(になる自分)なのだという事実を突きつけられた。
いよいよ分娩台に移ると「いきみのがし」を手伝う役割が私に回ってくる。子宮口が空いてない時にいきんでしまうと、“大変なことになる”と助産師さんから聞いており、その“大変なこと”をイメージするとあまりに恐ろしく気が引き締まった。
いきみのがしは硬式のテニスボールを使うことにした。陣痛の強まるタイミングで妻の尾骶骨付近にテニスボールを押し当てると、仕組みはあまり分からないが力が程よく分散するらしく、いきまずにいれるようになるようだ。並の押しでは全く効果がなく、妻に対して与えたことのない猛烈な圧力でテニスボールを押し当てていく。
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黄色いテニスボールを妻の尻に押し当てながら、私は自分の父のことを思い出していた。父はあまり積極的に干渉してこない人だったが、小学生くらいまではやたらと私をテニスの練習に連れ出していた。運動神経が悪く、好きなスポーツもないのに一向に上達しないテニスをやらされ続けていた。どういう意図かわからないし、正直億劫だった。テニスボールは父のぎこちない関わりの象徴となった。
そんな象徴を手にしながら思うのは、私の出産に立ち会ったであろう父の姿だ。陣痛に直面した今の私と同じように、父もまた動揺しながら母と共にいたのだろうか。圧倒的に“外”の存在であるという事実とともに、なんとか母と私の間に入ろうとしていたのだろうか。その頃からぎこちなさそうな父の姿を思い浮かべ、ちょっと笑ってしまうと同時に、ちょっと背中を押されたような気がした。
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いきみのがしは特別な時間だった。この世界に出てこようとする子、懸命にいきみ続ける妻、テニスボールを押し当てる私、この3方向の力が均衡し、見事にバランスを取り合って危機を脱したあの時間、家族としての強烈な連帯を覚えた。遂にこの2人と家族になっていくのか、という実感が押し寄せたのだった。そして4:00ちょうど、子がこの世界に舞い降りたのだった。
子が生まれてからはずっとクリニックで妻に付き添って毎日いたので、病院食をばくばく食べて部屋でごろ寝をしている謎の人物として産院からは思われていたかもしれないけれども、あの“いきみのがし”を経た身からすれば他者の目線はどうでもよかった。あの実感とテニスボールこそが私を家族の一員にしたのだと今でも思う。
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