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マチズモとメンタルヘルスを考える

環境を変えるということ

心を病む原因の一つとして日常的なストレスに晒されることが挙げられる。そのストレスが学校や会社に由来するものであれば環境調整を試みるのは有用な可能性も高い。しかし、そのストレス環境が当人にとって変えられないものであるとしたら。変えようがない、と本人が思っているとしたら。

匿名性のために一部を改変をした話にはなるが、とある高齢女性のこと。その気分障害の背景にあったのは夫からの日々の圧力であった。薬物療法で症状は改善したが、根本的な原因の1つであるはずの"支配的な夫"は家に帰ればそこにいる。病院帰りであろうが構わず、いつも通りそこに居続けるのだ。

では夫を呼んで疾患の説明を、と思うが「病気はお前の問題だと一蹴される」というのだ。何が問題なのかを説明することもできない。病院に来てもらおうとすると怒り出すこともあるらしい。話せば分かる、の前提にも立てない。「それはもう諦めてます」と力なく笑う彼女の表情は忘れがたい。


心苦しめる家父長制

家父長制を振りかざし、配偶者や子に対して特権的な振る舞いを行う男性の存在は今考えられるべき問題だろう。「有害な男らしさ」と呼称されるこういった無自覚に染みついてきた態度は、家族の心身に及ぼす影響について。男性優位主義=マチズモとメンタルヘルスの関係性についてである。

こう思ってはみたものの恥ずかしながら、僕はマチズモの加害性や有害な男らしさについて自分自身のホモソーシャルへの嫌悪感とポップカルチャー作品を通してしか知れていない。例えば近年のマーベル映画「シャン・チー」「エターナルズ」がそういったものとの決別を描いている、であるとか。

改めてマチズモについて自分の中にイメージを作りたい、何となく知っているだけのマチズモについて改めて学び直したい、できることならば最初は馴染やすい形で、と思い手に取ったのは武田砂鉄の著書「マチズモを削り取れ」(2021)。非常に読み易く、熱量も高く、グイグイ読める一冊だった。

著書内にはメンタルヘルスに大きく影響を及ぼしそうなトピックスが多々あった。例えば”会話に参加させろ"の項で示された、会社内での立ち位置や愛嬌を上司から強いられる抑圧。"人事を握られる"の項で示された仲間づくりができない環境。これらの蓄積は間違いなく、心を蝕んでいくストレスになる。

こういった本を読むと性加害が被害者に強い心的外傷を与えることすらもしかすると知られてないのではないか、と思ってしまう。それほどまでに常態化したマチズモ。「オレがこう思ってるんだからこう」で押し切り続けている社会の現在地で蔓延り続けるマチズモ。根は絶えず、そこにあり続ける。


学び直しの先に

自分自身はどうなのかと問われれば、こんな風にマチズモをばっさり憂うことのできる立場では当然ないだろう。昨年の転勤だって理解を得たとはいえ自分の事情に妻を巻き込む形になったし、結婚披露宴のマナーにだって多少の疑問を呈したくらいで慣習通りの式を執り行うに至った。それが自分だ。

だからこそきちんと学び直したい。「今ある特権的地位から動くまい」とする姿勢が他者の心に及ぼしている影響はどうなのか。他者の心に想像力を働かせることが今わたしやあなたが行っている振る舞いを少しずつでも変えるきっかけになるのではないか。そして他者の心を救えるのではないか、と。

また、マチズモやホモソーシャルがその世界に馴染めない男性をも苦しめている事実についても向き合わなければならないと思う。女性における苦しみと一緒くたの問題として捉えることはできないが、形を変え、性別問わずマチズモは現代人を蝕み続けている。社会病理と言って差し支えないはずだ。



今までの家父長制が染みついた人物が変わることも信じたいところだが、最初に示したような「決して変わらない」と周囲が諦めているケースは少数ではないはず。ならば今ここで再生産されつつあるマチズモの根を絶やすことが、これからの社会を生きる人々のメンタルヘルスを救う、という点を最も強く信じたい。学び続けることを諦めたくないと思う。



#私の学び直し #メンタルヘルス  #マチズモ #マチズモを削り取れ #今こそ学びたいこと

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