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令和ロマンとウエストランド、反芻に耐える疾走感

M-1ファイナリストと敗者復活戦進出者が全国をサーキットする『M-1ツアースペシャル』。毎年恒例のイベントに今年ももちろん参加し、大いに笑わせてもらったのだが個人的にハイライトと感じたのは令和ロマンとウエストランドだった。

令和ロマンといえば昨年末のM-1グランプリ2022敗者復活戦で2位を記録した新鋭。お笑いファンの間では名の知れた存在だったが、今回の敗者復活での「ドラえもん」の大爆発(マジで決勝行くと思いましたよね?)によって今年から完全にネクストブレイク枠に入った印象がある。高比良くるまの飄々としながらも強度のあるボケと、松井ケムリのヘラヘラとしながらも的確なツッコミは確実に市民権を得つつある。

しかし私が行ったM-1ツアー愛知の夜公演ではこの基本スタイルを封じた「吉本の社員」というネタを披露。ケムリがボケ役を担い、くるまが(変ではあるが)ツッコミ的な立ち位置となるネタでかなり特殊だ。

確かに変則ネタではあったが、しっかりウケたのも必然的ではあった。このネタのボケの大半は、お笑い芸人のアクリルキーホルダーについてだったり、ステッカーであったり、お笑いファンであればあるあるネタに近いようなモチーフばかり。M-1ツアーに集う客層を把握し、その性質までも理解したような巧みなネタ選びだったと言える。

このような、その場所を見事に捉える技量はこの日のウエストランドにも強く感じた。今までそんなこと考えたことはなかったのだが、意外にもこの2組は近い特性を持つお笑いコンビなのかもしれない。ざざっと書き記していきたい。


①場の掌握力

この日、2組に際立っていたのはその会場の掌握力だ。令和ロマンは冒頭で前出番のミキのネタ中(しかも後半)にあったボケを引用して、鮮度のあるツカミを届けていた。M-1ツアーでは他コンビのネタをカバーするノリが顕在化しているが、令和ロマンはその中でも群を抜いた引用だった。状況分析力に長けつつ、どこかちゃらんぽらんで生意気なくるまのキャラクターが為せるものだろう。

ウエストランドはチャンピオンであるためトリ出番であり、状況的には得意とする悪態ツカミは用いられなさそう。しかし「トリだから他の芸人が誰も見てない」「誰ともご飯に行けない」という角度で嘆き、からし蓮根の伊織とのエピソードなどこの日ならでは芸人交流も絡めたツカミを行った。キャラクターと観客の求める要素を見事に満たしているのだ。とにかく寄席がうますぎるのだ。


②熱量の置きどころ

令和ロマンと言えばくるまのスベリ度外視のふざけた振る舞いとケムリの余裕たっぷりな佇まいが特徴的だ。比較的順風満帆なキャリアも相まって、過度にエモいドラマを演出している様子もない。この彼らのあり方は今のM-1グランプリ界隈における“競技漫才”的なスポーティな熱量を目減りさせるのに役立っていると思う。妙なドラマ性への拒否反応がお笑いファンから出つつある中で彼らの姿が支持を集めているのは必然だろう。


ウエストランドはある種の熱さを感じるコンビではあるがどう見ても”競技漫才“的な熱量とは無縁だ。彼らが熱を置いているのはいかに余計な悪態をつけるか、だ。賞レースを優勝することが目的でなく、広く売れることを見据えたスタンスもブレないし、M-1ツアーでは各公演で年末頃からやっている新ネタを大切に育てていたようだ。2組に共通するのはエモさとかではなく面白さの高揚感だけを颯爽と残す漫才である点だ。


③残る”疾走感“

「終わった後に何も残らない」「おもろかったけど何も覚えていない」というネタに対する常套句的な感想があるが、令和ロマンもウエストランドもスピーディでありながら確実にインパクトが残るし、振り返って反芻し甲斐があるネタなのだ。

令和ロマンは緻密な構成(伏線回収とか)をネタに取り入れず、くるまはただひたすらにふざけ倒す人物に徹し続ける。ケムリはニコニコとその場を実況し、くるまはそれをほぼ無視して暴れ続ける。瞬時の理解は追いつかない速度のボケと、そこに適度に追いつくためのケムリのツッコミの時間差が心地よいのだ。くるまの突飛さで反射的に笑い、ツッコミによってその内容を深く理解し更に笑う。この反復が重なり合いながら笑いが増幅し、疾走感がありながらも反芻に耐えうるずっしりとしたネタに仕上がるのだ。


ウエストランドもまた構成は二の次で、いかに井口を滑稽な立ち位置で喋らせるかという枠組みにこだわる。最初はコミュニケーションを取りながら会話していた井口と河本だが、次第に河本の制止をほぼ無視して独演会と化していく。理解が追いつく間もないほど矢継ぎ早に繰り出される悪態の渦に巻き込まれていくうちに、どんどん笑いから抜け出せなくなる。とにかくしつこく同じワードを持ち出すのは最近彼らが用いている技法だが、やはりこちらも疾走感とともに反芻をせざるを得なくなる笑いだ。


両組ともボケ数は多いが部分的にとても余韻を長く取る箇所がある。一つのくだりに長く時間を取ることによってテンポが一律にならず大きなうねりを起こせるのも特徴だろう。小気味よくボケを重ねるだけの笑いにはならず、しっかりと大きな流れの中に局所的な最高潮を持ってこれる。これこそが、“反芻に耐える疾走感”を補強しているのだと思う。



④集合的無意識への語りかけ

令和ロマンとウエストランドはネタの中身も本質的にはかなり近いところに位置づいているように思う。

令和ロマンの漫才は既によく知られた作品で大喜利を行うのが基本だ。ボケ自体がインターネットの悪ノリ的なセンス(おもしろフラッシュ、VIP板など)の上の成り立つものが多い。例えば秋元康の歌詞を扱うネタはネット民ならば何となく空気をシェアしていたりもする。しかしそれをくるまが自身の身体を通してステージパフォーマンスとして見せつけられる点が芸人としての強い魅力だろう。まるでスマホを眺めるかのように微笑みながらつっこむケムリの姿を含め、ネット的なテンションを舞台に持ち込んでいるように見える。


ウエストランドもまた、粗めのあるあるネタとして悪態をつきつつ、それが次第に井口の身体を通して、井口の巻き起こす笑いとして身体性を伴っていく点に強い魅力がある。誰もがうっかり無意識に持ってしまっている、この国の特定の文化圏にいる人間たちの集合的無意識に刺さり、いけないのかもしれないけれども笑ってしまうという状況にまで誘い込む強烈なステージパフォーマンス力。段々と置いてけぼりを食らう河本の姿は言うなれば観衆の投影と言えるかもしれない。


令和ロマンとウエストランドの近さについてここまで述べてきたが、思い返すと令和ロマンはここ数年のチャンピオンとの共通項も多い。マヂカルラブリーも錦鯉もボケ好き勝手に動き、ツッコミがその状況を外側から説明していくという構造の漫才だった。一般的な掛け合いのない、一見すると断絶されたコミュニケーション。この理解をちょうどよく置き去りにする疾走感こそ、今のM-1グランプリの勝ち筋なのかもしれない。


そういうわけで色々書いてきたがつまりは今年は令和ロマンがM-1優勝という予想をここに書き記しておきたいだけの記事だ。くるまがラヴィットでの広瀬すずネタのようなことをもっと危ういレベルでやらかさなければ、大丈夫なはず!!


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