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ハクナマタタを巣立つ

ほぼぴったり1か月滞在した、鳥取大山のハクナマタタを、昨日出発した。
ちなみに写真はそのときのもの。松の木のそばで手を振っているのは、見送ってくれた二人。

私は変化が好きなので、というか変化しないと飽きてしまうので、ちょうど1か月は良い頃合いだった。
あの人ともっとしゃべりたかったなぁ、田植えもしたかったなぁ、ニワトリ絞めたかったなぁ、という「したかったこと」はあるけど、期間的にはちょうどよかったと思う。
まぁ、もし自分が2か月3か月といるつもりならもともとその心構えで暮らすんだろうから、それはそれで人の入れ替わりを長期の住人の視点で楽しめたかもしれない。

ただし、ここの暮らしを満喫するには、最低でも5日間は必要だと思う。
いや、やっぱり7日は欲しいかも。
私は最初の1週間で、だいぶ常識のブロック塀を壊された。
常識のブロック塀というのは、のび太とかしんちゃんのおうちのような、一軒家の前によくあるあのブロック塀のこと。

"私の中にあった常識"で固められたそれが
「ガンガンガン!」
と、ハンマーを以て音を立ててどんどん崩れ落ちていくのを、最初はすごく感じていた。

それが落ち着いたのは、いつだったかな、私も新しく来た人を迎え始めたときかもしれない。

最初は色んなものに驚いて、なにそれなにそれ、って聞きまくるスポンジのようだった私も、新たに人が来ると「うんうん、そうだよねびっくりするよね、私も来た当初はびっくりしてたよ」心の中で勝手に同意してて、先輩風を吹かせるわけじゃないけど、そんな風に感じてた。

私の中にあった常識のブロック塀っていうのはたとえば、

手を洗う時に石鹸を使わないこと、
食器を洗うときも基本アクリルたわしのみなこと、
オーガニックとか無農薬とか無添加、体や地球に良いもの、にこだわっていること(未だに知識が浅いのでこうやって括ってしまう)
瞑想や対話をすること、
スピリチュアルな話題が出てくること(私はこれまで占いは信じない方だった)、
たばこは自分で作れること(よもぎやミントの葉を乾燥させて、自作巻きたばこで禁煙できた人がいること)、
掛け時計や置き時計がなくても生活にあまり支障がないこと、
食材が悪くなってたり食べられないものがあったらニワトリの餌にしたり裏の森に投げ捨ててOKなとこ、
ごみをまとめて燃やすこと、
近くの海からわかめやアメフラシを取ってきて食卓のおかずにすること、
そこらへんの野草を取ってきてお茶にしたり素揚げして食べたりすること

などなど。
たぶんもっと時間をかけて、アルバムを見返しながら思い返すともっともっと出てくると思う。都会に住んでいると知らなかったこと、できないことがたくさんあって、それらがここでは伸び伸びとできた。

単に生活のことだけではなく、ここに集まってくる人も、特徴的。
どう特徴的かというと、世間でいう変わり者というか、よく言う"人生のレール"に乗っていない、自分で新しく線路を作って生き生きと乗りこなしてたり、試行錯誤して建設途中の人もいたりして、私はとっても過ごしやすかった。

私は大学周辺の人から
「ちょっと変わってる人」「天然」「ちょっとズレてる人」
って思われているようで(それに気づいたのは1年半前くらい)、まぁそれだけじゃなく興味関心が合わなかったり思考レベルが高い人の話についていけなかったりしているのもあるんだけど、居心地があんまり良くないなと感じていた。
私が他に出会っていないだけなのかもしれないけど、うちの大学の人って、留学行って外の価値観に触れる人はめちゃくちゃ多いのに、帰ってくると結局ちゃんと就活して良い企業入ったり官公庁とか独立行政法人とかにするっと入って平均以上には稼ぐ人が多いんだよな、と最近感じる。

いや、まぁうちの大学に限らず多くの大学の学生がそうなんだろうし、彼らがなにも考えずにその道を選ぶわけでもないのだろうし、ちゃんとやりたいことがあって就活する人ももちろんたっくさんいるんだろうけど、
でも、「○○歳では年収△△欲しい」「とりあえずここ入っとけば恥ずかしくない」「ほんとにやりたいことが何かはわからないけど、就活の時期が来ちゃったからやらざるをえない」っていう人もまた大勢いるんだと思う。

そしてこれは全く他人事ではなくて、現に自分も将来何がやりたいのか、まだぼやっとしてる状態。でも、ハクナマタタに来て、ここの住人や泊まりにくる人たちや地域のおじさんおじいさんたち(女性は少なかったように思う)の人生の話を聞いていると、世間で言う「まともに就職」しなくても生きていけるのがわかった。

大学を卒業して30までぶらぶらして、それから大学生時代とは全く畑違いの看護学校に行って今は看護師をしているおじさん、
トビタテで留学に行って、帰ってきたらなんちゃって世界一周しちゃってて、就職経験はあるけど今は全国色んなところで生活している、現在修行中のお姉ちゃんみたいな人、
今の仕事は「嫌いではないけど」頑張ってやっていて、仕事とアフリカ愛の2軸でいこうとしている社会人、
絵を描きながら手相占いをしている不思議なお姉さん、
世界一周から帰ってきて、色んなサークルやら団体やらお店を立ち上げてきた、大人っぽくてこどもらしくもあるパワフル大学生、
まだ大学を卒業はしていないから学割使えるし親の扶養に入りつつもアフリカ的幸福を広めようとしている縄文人みたいな人、
アルバイトを掛け持ちしてフレキシブル奴隷をやっていた、養鶏や自家栽培なんかをやっている面白いお姉さん、
看護師をやめて、その先なにをするかは未定だけど「この世の基本法則は愛だよ」って、キノコを散布しつつ愛に生きてる狩猟女子、
海外でいくつもの死線をくぐり抜けてきた、職業が百姓で瞑想の達人で、天ぷらを揚げるのがプロ級にうまい仙人みたいな人、
「人生楽しいことしかやっちゃだめ!」「話がうまいやつは好きじゃない、口下手な人間の方が好きだ」っていうおじいちゃん、
国内も海外も徒歩でどこまでも行っちゃう、豪胆な大道芸人おじさん、
地域おこし協力隊から始まって自分の農園を作って、就農して5年で半分はやめちゃうっていう厳しい世界の農業を8年続けてる、見た目も中身もとってもさわやかな人、
パン屋に就職してパン技術を身につけて、石垣島でとーーーっても美味しいパンを作ってるお姉さん、
大阪観光中に今のステキすぎる彼氏と巡り会ったという、料理上手で運転上手で聞き上手の三拍子そろったママみたいな同い年のフリーターの女の子、
そのほかにもたくさん、型にはまっていない、自由な人生を歩んでいる人たちにたくさん出会った(ほんとにたくさん)

そうやって、
これから先、できることの選択肢の範囲ってめちゃくちゃ広いし、いつ始めてもいいんだな
新卒じゃなくても、大学の専攻と全く違うことしても生きていけるんだな
なんなら定職に就かなくたっていいし、自分でお店を開いてもいいんだな
っていう気づきを得た。

対話を大事にしてる人たち、自分の意見は言うかもしれないけど、誰かが「これやりたい!」っていうのを「いいね、やったらいいんじゃない?」ってあと押ししてくれる環境、自然豊かな暮らし…

この1か月で自分、変わったなぁと思う。
変わっててもいい、変わってるって思われてもいい。
同い年のママは「(ふつうのひととしゃべるときは)違う国のひとと喋ってるかんじ」って言ってたし。

だから、東京に帰るのがちょっと怖かった。
人も看板もお店もアナウンスも多くてうるさいし、無言の圧力や暗黙のルールがたくさんあるし、大学に行ったらまた知り合いの「あっち側のひと(何の疑問もなく、ではないかもしれないけど社会のレールに概ね沿っていて、沿っていない人を珍しいものを見るような目で見る人たち)」と出くわす可能性があるし、ハクナマタタの人たちみたいな、受け皿が広くて自由なのびのびした空気が無いような気がして。

今日、久しぶりに大学に来て、留学願を出した時の担当者がとってもぶっきらぼうだったり(あまりに冷たかったのでびっくりして、彼女が自分のデスクに戻ってゆく姿をまじまじと見つめながら「最近プライベートで嫌なことあったのかなぁ」って心配しちゃったくらい)、それをまた別のセクションのおばさんに話した時に「まぁイレギュラーが多い大学だからこそそういう人たちがきっちり仕事してくれて逆に助かってるよねぇ」と言われたりして、「いや、まぁたしかにそうなんだけど、でもあんな態度はねぇ…」と心の中でちょっと反発、というか楯を作っちゃったりした。

でも、明日からまた別のところに行くし、それが終わったら次はインドに行って、またその次はザンビアに行って、その次は考え中だけど、たぶんペルーかな。
だから当分東京のこの冷たい雰囲気からはおさらばできるはず。



追記: この原稿を大学の数少ない親友に見せたら、
「○○ちゃんはべつに変な人だとは思わないけどなぁ。
自分と違うところがある人に対して『この人変わってるなぁ』と思う人もいるのかもしれないけど、そうであれば誰にとっても
「(自分と違くて)変わってる人」
はいるわけだし、見る人の視点によってその人が変か変でないかという評価は変わってくるんだから、べつに気にしなくていいんじゃない?」と言われた。
いやぁ、まったくその通り。
しかもその子目線で見たうちの大学はかなり変わってる人多いみたいだから、私がそういう人たちとたまたま出会ってないだけかもしれないし、思い返せば部活の先輩たちもだいぶ個性的な人たちおったな。


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